以久遠氏 Beauty,Business & Favorites        ビジネス「葉隠」講話      VOL-05 / 1999.2.15号

謙虚だけでは大成しない  

 最近、「お客さまは神様」だとか「稲穂の如く頭を垂れよ」と言って、謙虚さを要求する経営者が増えて来た。謙虚さは、そんなに大事なことであろうか?どうも、謙虚という言葉の意味を取り違えている経営者が多いように思うのは私だけだろうか。

 謙虚とは、「控え目で素直なこと」、「謙遜で心にわだかまりのないこと」という意味であるが、後段の謙遜という言葉が「へりくだること」という意味であるために、やたらと「へりくだること」ばかりが強調されて、それが要求されているような気がする。

 件(くだん)の経営者が言う「謙虚であれ」という意味は「へりくだれ」という意味だろうと解釈しているが、人間、へりくだってばかりいると、個人の尊厳もプライドも殺さなくてはならないようになる。これではストレスばかりが蓄積されるだけで、個性を発現する機会はなくなり、ひいては自分自身を見失うことにもなりかねない。折角の自信を喪失させる恐れもある。

 自信を失うことは、力を失うことを意味する。ビジネスマンに「人を動かす力」が亡くなったら、組織の力も消滅しビジネスが成り立たなくなる。その点、武士としての高邁なプライドを要求した「葉隠(はがくれ)」武士道では、

    「何事の修行も、大高慢と反省の両方が必要である。」

    「仕事に関しては大高慢で、死に狂いするくらいがいい。」

と、むしろ「大高慢」という派手な言葉を使って、鍋島藩の武士達に高いプライドを持つことを奨励している。もちろん、不遜であってはならないが、徒(いたずら)にへりくだることはないと戒めているのである。行動に裏打ちされた高慢は力を感じさせ、他人を意識して対抗的に顔を出し過ぎた自信は不遜になる。しかし、反省する心の余裕さえ持っていれば、少々高慢と言われるくらいの方が却って人は成長する。謙虚さだけでは道を究めることが出来ない、ということを教えているのである。

 控え目で素直な人は、確かに「あいつは好(い)い奴だ」と言われる。悪評も立たないし、誰からも疎(うと)まれない。しかし、畏れ敬われることもないだろう。そういう意味では、葉隠武士道の

    「好人物は、人生の落伍者になる」

という言葉は卓見である。私の周りを見ても「人柄は素晴らしいのだが、仕事になるともう一つでね」と言われている人が意外と多くいる。彼らは、おしなべて温厚な性格で思いやりの厚い、人柄の良い人達である。人を陥れて自分がのし上がるような権謀術数には長けていないし、人を押しのけてしゃしゃり出るような図々しさも、全くといっていいほど持ち合わせていない。控え目で遠慮深いが、ビジネス社会の中では存在感の薄い無益無害の人たちである。

 しかし、物事を進めるには、大なり小なり摩擦が生じるもので八方美人では事は成せない。決断とは、賛同者と反対者を造ることである。逆説的に言えば、賛同者も反対者も作らない人というのは決断をしない人であると言える。従って、人の上に立つには、少しばかりの人の悪さは重要な要素なのかも知れない。強すぎる自我も困るが、自我がないようなのも困る。

 葉隠武士道においても、

    「三十才を過ぎれば、とくに謙虚になること」

と、中堅社員の心構えを説き、

    「四十才より内は知恵分別を除け、強み過ぎる程がよし。人により、身の程により、四十過ぎても強みなければ、

     響きなきものなり」

と個性を発揮せよと要求している。そして更に、「知恵分別」を捨て、場面によっては「強引さや高慢さ」も必要であると、猛牛のごとく突き進むくらいで良いのだと教えている。図々しくなる年齢の頃には、歳相応の押し出しが必要になるのである。



Enter From 検索  Update & Back-number index   HOME  旅紀行  食紀行  文化紀行  ビジネス-1  ビジネス-2  ビジネス講話  PROFILE