【箸休】Silly Talk たわ言
2005年↓
2004年
2003年以前
吾妻ひでおさんの『失踪日記』を読む。ぼくは、アルバイトは肉体労働的なものしかやった事
ないので、この中に出てくる「肉体労働やってると芸術したくなる」というフレーズに共感。
ぼくの場合はデザイン学校に通っている時だったが、締め切り時間内の作品提出にはいつも間に
合わず、バイトへと逃げていた時期があった。それでも汗を流していると気分爽快になり、
何か出来そうな高揚感に包まれる時もあった。いざ机に向かうと、アイディアのかけらもどこかに
飛んで行ってしまうのだったが。それとは関係ないと思うが、今でも考え事をするときは
歩き回ることが多い。散歩が一番だろうか。良いアイディアが浮かぶような気がする。まあ、
勘違いなんだろうけれど。
訳の判らないメモが机の上に残っている。河童と書いてありかっぱらしき絵も描いてある。
なんだろう? 多分これでひとつネタができたつもりになったと思われるふしもある。こんなんで
アイディアのつもりでいたんだろうか。少し情けない。他に言葉が書いていないので絵そのものに
意味があるのかもしれない。でもどう見ても他愛の無い河童だ。この時期になると怪談シリーズを
何か考えようと描きなぐっていた頃がある。あっ、もう一枚ろくろ首の絵もあった。思い出した。
ふむふむ、これ以上はここでは書けない。アニメにする素材だったか。どうにも河童が可愛らしく
なく悩んでいたことがあったっけ。どっちも端役なのだがどんなキャラクタにするかちゃちゃっと
描いたものだった。ここが、ぼくの悪いところで、何故か頭の中で出来てしまうともういいかと思って
しまうのだった。かれこれ4年越しの構想にもなってしまいそうだ。構想10年とかいう映画の惹句
は大げさと感じてはいたが、まあそういう事もあるんだろうなあ。って、妙に納得した。
『小人閑居して不善をなす』。とは、自分の事と感じるこの頃。 日がな一日、ぼ〜っと暮らして
いるので世の動きにはとんと疎くなっている。自分のペースでのたくた生活している。雨が降ったら家で寝て、
外を歩いてきて少し疲れたと言っては眠ってしまう。
かといって、自分から行動を起こす性質ではないので日々流され続けている。
たまには刺激を与えなければならないと思って、芝居を3月の終わり頃に観に行った。
劇団四季公演の『ライオン・キング』だ。お子様向けと考えていたのだが、オープニングから
引き込まれてしまった。動物の被り物も、観始めは違和感があったのだが、物語が進むにつれ、役者さんと
動物のキャラクタが一体になりまるで違和感無く楽しめるようになっていた。アフリカの衣装のような
原色を上手に使った衣装もきれいだった。もちろん、踊りや群衆シーンになると圧倒される。それに加えて
ぼくが好きなアフリカのリズムを元にしたような歌を、ドラムでドンドコ・ドンドコやられれば、自然に
身体も動き出そうというものだ。
ミュージカルだから、話の筋なんて単純で良いに決まっている。あとは踊りと舞台装置と役者さん達の動き。
土曜日に行ったせいもあるのだろうか、子供連れが多かった。あの年代から、面白い芝居を観る事ができて、
なんだかうらやましく思ってしまいました。
ここ数日の話題は何といってもライブドア対フジテレビの株争奪戦でしょう。
株などに興味が無くても、毎日・毎日、専門用語がラジオテレビに飛び交うので、
いっぱしの専門家になったような気分だ。
このたびの、大NHKと大朝日新聞の「中傷合戦」大変面白く拝見しております。
さて、どちらも公共性を主とする媒体でありますから、できれば事の真相を闇に葬ることなく
メディアの自主性を大いに論じあって欲しいところです。
しかしながら、先日ラジオ放送で大宅映子さんが『パブリックを公共の公と和訳したことが
そもそも間違いだったのではないだろうか』続けて、 「だいいち、NHK以外の民放各局も公共性を
持つものではないの、公共っていうと官営と勘違いしちゃうのじゃない」という主張でした。
それを聞きハッとしました。
そうなんです。NHKは国営放送では決してない事なんでした。単なる放送局じゃないか。
ディジタル放送のメリットなど、ぼくには少しも分かりません。多チャンネル時代になって困るのは、
NHK自身ではないでしょうか。などと思いました。どちらがウソを付いているという問題でなく、
どちらがより公共性のある報道が出来るかという観点から対決して欲しい。国と民間のスポンサーという
違いはあるだろうが、言論の自由を謳いながら自主規制もないものと思えるのですが…。
一体この問題どう決着が付くか、見届けたいものです。
真夏の暑さ、台風上陸と何でもありだった2004年だった。 暮れには、『スマトラ沖大地震』ととどめを刺されたり、
また国内では、『奈良県の少女誘拐殺人事件』と救いのないニュースに引っ張り回わされた日々だった。
今年は良い年であるように…。と、そう祈る気持ちが募るばかり。晴れの日もあれば、雨の日もあり、
また曇りの日もある世の中。なにがあっても仕方がないけれど、少々嫌気もさす。天の采配は、
我々人間には伺うべくもなし。それでも、「何とかしてくれ〜!」と天に文句の一つも申し言いたくなるの
は人情ではあるまいか。
愚痴はともかく、実際に日本はどうしたら良いのだろうか? 資源もなく、人口も少なくなれば、ゴーストタウンならぬ、
ゴーストカントリー化する可能性は、近い将来あり得る話だろう。 SFの世界だけでない現実味を帯びてくるから怖い。