軍艦長門の生涯
著者:阿川弘之。上・中・下巻。新潮文庫。
75年刊行、82年文庫化。
総排水量4万3千トン、40サンチ砲8門搭載、
最高速力26.7ノット。
世界最大・最強・最高速の戦艦(就役時)としてその威容を誇った
軍艦長門は、帝国海軍の栄光と矛盾を一身に背負って激動の大正・昭和期を生きた。
連合艦隊が壊滅してなお、ただ一隻生き残った長門に
敗戦後待ちうけていた劇的な終焉までを描いた作品です。
近代の軍艦というのは伝声管を廃して電話に置換えるものだが、
何故か日本の軍艦は伝統的に伝声管を使い続けた。もちろん長門もその例外ではない。
というのは乗組員たちが電話を敬遠するからなのだが、
それは海軍に入るまで電話なぞかけたことのない兵員が大勢いるからであった。
立派な四十サンチ主砲、世界一のスピードの出せるすぐれたエンジン、
十メーター測距儀、副砲砲弾の横送り装置、それら世界に類を見ない優れた設備の中で、
新兵器でもなんでもない電話といった妙なところに、実は日本の弱点が露呈していた。
英米にくらべてお話にならない電話の普及度、
国民生活の内容そのもので既に負けていたのだった(-.-;。
最期の長門艦長をつとめた杉野修一大佐という人は、
あの日露戦争の旅順口閉塞決死隊の「杉野はいずこ」の
杉野兵曹長の長男だった。82へえ。
『大東亜戦争』とは開戦後すぐに大日本帝国の閣議で正式決定された
対米英戦(支那を含む)の呼称ですが、海軍は「品が悪い」から反対していたのに
陸軍に押し切られたらしい、という噂があったとか(笑)。
敗戦が近づいたころの霞ヶ関の戦況説明会に出ていた一大佐の回想。
燃料関係の所掌報告で「海軍全体で、重油はあと何万キロリットルしか
残っておりません」というのを聞いて、昔はトン単位で言っていた重油の量を、
近ごろキロリットルで言うようになったのがけちくさい感じがして憂鬱だったそうだ。
貧すれば鈍する、というやつか。
戦後、ビキニ環礁で行われた原爆実験、参加した艦船は二百四十二隻、
航空機百五十六機、人員四万二千名、実験動物、山羊二百四頭(!)、
豚二百頭(!?)、鼠五千匹($%#)だった。
アメリカの世論は、広島長崎の原爆については概ねこれを是認したが、
今度は計画発表と同時に「犬を使うな」という手紙が国防省に
殺到し、犬は実験動物から除外されたらしい。日本人は犬以下かよ(-_-メ。
戦争が長びき、日本の敗北の色合いが濃くなってゆくに連れ、
あの美しくたのもしい軍艦群のうちどれとどれとがまだ健在で
闘っているのか、どれとどれとが不運にも沈められてしまったのか、
これは切実な関心の的だったのだが、大和・武蔵の新造を公表
しなかったほどの海軍であるから、個々の軍艦の運命を、
名を挙げて発表するという様な公明さは当時の海軍には
期待すべくもなく、国民はそれらの消息を戦争が終るまで
一切公けには知らされること無くて終った。
それだけに、戦後、聯合艦隊の現状・決算報告として、
それはほぼ全滅というに近く、名だたる大艦のうちで
生き残ったのは長門唯一隻であるという結果を知らされた
時の国民の衝撃は大きかったという、、、
そりゃそうだわな、だって戦闘があるたびに敵航空母艦4隻轟沈、3隻撃破、
敵航空機撃墜2百機以上、我が方の損害は軽微、なんて嘘っぱちを
毎日聞かされていりゃあねえ(-o-)y=~~~。
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