以久遠氏の Beauty,Business & Favorites       旅紀行     VOL. 57 / 2003.08.15

ガラス細工とオルゴールの街、小樽

 梅雨まだ明けやらぬ7月20日の日曜日から22日までの三日間、毎年恒例の家族旅行をした。梅雨のない札幌の初夏は爽やかで涼しく、夕方には念のために持参した薄手のサマージャンパーが役に立った。一面に紫の絨毯を敷き詰めたような美瑛(びえい)高原の輝くようなラベンダーの季節は7月半ばに終わっていたが、札幌の大通り公園には色とりどりの草花が鮮やかに咲き乱れていた。

 今回、初めて小樽市を訪れた。札幌、旭川に次いでの北海道三番目の大都会である。と言っても、現在の人口は20万人に少し欠ける程度でしかないが、昔はにしん漁で栄えた街である。小樽の街へは札幌から函館本線を利用した。車両入り口部がやたらと広い北海道特有の電車で、4両編成である。乗客の半分くらいが数人連れのグループで、観光客のように見受けた。30分ばかりで小樽駅に到着する。

 札幌から石狩湾を右手に見ながら30分ばかりの函館本線の旅である。小樽駅で降りて、横に10人ぐらいは並んで歩けそうな広大な舗道を港へ向かって歩く。10分も歩けば、彼の有名な小樽運河のある港町である。旅行案内書の写真に掲げられて小樽の象徴的風景である異国情緒漂う小樽運河が目に入る。今も使われているのだろうか、古ぼけた赤レンガ造りの渋沢倉庫が昭和初期の香りを漂わせてどろりとした緑色の水面に写っていた。

 運河沿いの石畳の歩道は、観光客で溢れかえり肩を触れ合わさんばかりの混雑であった。歩道の脇には写真屋さん、絵描きさん、細工物屋さんなどが連ねるように並んでおり、観光客の群れが思い思いに露天に並べられている品々を覗き込みながらゆったりと行き交う。まるで夏祭りの夜店の風景である。

 小樽運河を見るまでは挿絵写真などから巨大な運河と港の風景を想像していたが、運河に架かった橋から橋までの3、400mばかりの狭い地域であった。余りにこじんまりした実景にいささか拍子抜けがしたことは偽らざる気持ちである。その一区画だけが如何にも観光用といった風情に綺麗に整備されている。旅行案内などに紹介されている小樽運河の写真はまさしく運河全体を写したもので、それ以上でもそれ以下でもないことがよく分かった。

 まるで箱庭のように可愛い小樽運河にはいささかの失望感を覚えたが、のんびりと散策しながら、爽やかな香りのする空気を吸っているだけでも気持ちが洗われるような気がする。写真屋さんの写真や、即興で描いている絵描きさんの絵を覗き込みながらゆっくり歩いても20分か30分の散策コースである。小樽旅行の記念に小樽運河を描いている若い絵描きさんの葉書大の絵を一枚買った。3000円であった。

 その後、堺町本通りの「北一ガラスクリスタル館」という店へ向かう。堺町本通りには、ヴェネツィアングラスの店やガラス細工のギャラリーやガラス細工のオルゴールやヴェネツィアングラスの博物館やヴェネツィアンカフェなど北一ガラスの沢山の店がある。堺町本通りの街全体が北一ガラスの街だった。小樽運河を見物した観光客はほぼ全員が北一ガラス街を訪れるようで、観光客が入り乱れて右往左往し、まるで芋を洗うような混雑であった。

 北一ガラスクリスタル館はびっくりするような鉄筋4階建て造りの大型店舗で、ガラス細工とガラス細工のオルゴールだけの店であった。店内に一歩足を踏み入れると、一階の広いフロアーには、薄緑、薄紫、薄青、薄黄、薄桃、…ありとあらゆる色とりどりのクリスタルガラスがキラキラと輝き、クラシックからビートルズ、オルゴールの定番「エリーゼのために」まで照明付きのオルゴールが新旧の曲を爽やかに心地良く奏でていて、実に賑やかに華やかに目と耳を楽しませて呉れ、飽きさせない。

