神奈川県立 小田原城内高等学校 学級通信
              池田 博明 
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 1977年4月〜1978年3月発行 学級通信Spinning Wheel¢1号〜17号
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 もとはタテ書き二段組み、ガリ版印刷。生徒名は仮名にしました。



学級通信 第1号 SPINNING WHEEL 1977年5月26日 小田原城内高校 1年9組

    一  はじめに      いけだ ひろよし

 高校生活最初の定期試験である中間試験が終わった。努力したが、ふるわなかった人もいるだろう。どんな結果が出るにせよ、重要なのは、その結果をふみ台にして、前へ進むことだろう。校内の試験は競争試験ではない。他人と点数を競い合うものではないのである。あえていうならば、自分とのたたかいである。授業を正しく理解できただろうか。これからの勉強に必要な知識を覚えただろうか。それを「ためす」のが学内の定期試験である。したがって、一点、二点を気にしたり、平均点と自分の点を比べてみたところで、たいした意味はない。
 一般に試験勉強は、試験前にやるものと思われている。だが、それは間違いである。試験のためにする勉強は勉強ではない。毎日の授業が勉強であり、広くみれば、日々の「くらし」が勉強である。「試験勉強」という特別なものがあるとすれば、それはむしろ試験後に始まるものである。どこが理解できなかったのか。どこがポイントだったのか。自分の勉強方法に何か欠点があったから、効果があがらなかったのではないか。同じ間違いをくり返さないように努めることだ。そうすれば少しずつ世界は広くなる。
 毎日の勉強や生活の中に、自分にとって新しい「発見」がなければ、ずいぶん単調で退屈な日々になってしまう。『知的生産の技術』(岩波新書)に梅棹忠夫が書いているような「発見の手帳」(発見したことを書きとめる手張)を持つのも、くらしをつくるひとつの方法だし、日記をつけるのも、またひとつの方法だろう。日記に毎日同じことを書く人はまれだし、たとえ毎日同じでも毎日同じことしか書けないということを発見するのも「発見」のひとつなのだ。
 赤子の好奇心を持って楽しく学ぼう。勉強する対象は、身のまわりにいくらでもあるのだから。

 
 「ほら、ユリシーズ!」と彼はいった。「本だ。ほら、これが本だよ!ね?ここに何か書いてあるんだよ」 彼は本の活字の中のあるものを指さした。「そこにAの字がある」と彼はいった。「あれがAだ、ほらあそこに。それから、一風変わった別の字もある。あの字は何だか知らないけど。どの字もみんなちがうんだよ、ユリシーズ、そしてどの単語もみんなちがうんだ」 彼はため息をつき、全部の本をぐるっとながめた。「ぼく字が読めるようになろうとは思わないけど」と彼はいった。「でも、本になんて書いてあるか。ほんとに知りたいなあ。ほら、ここに絵がある」と彼はいった。「女の子の絵がある。この子を見てごらん、きれいだ、ね?」彼は本のページをもっとたくさんめくって、いった。「ね、ごらん。たくさんの文字や単語が、本の終りまで、ずっと、つづいている。ここが図書館だよ、ユリシーズ」と彼はいった。
    (サロイヤン『人間喜劇』小島信夫訳・晶文社、p.186)

 求めよ、さらば与えられよう。たずねよ、さらば見いだそう。戸をたたけ、さらば開かれよう。すべて求めるものは与えられ、だずねるものは見いだし、戸をたたくものには開かれる。
    (「マタイ福音書」二三、前田護郎訳・中央公論社、p**) 

