以久遠氏の Beauty,Business & Favorites 海外旅紀行 VOL-06 / 1999.3.1号
早いものでもう一昔くらい前になるが、昭和60年の冬2月、香港、シンガポール、インドネシアのジャワ島のジャカルタ、ボルネオ島西海岸のポンチャナクの経路で東南アジアを商用で旅した。成田を出発して南下するほどに、中華料理の味が濃くなり香辛料が強烈に匂うようになる。香辛料の匂いの強さと辛さに反比例して、段々、近代文明から遠ざかって行くような感じがする。
成田から香港まではキャセイ航空で行き、香港からはインドネシアのガルーダ航空でシンガポールを経てジャカルタに入った。ガルーダというのはヒンズー教の神様の名前であるが、インドネシアを象徴する伝説上の巨鳥でもある。鷲のように鋭く曲がった嘴(くちばし)とギョロリとした鋭い目を持ち、怖いくらいに精悍な顔をしている。龍を常食とするという凄まじい空想上の鳥で、羽根を広げると数メートルは優にあるそうだ。巨鳥と言うより巨大な怪鳥である。
赤道通過証
シンガポールからジャカルタに向かうには、シンガポール空港を飛び立ってから数分で赤道を越え、南半球に入る。赤道を通過する時、ガルーダ航空のスチュアーデスから「ただ今、赤道を通過しています。どうぞ、窓の外をご覧になってください」という英語のアナウンスがあった。海面から7000メートルくらいの高度を飛んでいるのに……、「窓の外を見ろ」とはどういうことだ??青い海原と白い雲くらいしか見えない筈だが……。
そんなことを考えながら、半分、白けた気分で、スチュワーデスの声に釣られるようにして「何が見えるのだろう?」と半信半疑の面持ちで窓に顔を寄せて海面を見下ろして見ると、思い掛けないものが飛び込んで来た。白い雲の上に一本の赤い線が見えたのである。
「何だ?!あれは?!」
驚いたことに、そこに正しく赤道が見えたのである!! しかも、私の搭乗している飛行機が、今まさに赤道を跨ぐようにして赤道を通過しようとしている機影が見えたのである。これには本当にビックリした。種を明かせば、実に他愛ないことであった。飛行機から赤いビームを飛ばして、赤道に見立てた赤い線を白い雲に投影していたのである。
赤道を通過すると、スチュワーデスが赤道通過記念として搭乗者名をタイプ打ちした、ガルーダ航空発行の「赤道通過証明書」なるものを乗客全員ひとりひとりに配って歩く。意外性抜群の気の利いた洒落たサービスである。今もやっているだろうか?
パスポート没収の町、ポンチャナク市
ボルネオ島西海岸の最大の町ポンチャナクは南緯0度、まさに赤道直下の町である。インドネシアの首都ジャカルタからポンチャナクへは国内線を利用した。フォッカーという30人乗りくらいの小さなジェット機である。
8時半の飛行機に乗る予定で6時半に起きた。朝食を摂る時間もなくあたふたとホテルを出て、ジャカルタ空港のロビーには早々と7時半前に着いた。ジャカルタ空港は広大な飛行場で、長大な空港建物がある。ポンチャナク便の搭乗口は長大な空港ビルの一番端にあった。長い廊下を延々と10分くらい歩いて行くと、搭乗口と椅子があるだけのコーヒーコーナーも何もない殺風景な狭い部屋であった。窓の外には小さなフォッカー機が停まっていた。待合室には、既に10人ほどのお客が椅子に腰を下ろしていた。
しかし、搭乗時間になっても一向に搭乗手続きのアナウンスがない。何で遅れているのか、何時出る予定なのかといったアナウンスも何もない。その間、空港職員も現われない。一体、どうなっているのだろうか? 腹は空いて来るし、訪問先の予定時間を考えると気持ちは焦ってくる。しかし、イライラしているのは私だけであるようだ。他のお客さん達の顔を見ても、誰も動じている気配はない。皆、インドネシアの旅に慣れた人達らしく、談笑し合ったり読書に耽ったりしながら悠々と搭乗案内のアナウンスを待っている。
同行した商社の人に聞けば、こんなことは、インドネシアの国内便では日常茶飯事のことだそうである。しかも、事前には何の案内もなく、突然、空港職員が搭乗口現われて改札が始まり、出発するらしい。従って、空港見物の散歩も出来ない。ただひたすら待合室でじっと出発を待っていなければならないのである。その間、乗客は昼食も摂ることもままならず、待合室に缶詰状態で足止めを食らった状態でとうとう昼になってしまった。こんなことになるのだったら、途中でサンドウィッチとコーヒーでも買って来るんだった。後悔、先に立たずである。