 それでも一時間半もあれば十分見物できる。北一ガラス街からタクシーで小樽港へ走った。港のフェリー乗り場の傍に石原裕次郎記念館があった。小樽と石原裕次郎との縁は、父上が海運会社に勤務していた頃、一時、この街に住んでいたことがあるのだそうである。石原裕次郎記念館は一部がホテルにもなっている。入り口の玄関脇の広い庭には、石原裕次郎が太平洋ヨット選手権にも参加した彼の有名な「コンテッサV世号」の勇姿が空に浮かび帆がはためいていた。

 記念館への入場料が1500円もするのにも驚いたが、もっとビックリしたのは、記念館のロビーの脇に「石原裕次郎記念館郵便局」というれっきとした郵便局があったことである。特定郵便局で、郵便局員の清楚な制服を着た女性が二人結構忙しそうに働いていた。1500円の入場料を払って、ひっきりなしに観光客が入場して行く。流石は大スター裕次郎である。裕次郎チョコや裕次郎グッズが沢山並んでいたが、如何に裕次郎グッズであっても所詮はチョコでありグッズである。やはり値段に少し割高感があったんではなかろうか。熱心に見入る人は多いが、買って行く人は少ない。

 裕次郎記念館を出てから、記念館の前の通りを左に折れた所にある漁師料理の店で鮨とラーメンを昼食に摂った。流石は漁港だけのことあって、鮨は飽くまで新鮮で、鮨に付いてきたタラバ蟹の味噌汁は絶品で、北海ラーメンも実に美味かった。ゆっくり夕飯時にでも来て食したい思いが残る。

 小樽は、昔、北前舟と鰊(にしん)漁で栄え、多くの鰊大尽を生んだ街である。今でも街中には、かっての鰊御殿を偲ばせる豪壮な建物がそこかしこに点在している。確か青山家という名前だと思ったが、鰊(にしん)御殿なども残っているようである。

 それが今は鰊は陰を潜め港には漁船が辛うじて残っているだけで、殆どが観光釣り舟とヨットばかりとなり、小樽の街も運河とガラスとオルゴールと裕次郎のヨットが売り物の観光都市へと変貌してしまった、とタクシーの運転手さんが淋しそうに感傷気に解説してくれた。鰊の全盛時を知っている老人たちは、どんな思いで小樽の街と観光客を眺めているのだろうか。

 朝、九時半ごろに札幌のホテルを出て、2時半ごろには小樽見物が終了した。小樽の街は半日のコースである。帰りは札幌までタクシーで戻ったが、運転手さんの話では、観光客は殆どが札幌泊まりであるために、小樽の街は見掛けほどには潤っていないらしい。漁業も人口も年々減る一方だそうである。そう言われてみれば、私たちも札幌泊まりの観光客である。確かに、小樽の街に落とした金は、運河の絵を1枚と昼食代とスヌーピー等のオルゴール3台とガラス器ひとつと裕次郎記念館の入場料と僅かばかりの飲み物代と帰りのタクシー代だけだった。締めて、4人で3万円少々ばかりか。

 札幌に3時頃着いたので、厚岸(あっけし)の森林公園の森の中にある北海道開拓記念館まで足を延ばしたが、残念なことに休館だった。蝦夷地、北海道を理解するには北海道開拓記念館を見学するのが最も良い。家族の誰も訪れたことがないので是非案内したかったが、日曜日と祭日が休館であるなど想像もしなかった。今回の旅の目的地のひとつであっただけにすこぶる残念であった。旅のお土産に「こまい(氷下魚)」の干物を買って帰ったが、秋田のものに比べると2倍ぐらい大きく、びっくりした。


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