著者:柳田邦男。全6巻。文春文庫。作品一覧へ
84年「飛翔篇」、85年「熟闘篇」、90年「渾身篇」刊行、93年に全6巻で文庫化。
零戦対グラマン。第二次大戦の勝敗を決した大空の対決は、日米両国の技術と国力、 価値観の対決であったという。 そのとおり、昭和十二年に試作され皇紀二六〇〇年に制式採用された零戦を 終戦のときまで第一線で主力戦闘機として使うしかなかった日本と、 開戦時はF4Fだった空母戦闘機が次々に新型と交替し、 終戦時には全てF6FとF4Uだった米国ではあるが、 敗因をただその圧倒的な国力差のみに求めるのは正しくない。 たとえば「戦果判断」ひとつとってみても、 現代の日本人にも共通して見られる「甘さ」があった。 日本の戦闘機設計者たちは、性能向上を至上命令として、機体の重量を一グラムでも 減らそうと、神経をすり減らしたが、アメリカの設計者たちは海軍からの指示で、 重量が多少増えても、必要なものは装備していく方針だった。 これを設計思想の違いと言ってしまえばそれまでのことだが、 減らされるが防弾装置とあってはたまらない。 こういう発想の究極が特攻作戦のようなものに 繋がるのが日本人の本質だとは思いたくないが、、、。
ちょっと横道にそれましたが、本作品は単なる零戦とグラマンの比較論でなし、 日米の国力差だけに全てを押し付けてしまう、よくありがちな安っぽい議論でもなく、 「あの戦争」についてとにかく言葉には言い尽くせないほどに幅広い面から 見詰め直していると感じられました。 「零戦」のプラス面とマイナス面を再評価したうえで、 その全てをきちんと子孫たちに伝えていくべきだと、心底思ったね。
米軍では日本軍機にコード・ネームを付けていて、「零戦」が「ジーク」と呼ばれていたのは有名な話ですが、 九六式陸攻が「ネル」、陸軍の九七式重爆が「サリー」というのは初見でした。 さらに三式戦が「トニー」、一〇〇式司偵が「ダイナ」、「雷電」は「ジャック」、 「銀河」は「フランシス」だって。ちょっと楽しみ方がマニアック過ぎる?(~_~;ちょっと長いけど重要なので引用します
源田中佐は、戦後に著した回顧録の中では、特攻作戦立案とのかかわり合いについて全く語っていないが、 桜花の開発に関する軍令部の意思決定に重要な役割を果たしていたことは確かであり、 その経緯から推し測るなら、大西中将の体当たり攻撃の構想に、積極的にかかわり合ったのは、 自然の流れであったろう。 特攻作戦に踏み切っていく経緯における、このような海軍中央の役割については、 従来の戦史の中では、あまり重視されておらず、大西中将の独断専行%Iな側面ばかりが 強調されてきた。しかし、中央の事前の合意がなければ、神風特攻隊以後、 あれほど急速に全軍特攻化への道は開かれなかったであろう。もういっちょ
戦果確認機(直掩機)「レイテ上空、レイテ上空快晴」
指揮官機「突撃態勢とれ」
攻撃一番機「トトトトト・・・(われ突入す)、ツ―――(=長符)」
戦果確認機「一番機命中」
攻撃二番機「トトトトト・・・、ツ―――」
戦果確認機「二番機命中」
攻撃三番機「トトトトト・・・、ツ―――」
・・・・・・
攻撃機任務の零戦は、「トトトトト・・・」と短符を打って、体当たりを目指して 突撃を開始したことを通報すると、今度は「ツ―――」と長符を打ち続けるのだが、 その長符がプツンと途絶えたときが、敵艦への体当たりに成功したか、 あるいは対空砲火を被弾した瞬間になる。 操縦桿を握る若者が一瞬にして肉片となって散るのである。つД`)・゚・。・゚゚・*:.。