    二  学級作文より抜粋

 阿部よしえ(仮名)・・・・二月二十五日。入試の日、私は初めて城内高校に足を踏み入れました。その時、この学校に通えたらいいなと思ったのです。だから、こうして入学できたことは、私にとって、とってもうれしいことなのです。このうれしさを一生忘れないといっても過言ではないと思います。 (4.7)
 秋山きぬ子(仮名)・・・・第一印象として、もっとも強く感じられたこと、驚いたことというと、昨日の進路のこと。城内は女子ばかりだから、ノンビリしているなんてことを、一部の人達が言っていたのを聞きましたけれども、わたしも、そう聞いてホッとして入ったんですけれども、まさか、こんなに早く将来の事を決めるなんて、思ってもみないことでした。 (4.9)
 荒川一子(仮名)・・・・私ってなかなか本当の自分を出せない性格みたいで、仲の良い人にはよくわかってもらえると思うけれど。心配しょうで、小さなことでもいろいろと考えてしまうんです。でも冗談が好きで笑うことが大好き。うまく自分を表現できないから、いろいろなことで損しているみたいに思うけれど、小・中学校、そして高校と、いつでも、私の回りには楽しい友だちがいて、こんな私を助けてくれるのです。 (4.12)
 飯山千恵子(仮名)・・・・「私は自分が大キライだ!」この作文を書くことにしたって2日間で書いてしまえばよかったのに。ずるずるのばしてしまったので今日、やらなければいけないことが、増えてしまった。いつだっていやなものは後へ後へとのbそうとする。自分で「いやな性格だなあ」と思っているのに、全然なおすことができない。いつも表面だけしか、やっていないって感じ。  (4.15)
 岩崎つぐみ(仮名)・・・・私は、出発駅の次の駅まで乗るので、ほとんどすわれません。満員電車の中は、ほんとに気持ち悪くなります。中学校の時は歩きだったので、少し遅くなっても平気で、いつも友達と話しながら、てくてくと歩いて、遅刻ぎりぎりになって行って、スリルを楽しんでいたけれど、今はそんな事するゆとりがありません。中学の時は、高校というと、電車に乗って行くという、あこがれみたいなものがあったけど。 (4.15)
 上田しず子(仮名)・・・・クラスの人の名字と顔がほぼ一致するようになりました。一年間終るまでに、一人一人を理解するなんて事はまず無理でしょうけれど・・・・。強いクラスになったらいいです、ね。強く強くたくましく・・・・。 (4.19)
 碓井美智子(仮名)・・・・今日やっと日直が終わった。中学の時は女子二人で一日だけだったせいか、あまりたいへんだとは思わなかった。しかし、今回、責任感というものを強く感じた。やはり、二人でやるということは二人に責任があるだろうし、また、「あの人がやってくれるからいいだろう」など考えていれば、責任感なんてまったく薄れてしまう。一人でやるとなると、たよる人もいない。仕事をやるのは自分だ。もちろん協力もあるが。   (4.21)
 内田弘江(仮名)・・・・中学を卒業して高校に入りましたが、なぜか、今までと同じクラスにいるような、そんな感じで困っています。みんな知っている人に見えるのです。けれど、実際には、全然知らなくって、まだ話をしていない人もたくさんいます。   (4.23)
 内野とし子(仮名)・・・・私は、中学三年生の時、初めてラケットに手を触れ、台の上を走る白い球に、とても魅力を感じた。だから、大きな夢を希望とともに、卓球部へ入部した。しかし、それは私の期待を裏切った。練習は毎日柔軟ばかり。一打球もさせてくれない。手足はもちろん、体のあらゆる部分が痛くなり、最後には、体は動かなくなる。私はそんな練習に不安を感じ、何度もやめようと思った。そんな時、先輩が私を励ましてくれた。「ファイト」この一言が、私に希望を持たせてくれた。私は二度と卓球をやめようと考えたりしない。ずっと続けていく勇気がわいてきた。 (4.28)
 遠藤このみ(仮名)・・・・月日がはやく過ぎ去ること自体は決して悪くはないと思う。ただ。その短い中で、自分がどれだけのものをして、どれだけのものを得たのか。それが大切なのではないだろうか。だから、その月日の中に、楽しいこと、悲しいこと、うれしいことの思い出をより多く持っている人が、大変うらやましい。 (5.4)
 浦 しいみ(仮名)・・・・いやな事ばかり、目について、イヤになる。そういう精神的な面から来ているのかわからないけど、体の調子も良くないし、とにかく現在(いま)はつまらない。原因は何bなのか、はっきしている。今を、精一杯生きることのできない自分に私自身、ため息ばかりついて、少しも進歩できなくなってしまって。自分の考え方次第で、いろんな事が変わってくるんだもの。がんばらなくっちゃ。新しい仲間だって、たくさんいるし。とにかく、“希望に燃えよう”。 (5.6)
 
