新聞で見つけた気になる記事
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2002.6.18(火) 愛媛新聞「JR四国が181系特急リバイバル」
以前、車で北条バイパスを通っていて、予讃線を走る列車の撮影ポイントとして目を付けていた場所があった。今治に住む娘から、「松山に帰りたいので迎えに来てくれない。」と頼まれたことが、北条バイパスの途中にある粟井坂付近に立ち寄り撮影する機会になった。そこで撮影をしていると、年輩の女性が近づいて話し掛けてきた。言葉を交わしていると鉄道マニアらしい。私の他にも数人が列車の撮影をしていることもあり、今日は何か鉄道イベントでもあるのかと思い当たり尋ねてみた。その女性は、詳しい人がいるからと連れ合いらしき人に声を掛けた。近づいて来た人は、年輩の男性で、話し振りから夫婦ではなく鉄道仲間のようであった。何分か前に181系のリバイバル特急「しおかぜ」が通過したこと、松山駅構内で機関車の展示があることなど、親切に説明をしてくれた。
先程、何か昔見た懐かしい列車カラーの特急列車だと思いながらシャッターを押したのが今日のイベントの主役であることが分かった。帰宅して新聞に目を通すと、昼間説明してくれたことが大きく記事に取り扱われていた。この時撮った、181系気動車「特急しおかぜ」のリバイバルの姿を見ることが出来ます。お時間のある方はShiromoto's Photo Galleryにお立ち寄り下さい。

1999.7.17(土) 愛媛新聞「へんろ道」
愛媛県松山市在住の方が、「先輩・裕次郎」という題名で投稿された記事を見た。石原慎太郎氏(現東京都知事)が初めて参議院選挙全国区に出馬した時、弟の裕次郎さんが応援演説のため投稿者の母校八幡浜市立松蔭小学校を訪れた。その時、投稿者は「裕次郎さんが終戦前後の短い期間だが、疎開を兼ねて本当に松蔭小学校に在籍した」ことを知り、大変感激する。投稿者はその当時のことを振り返りながら、裕次郎さんの十三回忌を偲んでいる。
南海放送のミッドナイトシアターで、太平洋をヨットで横断した堀江謙一さんの話を映画化した石原裕次郎さんの「太平洋ひとりぼっち」を鑑賞した。ラストシーンに出でるゴールデンゲートブリッジの写真があります。お時間のある方は我が英語奮戦記にお立ち寄り下さい。

1999.5.9(日) 村上護の「季のうた」母の日の源流に遠山嶺見ゆ(野竹雨城)
何時の頃からか、母の日が近づくと、頼山陽の漢詩「冑山歌」が思い浮かぶようになった。随分以前のことであるが、大阪で働いていたとき、裏六甲の山なみが果てるあたりにポッカリと盛り上がった甲山(かぶとやま)へ、先輩に連れられて行ったことがある。ずっと後になって、父がこの漢詩を吟ずるのを聴くうちに、私の中で冑山(かぶとやま)と甲山が同じであると考えるようになった。このことがあって、毎年、この時期に、親への思いをつづった此の漢詩が思い浮かぶようになったのかもしれない。
漢詩の解説には「私は冑山を眺めながら常に往復している。瞑目して数えると山陽道を10回も往復していて、山の緑は少しも変わらないが、自分は年老いて髪が白くなった。然し故郷には更に老衰した親が居るので、又明年も此の道を下ることになるだろう。」と記されている。

1999.5.2(日) 多々羅大橋・ノルマンディー橋 姉妹提携
斜張橋では、世界一の主塔間890bの多々羅大橋と世界第二位の主塔間856bのノルマンディー橋(フランス)の姉妹提携である。他にも、シスターブリッジ(姉妹橋)として瀬戸大橋とゴールデンゲートブリッジ(アメリカ)や明石海峡大橋とグレート・ベルト橋(デンマーク)などが知られている。これらの提携を起爆剤として、産業経済、観光振興、生活、文化の交流と市民レベルの友好交流をさらに発展させてほしい。

1999.4.28(水) 温泉供給 3セク設立
大洲市は、昨年同市柚木で掘削された温泉について、各施設に温泉を供給する第三セクター会社を設立することを決めた。私は柚木に下宿して高校時代を過ごしましたが、大洲城や臥龍苑の水と山が造りあげた景観が忘れられません。開発により、この景観が損なわれないことを願っています。当時建設された市立市民会館はまわりの自然と不調和なため、「京都の竜安寺の石庭のそばに、お寺の奥さんが電気洗濯機を置いている」と例えられたことが思い出されます。