以久遠氏の Beauty,Business & Favorites       旅紀行     VOL. 55 / 2003.06.15

甲府、武田神社の「水琴窟」 

 甲府市は武田信玄が生まれ育ったところである。甲府駅の北方、甲府駅前から山に向かって真っ直ぐ一直線の緩やかに上る武田道路と呼ばれている道路がある。並木の歩道が付いた綺麗な道路で、その突き当たりに武田神社がある。駅前と武田神社とはかなりな高度差があると思うが、上り下りの無いほぼ直線の上り坂で、駅前をちょっと離れた辺りから2kmくらい先の武田神社の鳥居が微かにだが望める。

 坂の途中、道路を挟んで両脇に山梨大学の広大で緑豊かなキャンパスがある。最近は校門などにストリート芸術のような落書きが描かれているところが多いが、山梨大学の塀には目に見えるところには落書きもない。校庭も手入れが行き届いていて、清らかなアカデミックな香りが漂う大学である。その大手門通りのような道路を上って行くと武田神社に到達する。

 武田三代、武田信虎、信玄、勝頼の三代が居住した躑躅ヶ崎(つつじがさき)館跡で、信玄が生まれ成長したところである。この屋敷は1519年に造られたそうで、奥の深い敷地で優に数万坪はあるだろう。神社の周りを幅二間〜三間ほどの掘割が囲んでいて、堀には満々と水をたたえている。鳥居のある入り口の周辺だけに石組みの石垣が設えてあり、その他のところは斜面に樹木が繁っているだけである。

 水に浮かんでいるように見えるところは、まるで仁徳天皇陵の前方後円墳か何かの遺跡のような印象を受ける。神社側岸辺の緑を映し、水面(みなも)は深い濃い緑色に見える。それだけで歴史が感じられるから不思議である。鳥居のある入り口辺りだけを見ると、その風情は正しく城郭である。城郭に不釣合いな鳥居が異様に映る。館と称しているが、やはり「人は石垣、人は城」と言った信玄の好きな平城(ひらじょう)である。

 通りから正面の神橋(じんきょう)を渡った鳥居の前の石段の前、向かって右側に「左近乃櫻」、左側に「右近乃橘」が木の柵に囲まれて植えられていた。桃の節句の雛飾りに飾られる「左近の桜」と「右近の橘」と同じ姿である。お雛飾りでしか見たことがなかったので、感無量であった。桜の木は3m位の高さがあったが、橘の木は高さ1m50cmくらいの若木であった。低い石段を登ると境内に出る。正面に武田神社がある。武田神社という名称から吃驚するような規模を想像してしまうが、さして大きくもなく豪壮でもない。むしろ質素な佇まいの神社である。

 神殿の前に立ち、型通りの拍手を打ってお参りをした。のんびり境内を見廻して見ると、左の社務所の前の庭木の下に珍しいものがあった。右手に「名水 姫の井戸」、左手に「水琴窟」と書かれた立て札である。「姫の井戸」の水場に竹の柄杓(ひしゃく)が置いてあったので、一口飲んでみた。癖のない柔らかい水であった。武田信虎や信玄、勝頼はこの水で武士の嗜みであるお茶を点(た)てていたらしい。この湧き水をペットボトルに入れたものが「名水姫の井戸」という商品名で、巫女さんが御神籤(おみくじ)と一緒に販売していた。

 「水琴窟(すいきんくつ)」と書かれた木札のところへ行ってみると、楓の木の下に四角い小さな手水鉢(ちょうずばち)が置かれていた。手水鉢には玉石が敷かれ、その玉石の中へ竹樋を通して微かに水が流れ込んでいる。その四角い手水鉢の片隅に直径5cmくらいの竹筒が玉石の中へ突き刺してあった。と言うより、正確には地下から突き出ているこの竹筒に耳を当てると、ポ〜ン、ピ〜ンという水滴がガラス管に反響するような澄んだ綺麗な音が響いて来る。いわゆる「水琴」である。

 この「水琴」は、江戸時代に庭師が考案したものだそうである。茶人たちに好まれたそうで、茶室の蹲(つくばい)や庭先の手水鉢の下に細工され全国各地に残っている。構造は、「水琴窟」の地下に窟が掘ってあり、底に小さな穴を開けたガラス瓶がその窟の中に埋められているのだそうだ。

 手水鉢の水がそのガラス瓶の中へポツン、ポツンと滴り落ちるように仕掛けが施されている細工物なのである。そして、その水滴がガラス瓶の中で反響して高音の琴の音にも似た澄んだ微かな音色が竹筒を通して地中から沸いて来る仕掛けなのである。

 しかし、「水の琴」とはよくも名付けたりである。非常に微かな音なので、竹筒に耳を当てて神経を集中させて耳を澄まさないと聞こえない。余りな音色の涼やかさに、待っているお客さんがなければ、五分でも、十分でも竹筒にただじっと耳を当てて聴いていたくなる。一時、時間を忘れさせてくれるほどの綺麗な音である。微妙に強弱があり、高低もある。まるで地底で音曲を奏でているように聞こえ不思議な感じがする。ひょっとしたら、深夜の静寂の中では微かに聞こえるかもしれない。

 姫の井戸の水を杓子(しゃくし)で掬(すく)って飲んでいた観光客らしき若い三人連れの女性が、竹筒に耳を付けている私の姿を不審に思ったのか、不思議そうな顔をして「何か聞こえるんですか?」と問い掛けて来た。「綺麗な音ですよ。どうぞ」と言って替わると、その女性たちはうっとりした表情で竹筒にいつまでも耳をくっ付けていた。聞こえるか聞こえないかの微かな清澄音を聴くためには精神の集中がいる。一瞬だが、これが世俗の煩わしさを忘れさせて呉れ、身も心も洗われたような清々しい心地になる。最高の癒しとなること請け合いである。


Enter From 検索  UpDate & Back Number Index  巻頭と目次  旅紀行  食紀行  文化紀行  ビジネス  Profileと雑感