国家なき日本

著者:村上兵衛。徳間文庫。

96年、サイマル出版会より刊行、98年に文庫化。
著者は大正に生まれ、昭和13年に陸軍幼年学校に入り、 予科士官学校を経て、戦争末期に戦場に間に合った最後のクラスだった。 それでも幼年学校のクラスメートの半数が戦死したとという。 戦後は外国向けの著作活動を続け、日本でも「国破レテ」などの 作品を手掛けている。 というような体験をもとに、日本の現状を憂いている作品。
以下、一部を紹介。斜体は引用。

「ドロナワ式の戦闘訓練」より
開戦当時に教育されていた戦闘法は 旧ソ連を仮想的としておおむね第一次大戦の武器・弾量を 想定したものだったそうだ。 それが終戦間際の昭和19年頃になってやっと改められ、 その内容は一変。 制空権を取られ、砲兵・戦車の援護もない状態で 夜間に単発銃と軍刀で戦う、といったもの。 そして敵戦車に対しては肉迫して爆薬をキャタピラへ投げこむ、 という悲惨なものだったそうな。 その訓練で笑えることには敵戦車役は赤い旗持った兵隊だったとさ。 今の自衛隊の訓練方法って昔から伝統だったのね(笑)。

「勝敗とは別の正義、不正義」より
東京軍事裁判において、インドのパル判事が指摘しているように、 あの戦争中、日本が、国際法に違反したという明らかな証拠は、ない。 しかし、例えばアメリカ軍は広島・長崎に対する原爆投下、 東京大空襲をはじめとする市民=非戦闘員の鏖殺を、 科学的な準備のもとに大々的に行った。 これは言うまでもなく、明らかな国際法に対する侵犯である。 日本は、その能力を持たなかったから行わなかっただけ、とは言えるが、 行わなかったという事実には変りはない。

「日本人は戦争を体験したのか」より
「ヨーロッパで、ごく普通のひとが、ああ、戦争はイヤ、というとき、 その声は真実の響きとして私の胸にも伝わりました。 フランスでも、ドイツでも、ロシアでも。 ・・・・・・しかし、日本人の戦争反対の声には、少しも真実味を感じません。 一度も真実の声を聞いたと思ったことがない」と、彼女は言った。 「しかし、今度、満州からの引揚者の取材をして、戦争はイヤ、という声に、 はじめてヨーロッパと同じ響き、真実の声を聞きました」
「まったく同意見ですね」と私は答えた。 「だって日本人は戦争を体験していませんから。 満州からの引揚者と沖縄の人たちを除いては・・・・・・」

「日本人は何をすべきか−−−エピローク」より
世界的な経済・社会の変動、あるいは国際的な事件のあるたびに、 日本人は「日本はどうなるのだろう?」と言う。 世界の、日本を知る外国の友人は「日本人はいつもそう言う」と笑う。 「私たちが知りたいのは、日本がどうなるかという予想ではない。 日本はどうすべきかというあなたたち自身の意見、 そしてどうするかという行動と決意の内容である」

作品一覧へ

著者一覧へ