 加藤すみ子(仮名)・・・・中学の一年生のはじめのころは、友だちがたくさん迎えにきてくれていたのですが、迎えにくるのが早すぎて、私は、いつも出ていくのが、おそくなってしまい、友だちは、いつからか、迎えにこなくなってしまいました。それからは、小学校時代の友だちといっしょにいくようになったのですが、その友だちも出てくるのがおそくて、今度は、私がまたされるようになりました。雨の時も、寒さにふるえる冬にも、まっていたことを思い出します。毎朝、毎朝、雨の降る日は、はねを飛ばしながら走ったものです。冬は持久走をしているみたいで、暑いくらいでした。  (5.7)
 勝俣よし子(仮名)・・・・今、自分から一生懸命やりたいものがある。それは、児童部のはり絵の仕事である。まだよくわからないけど、自分達で作ったもので、子供達に向って話をする。人に勧められて入ったクラブだけれど、今はよかったと思っているし、もちろん入ったからには、最後まで一生懸命がんばるつもりである。  (5.10)
 金沢菊子(仮名)・・・・ふと、今日、卒業文集を、開いた。とてもなつかしくて、友達を、思い出しながら読み始めた。写真を見ると、その人が目の前に、立っているような気がしてくる。話しかけたって、答えてくれない写真の友達へ話しかける。やはり、笑いかけてくれるだけ。声は聞こえない。家は近いのだけれど、卒業式以来、一度も会うことができない友だちもいる。ただこのひと時が、みんなと語りあえる大切な時なのである。ただの写真だけれども、いろいろな思い出を二人で語りあったようなそんな気持ちで、うれしくなってしまいます。 (五・十二)
 熊沢いちえ(仮名)・・・・今でも時々、私は考えてしまいます。もしもあの時・・・そうです。もしも二月二十五日の入試の日、失敗をして城内高校へ入学できなかったとしたら、私はどうしていたでしょう。・・・・今の私には見当もつきません。けれどこれは。もしかしたら本当におきていたかもしれないのです。そう考えると、人間の長い人生にとって、その一時が、その一瞬が、どんなに大切なものなのかを、知らされます。今日という日は、もう二度と訪れないのです。決して・・・。  (5.14)
 後藤ひろ子(仮名)・・・・おなかのすいた少年は/時を食べてしまった/少年は人形になった
 私がまだ小学校のころに読んだ童話の冒頭に書かれていた詩である。この世の中で最も確実で人間の自由に動かすことのできないもの、それが時である。新入生歓迎会で演劇部が時をテーマにしていた。時が流れなければ私達は前に進めない。しかし止まることはない。中学の時までは今ほど時の流れを感じたことはなかった。何故・・・・ (5.17)
 西郷りか子(仮名)・・・・今日だれかがこんなことをいっていた。「9組って、みんないい子ばっかりじゃん。すごくいいクラスだよ。9組がいちばんいいクラスなんじゃない?」って。私もそう思う。私みたいのでもなじめるすごくいいクラス。そんないいクラスにいるんだから、もう前みたいな私には絶対なりません!  (5.19)


   三  高校生の現在、私の現在    いけだ

 村田栄一の学級通信『ガリバー』(社会評論社)の向こうをはって、発行する「スピニング・ホイール(紡ぎ車)」の題名は、有名なロック・ナバーのそれである。しかし、思いのほどは井上陽水の「二色の独楽(こま)」といったところ。

   まわれ  まわれ  二色の独楽よ  色をまぜて  きれいになれ
   女はさみしい    男は悲しい    さみしい  悲しい   独楽がある
    まわれよ  止まるな   いつまでも    止まった時  春も終わるよ
 
