以久遠氏の Beauty,Business & Favorites ビジネス談義 VOL-05 / 1999.2.15号

戦略とか戦術という言葉は、政治の世界やビジネスの世界など、あらゆる世界でよく使われるポピュラーな言葉である。一般的には、販売戦略、価格戦略、PR戦略とか、おまけ戦術、国会の牛歩戦術などという使われ方をする。
この、戦略と戦術という言葉を広辞苑で調べてみると、「戦略(STRATEGY)」は「戦術より広範な作戦計画。各種の戦闘を総合し、戦争を全局的に運用する方法」とある。「心戦を良とし、城戦を中とし、兵戦を下とする」は知将馬謖(ばしょく)の言葉であるが、人心惑乱を起こさせる戦法も戦略なのである。人心惑乱戦法が得意であった豊臣秀吉などは、さしづめ優秀な戦略家だったということになる。
そして、「戦略単位」は「戦略的活動をなしうる最小単位」とある。戦略の規模によって戦略単位は変わる訳であるから、数名でも数千名でもよい訳である。従って、戦略と戦術を規模の大小で区分けするのは誤りである。徳川家康が抱えていたお庭番、いわゆる忍者などは戦略集団ということになる。
一方、「戦術(TACTICS)」は「戦闘実行場の方策。一個の戦闘における戦闘力の使用法。一般に、戦略に従属するものとされる。転じて、ある目的を達成するための方法」とある。従って、戦略とは構想で、戦術とは方法ということになる。販促に景品を付けたり、割り戻しを付けることは戦術ということになる。
よく人を評して、あの人は戦略家だとか戦術家だと言うことがあるが、戦術家、必ずしも戦略家ならず、戦略家、必ずしも戦術家ならずである。戦略家は、資質的に柔軟な発想が出来なければならない。戦術家は、発想力は貧弱であっても、実行力と達成力に秀でていなければならない。名将と言われている人達は、戦略家であると同時に、多く戦術家であったと言えるようである。ロンメル将軍が、前線の濠の中から全軍に作戦指令を出したように、あるいは東北の大大名である伊達政宗が、近隣の局地戦を見据えて徳川家康や豊臣秀吉に対抗したように、戦略家が優秀な戦術家である事例は多い。
しかし、武道の達人を見た場合、戦術家ではあることは言を待たないが、必ずしも戦略家であるとは言い難い。五輪の書を著した宮本武蔵は多くの藩に迎えられ、剣術と戦法の師範に叙せられた。しかし、思想家という評価は高まったが、戦略家という評価はなされなかったようである。名選手、名監督ならず、である。プロ野球の世界を見ても、広島カープの古庭監督は選手時代は名もない選手であったが、監督になってからは名監督と評されたし、逆に名選手であった長嶋監督は、残念ながら未だにその評価を得るまでには到っていない。
戦略家の条件としては、戦術を熟知していること、人心の機微を心得ていること、人を動かすことが出来ること、大所高所から判断できること、決断力に秀でていること、焦らず辛抱強く機が来るまで待てること、情報の収集が正確で分析力に優れていること、事態の急変に的確に対応できること、冷静に合理的な判断が出来ることなどを挙げることが出来る。
企業で言えば、役員は戦略家であることが必須の条件となる。戦術的思考しか出来ない役員は、今流行りの執行役員ということになるだろう。将来の経営者となる役員候補生には、戦略家であり戦術家であることが要求される。ただ、戦略は戦場を知らずしてはあり得ず、戦場においては戦術なくしては勝ち戦はない、ということを忘れてはならない。