米内光政

著者:阿川弘之。上・下巻。新潮社。

昭和52年より「週刊読売」に連載。昭和53年刊行。
日本の海軍史上偉大な人物、と問われればおそらく圧倒的に挙げられるのは 山本五十六、又は東郷平八郎だろう。 確かに彼らの武勲は華々しいものがあるから名前も知られている。 「アドミラル・トーゴー」の名前などは地球の裏側トルコにも 響き渡っているらしい。
海軍には敗戦当時、井上成美という大将があった。 彼が戦後、歴代帝国海軍大将を評して一等から三等をつけた、という。 それによると、東郷平八郎は一等にはいっていない。 山本五十六も条件付きの一等だった。 では無条件の一等とは誰、ということが知りたくなるが、 彼は自分から言おうとはしなかったらしい。 具体的に名前を挙げて訊ねればイエスかノーかだけは答えたと言うが、 その中では例えば明治では山本権兵衛、大正では加藤友三郎が一等のようだ。 じゃあ昭和では、と問えばこれが、米内光政なのだそうだ。 武勲ということでは輝かしいものは何も無い。 これは彼が現場指揮官だった当時はまだ戦争は起こっていなかったからである。 戦争が近くなると海相、首相の地位を重ね、戦争回避の道をぎりぎりまで 追求し及ばず野に下った。 そして敗戦が近づいてから、ふたたび副首相格の海相として返り咲き、 帝国海軍に引導を渡す役目を果たした。 まあ簡単な略歴を述べるとこうなるのだろうか。
威風堂々とした端麗な容貌で、当時の軍人に珍しく髪を七三に分けていたという。 それにとても無口であり、後の海相になってからでも、 彼の訓示や挨拶は常に短かったそうだ。 戦艦扶桑艦長、連合艦隊旗艦のとき(大正13年)の陸奥艦長、 第二艦隊参謀長、第一遣外艦隊司令官、第三艦隊司令長官、 佐世保鎮守府司令長官、第二艦隊司令長官、横須賀鎮守府司令長官、 連合艦隊司令長官兼第一艦隊司令長官という地位を経て 海相、首相となるものの何せ平時のため地位の華々しさに比べて 目立った功績も特にこれといって無い。 大臣時代も、金魚大臣−−−見かけだけで使いものにならぬという 風評が立つほどだったそうな。
それでいて当時彼に深く関わった人たちは総じて皆が 彼に心酔し褒め称えるという。 また酒をよく飲み、芸者衆にそれはモテたそうである。 そのことが一番興味をそそられる(^^;。

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