武家盛衰記

著者:南條範夫、文春文庫。

78年に上下巻として刊行、89年一冊に文庫化。
戦国時代の武将二十四人について、それぞれ簡単に解説した本。 第一部は織豊時代、つまり織田信長と豊臣秀吉のころに活躍した武将について。 第二部は主として関ヶ原前後に活躍した武将、としなってます。 武将それぞれの立場から書かれているので、例えば同じ事件のことでも 別の方向から眺めるとまったく違う見方ができて面白かったりします。

第一部

「細川兵部大輔藤孝」
『細川家譜』によると幽斎は足利十二代将軍義晴の落胤だという。 もし事実とすれば、義昭と異腹の兄弟ということになるが・・・。

「松永弾正久秀」
一説によれば阿波の生れだというが、他の説によれば、京の西ヶ岡の生れという。 西ヶ岡の生れだとすれば、斉藤道三と同郷ということになる(笑)。

「浅井備前守長政」
父、久政は武将としてあまりに無能なため家臣一同から愛想尽かしをされて、 無理矢理隠居させられたって話は有名ですね。

「朝倉左衛門督義景」
若い頃の働きぶりをみると必ずしもそれほどの愚昧の将でもなかったそうで。 でもそれって宗滴が生きてたおかげなのでは、と言ってみる。

「柴田修理亮勝家」
政治力において秀吉に遥かに劣り、人心収攬の術に至っては その足許にも及ばないが、その行動はいかにも戦国武将らしく豪快でした。

「高山右近長房」
長房って名前だったんですね。いつもジュスト右近としか出てこないから(笑)。 ところでこの人、マニラで死んだんだって。知らんかった、というかどうでもよかった(~_~;。 それにしても全マニラ市民が哀悼の意を表し、遺骸はサンタ・アンナ聖堂に 埋められた、ってのはちょっと・・・。

「黒田勘解由孝高」
こうやって書くと誰のことだか判りづらいけど秀吉の軍師、黒田勘兵衛のことです。

「大友左衛門督義鎮」
これは大友宗麟のことですね。ドン・フランシスコ、だったかな?

「津軽右京大夫為信」
誰だ、こいつ(笑)。

「蒲生宰相氏郷」
この人の毒殺説はいろいろありますが、石田三成説ってのがあるんだとか。 徳川時代には三成は奸悪の標本のようにいわれ、 大抵の悪いことは三成におっかぶせてしまうことが多かったんで、 単なる俗説でしょう。

「前田大納言利家」
信長、秀吉、家康ら三人の下を渡り歩き、 加賀百万石を手元に残せたんだからある意味凄い奴では。

「明智日向守光秀」
私は信長が好きなんですが、光秀も実は嫌いじゃないんだな。 でもこの取り合わせ、別に珍しくないらしい。

第二部
「伊達陸奥守政宗」
なんか昔から嫌いです(~_~メ。

「直江山城守兼続」
米沢三十万石に減封されてからも名宰相ぶりを発揮したらしいです。

「本多中務大輔忠勝」
徳川家臣団の中で唯一好きなキャラクターです。

「藤堂和泉守高虎」
幕末、鳥羽・伏見の戦いに、最も破廉恥な裏切りを行って、幕軍に大敗を齎したのは、 ほかならぬ藤堂家であった、 (w。

「小早川権中納言隆景」
権中納言に任じられていたなんて知りませんでした(汗)。 しかも景勝になる前の五大老の一人だったとわ! そういえば秀秋も金吾中納言だったな、って関係ないか。 小早川家は隆景の代で終わってたほうが幸せだったかも(笑)。

「加藤肥後守清正」
この人も毒殺説が多いです。

「小西摂津守行長」
天正七年の二百石から十六年には二四万石(!)。凄いスピード出世。 名づけて天正のバブル大名(笑)。

「大谷刑部小輔吉隆」
名前が『吉継』でないのは、西軍に就いたときに改名してたんだって。知らなかった。

「安国寺恵瓊」
(コメントが何も思い浮かばない・・・(~_~;)

「宇喜多中納言秀家」
なんか相当悪く書かれてますが、著者に嫌われているのか(笑)。

「長宗我部宮内小輔盛親」
長岡郡宗我部郷に住みついたものを長宗我部、 香美郡宗我部郷に住んだものを香宗我部と称して区別した < ナルホロ。 それにしても長い名前・・・

「真田左衛門佐幸村」
正しくは信繁なんですが、幸村という名はいつ頃、誰がいい始めたものなんでしょう。

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