散々待たされたあげく飛行機が飛んだのは、何と、昼を過ぎて12時半であった。恐らく、飛行機の整備に手間取ったのだろうとは思うが、お客へのサービスはもう少し改善して欲しいものである。実にサービスの悪い国である。
半日遅れのフォッカー機は何事も無く順調に飛行し、丸い小さな窓にやっとのことでボルネオ島が見えてきた。深い紺碧色の海に緑の島が浮かんでいるように見える。飛行機が高度を下げるにつれて、ポンチャナク空港が見えて来た。ジャングルを切り開いて作った滑走路一本の小さな飛行場である。滑走路が見えなければ、ジャングルの中の空き地としか見えないだろう。停まっている飛行機は一機もいない。
それなのに、飛行機はなかなか着陸しない。二度、三度、着陸姿勢をとってはまた飛び上がって再び旋回飛行を始める。ジャカルタの空港で散々待たされた後なので、待たされることには慣れてしまい、3、4回の旋回飛行など全く気にならなくなっていた。むしろ、出迎えの人達の生き生きとした表情が見えるので、遊覧飛行を楽しんでいるような気分であった。
ところが、やっとのことで着陸してみると、またまた驚いた。???。出迎えの人達が消火器を抱えたり提げたりしているのである。しかも、消防車まで控えている。出迎えに来た現地駐在員に、
「どうして、皆、消火器を抱えているんだい?」
と尋ねると、彼の答えは、
「貴方達が乗っていた飛行機が、エンジンから真っ赤な火を噴いていたんですよ」
ということであった。「生き生き」なんかではなく、心配してあたふたとしていたのである。まさに「知らぬが仏」とはこのことである。こうして、やっとのことで訪問先に到着したが、17時をはるかに過ぎてしまい、見学する予定の工場は既に終業していた。事務所に立ち寄って到着の挨拶だけ済まし、翌日改めて訪問し直すことになった。泊まったホテルはポンチャナクでは一番高級というホテルであったが、ベランダのガラス戸に45cmくらいの巨大なヤモリが吸着してじっと部屋の中を覗き込んでいたのには驚いた。この話は後日紹介しよう。
ボルネオ島は現地ではカリマンタンと呼ばれている。ポンチャナク市は西海岸最大の町で、カプアス川の河口にある町である。この町に入るには同じインドネシアでありながらパスポートが要る。空港に降りるとポリスがやって来て、我々外国人からパスポートを徴収してどこかへ持って行ってしまった。帰るときには返して呉れるらしいが、これで勝手に帰れなくなった訳である。捕虜になったような気分である。
カプアス河
ポンチャナク市は西カリマンタン最大の都会であるが、水道設備や電気は殆どない。住民の大半は、昔ながらの粗末な高床式の住宅に住み、カプアス川の濁った水で炊事や洗濯をし、夜はアーク灯の薄暗い光の下で生活している。電気や水道が利用できるのは、ごく一部の上層階級の人達と、工場設備用として自家発電設備を持っている大企業の社宅に住んでいる人達だけである。
道路は、街中だけにしかない。町から郊外へ暫く走れば、道路は自然に消滅してしまうのである。北海道の果てから鹿児島の果てまで一本の道でつながっている国の人間には、隣の町へ行こうにも道路がないことなど、到底理解できない。従って、隣町へ行くには、カプアス川を利用するか、整備に不安のある飛行機を利用するしかない。だから、町中、自転車が溢れている。勿論、自動車などは官公庁の車を除けば数十台もないだろう。
このような所であるから、川は最大の交通輸送機関である。カプアス川は水量の豊富な大河で、川幅は2000mかそれ以上はあるだろう。7000トンクラスの貨物船や住民を鈴なりに乗せた水上バスが悠々と往来している。その合間を、自家用車代わりのスピードボートと呼ばれているモーターボートが、暴走族まがいの運転で右に左に忙しくハンドルを切って行き来している。名人芸のハンドル捌(さば)きで、よくぞ、衝突が起きないものである。
ポンチャナクには、昔、首狩り族や人喰い人種が住んでいたそうである。空港のお土産店には、かって人間を料理した名残りの刃物類をガラスケースに入れたミニュチュアセットを売っていた。ちゃちな細工ながら、40ドル以上もするお土産品であったが、こんなお土産は滅多に買える物ではない。人食い人種の町訪問の記念に奮発して買って来た。