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一文にもならぬこと     

 先日、久し振りに、やがて還暦を迎える友人とスパゲティーの量が半端でないという噂のイタリアンレストランで食事をした。噂に違わず、直径が40cmもあろうかという大皿に山盛りに盛られたスパゲティーが出て来たのには驚いた。その巨大なスパゲティーを食べていると、すっかり忘却してしまってまるで死語のようになっていた懐かしい言葉を、彼がしみじみと呟くように口にした。

   「いよいよ還暦を迎えるので、これからは『一文にもならぬこと』をやりたいと思っている」

 何気なく彼が口にしたこの言葉を耳にした時、突然、背後から誰かに呼び止められたような衝撃を受けた。我々の年代も、思えば社会に出て、あっという間に30数年が経ち、やがて引退という年齢に達したが、同年輩の大多数の人たちは高度成長時代の中で無駄を罪悪のように考えて忌避し、ひたすら効率と合理性を追い求めて日本の産業に発展をもたらして来たと自負している人たちである。

 高度成長時代というのは、全ての価値観が効率と合理性という「経済性」を最優先にして来た時代である。全ての価値を金銭に換価することで評価し、非効率と非合理は無駄あるいは不要と判断されて切り捨てられた。昔は、「一文にもならぬこと」が結構沢山あったように思うが、世の中の価値観が目先の「有益」か「無益」かで判断するように変わったのである。自ずと、人間の営み、即ち行動や発想に余裕が無くなってしまった。

 今、多くの産業人をファンにし虜(とりこ)にしているTV番組「Project X」の主人公たちのやったことは、当時、目先の利益と欲に眩んでいる人の目には「一文にもならぬこと」に映っていた。予算はなく、ただ時間だけは無限に与えられていた彼らは独善的使命感だけで結果として大事を成し遂げたが、組織の中では無駄飯食らいとして「日陰者」扱いを受けていたのである。

 しかし、皮肉なことに、現在の日本経済を支えているのは彼らが開発した技術であり商品である。言い換えれば、「一文にもならぬこと」に挑戦できる寛容さと余裕がクリエイティブの卵を産んでいたのである。筑紫哲也氏が彼の番組「多事争論」の中で「Go slow」という「ゆっくり人生」運動を唱えて、理屈と合理性を基に物事の価値を評価する世の中について警鐘を鳴らしていることは、まさしく「一文にもならぬ」ことを賞賛する運動でなかなか良いと思っている。

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