都心、文京区「小石川後楽園」歌謡曲や小説などで、東京の街を「砂漠」とか「コンクリートジャングル」と誇張して表現しているのに時々お目に掛かる。そのためか、東京の街を知らない地方の人たちの中には「東京には緑が無い」と思い込んでいる人たちが大勢いる。確かに、地図で見ても狭い東京都に1000万人以上の人たちが住み、高層ビルディングが隙間無く建ち並び、道路という道路はアスファルトコンクリートで舗装され自然のままの土が存在するスペースはどこにも無いように見える。
ところが実際は、大通りから路地に一歩入ると、「こんなところに…」というような緑豊かな自然が目に飛び込んで来て驚かされる。さすがは徳川幕府があった江戸だけのことあって、皇居を中心とした半径10km圏内を見ただけでも、広大な緑豊かな大名屋敷の跡地が外国公館になっていたり高級ホテルになっていたりしているのに随所で遭遇する。東京都23区内はおろか、山手線の内側に限って見ても、金沢の兼六園にも匹敵するような大規模の見事に緑豊かな庭園公園が幾つもあるのである。
そのひとつが、皇居からいくらも離れていない都心の文京区にある小石川後楽園である。中屋敷として下賜され後に上屋敷となった徳川御三家の水戸家の広大な江戸上屋敷跡で、東京ドーム球場はその敷地の一部に建っている。水戸初代藩主の頼房時代1629年に築造が始まり、二代藩主の「水戸黄門様」として有名な光圀公の時代に完成した回遊式泉水庭園である。
広大な水戸中屋敷跡地の一部が小石川後楽園として公開されているが、後楽園という名前は中国の詩人范仲奄(はんちゅうえん)の「先憂後楽(天下の憂いに先立って憂い、天下の楽しみに後れて楽しむ)」という言葉から付けられたということである。JR中央線の水道橋駅で降りて、後楽園球場跡の東京ドーム球場の丸い屋根を見ながら神田川を渡り、神田川に沿って外堀通りを西へ数分歩く。高いオフィスビルやマンションの陰になって全く緑は見えないが、実はこのビル街の裏、北側に小石川後楽園がある。
外堀通りから路地を北へ入って行くと直ぐ、別荘風情の小さな門がある。ここが小石川後楽園の入り口で、二万数千坪もある庭園の入り口にはとても見えない質素な佇まいの門である。入り口で入園料を払ってそのまま真っ直ぐ歩いて行くと、右に管理棟の建物があり、左手に涵徳亭がある。なだらかな丘陵と小さな谷の地形を実に巧く活かして造られた庭園で、暫くすると目の前に枝垂桜が見えて来る。
そして、前方に湖のように大きな池が現れる。光圀公の時代には、満々と水をたたえた広大な池に船を浮かべて舟遊びも行なわれたらしい。池の中央には蓬莱島という小さな島が浮かんでいる。この大きな池、大泉水が庭園の中心らしい。この池の周りに築山があり、川があり、橋や亭が作られ、外に三つばかり小さな池が造られている。この水は北部の神田川から取り込まれているそうである。
庭内には、通天橋があったり、沢渡りがあったり、白糸の滝があったり、龍田川や木曽川があったりと二万数千坪の敷地の中に、水戸の山荘、西山荘を偲ばせるような深山幽谷の世界が見事に造り出されている。上ったり下ったり、くねくねと曲がった山道は曲がる度に、あるいは坂を登り降りする度に景観が一変する。深山幽谷を散策しているような気分に浸れ、一時、都心にいることをすっかり忘れさせてくれる。見事な庭園設計である。
通天橋の下には京都の嵐山を模した大堰川が流れ、下の方には渡月橋もあり、沢遊びも出来る。沢渡りの先には中国の盧山(ろざん)を模した円い形状の小さな築山「小盧山」もある。渡月橋の下には一直線の石堤がある。これは中国抗州の「西湖(さいこ)の堤」を写したものだそうである。庭園北部の白糸の滝の上流には中国風の円月橋という石橋がある。東端には、小さな池がある「内庭」があり「唐門」の跡もある。庭園の至る所にさり気なく中国の風物を取り入れた中華和風折衷の見事な山水庭園である。さすがは徳川御三家の中屋敷だけのことがあると感じ入る。
北東部には光圀公が好んだ梅園もあり、藤棚の近くには花菖蒲田があり、稲を植えて育てた稲田まである。光圀が嗣子(しし)綱条夫人に農民の苦労を教えようと企図して作った田圃だそうであるが、水戸の偕楽園辺りの風景のようなのんびりした空気が漂っている。現在は、文京区の小学生が5月に田植えをし、9月に稲刈りをしている教育田となっているそうである。
小石川後楽園は都心でも有数の名園で、山手樹一郎の描く江戸時代の殿様屋敷の姿が髣髴(ほうふつ)と浮かんで来る。殿様文化遺産といった庭園である。ただ、東京ドーム球場の銀色に輝く円いドーム屋根だけが緑の木々の上に異様な姿を見せて折角の景観を壊しているが、それでも鉄筋コンクリートの建物は僅かに見えるだけで、都心とは思えない静寂の世界がある。
いつ行っても人影の少ない公園である。昼食時に訪れた時には、近くの会社に勤めるOLさんたちが数人集まって四阿(あずまや)で手弁当を開いて食べていた。昼食を摂るために、入場料を払ってまでして訪れる人たちがいるのにも驚いたが、和やかに寛いだ彼女らの姿を見ていると、名園で食べる弁当もいいものだと感心させられた。