 高校二年の九月、斎藤次郎『若き日の読書』(三一書房、高校生新書)を読んで、本をどう読むかを学んだ。いわゆる名作案内とはまるでちがうこの本には斎藤次郎の精神の軌跡があらわれていた。自分でえらんだ本と自分をどう関わらせていくか。その方法b論がつかめた。渋谷の子ども調査研究所所員である斎藤次郎は『若き日の読書』を書いた頃、二十九歳であった。現在、彼の『子どもたちの現在』(風媒社、昭和五十年)等を読むと、おとなと子どもは同じ空気を吸っていることを、したがっておとなの問題は子どもの問題であることを共通の認識とすべきであるように思える。マージナル・マンたる高校生とて同様であろう。50部発行。

 【三十年後の付記】最初から、生徒の文章が学級通信の本命だと考えていた。日直は一人で二日間を担当する、その間に四百字一枚の原稿用紙に作文をして提出することを課した。日直のやらせかたや仕事の内容は学級担任によって違っていた。私の場合は日直の最初の仕事は朝、始業前に職員室の担任のところに来て連絡事項や配布物を受け取ることであった。前日に日直の生徒の机上に置いておく資料もあった。朝のSHRのときに日直はその日の配布物を配り、連絡事項は脇の黒板に記す。そして読みあげる。授業が終わったら黒板を消す。黒板消しをきれいにする。当時は黒板消しクリーナーなどという機械は無かったので二つの黒板消しを打ち合わせてチョークの粉を飛ばす。制服が白くなる。学級日誌を書く。
 作文は公開を前提としていた。すると、どうしても文章はよそ行きのものになるだろうと考えた。それでいいのである。社会で必要なのはよそ行きの顔なのだ。ホンネもオブラートにくるんで出すのが礼儀である。それが人間関係を創るのだ。


学級通信 第2号 SPINNING WHEEL 1977年6月13日 小田原城内高校 1年9組

      勉強について    本校教諭  鷹野 宏 (仮名。社会科)

 ・人口に勉強といっても色々な勉強がある。例えば、
  1 (イ)時と場合による勉強 → 小学生の勉強、高校生の勉強、受験勉強、期末テストのためetc.
    (ロ)時と場合に無関係な勉強 → 教養としての勉強、修養としての勉強etc.
  2 (イ)獲得の勉強 → 憶える勉強・自分がそうなるための訓練
    (ロ)創造の勉強 → 創作・研究・考える勉強
  3 (イ)教えてもらう勉強 → 学校の勉強・家庭のしつけ
    (ロ)自分で学びとる勉強 → 他人や書物にふれて気づくもの
 ・学生さんの仕事は勉強、大工さんは家をつくる、事務員は事務をとる、タイピストはタイプをうつ、主婦は家事にいそしむ、学生は・・・勉強が仕事、人間何か決まった仕事がなかえればたいくつで世の中の無用者とされる、学生は勉強が仕事、くり返す、つまり勉強がきらいなもの、勉強しない者は学生の値打ちがない、それは社会の無用者である。
 ・学生はすべての時間をあらゆる勉強に有効にふりあてることが大切。最初に分類したすべての項目について勉強しなければならない。
 ・勉強のためには、絶対許されないもの、ものぐさ・甘え・依頼心・自己満足
 ・勉強のために必要な心がけ・・・・やじ馬根性(つまり好奇心→探究心→研究心)、自分に満足しない心、自分の能力に挑戦すること、くだらない人間にはなりたくないという願望、勉強は苦しいことという覚悟、そしてその苦しみが楽しみとなることを信ずること
 ・具体的な心がけ(私のif集)
   ◆もしマンガを読むのなら、そのセリフを英訳しよう。フランス語ならどういうかしらなどと考えてみよう。
   ◆もしシラブレターを書くのなら、全文英文で書いてみよう。平安貴族の真似をして古文で書いたらどう?
   和歌を作ってもよい。
   ◆もし食事をするのなら、それらの食品の原料について産地、栄養価、価格、流通過程を考えよう。
   そしてもし口に入れたら最後に排泄されるまでの内臓の働き、酵素の種類を考えてごらん。
   ◆石につまづいて転んでケガをしたら、その石の種類、性質を考えよう。
   この時おぼえたものは死ぬまで忘れない。
   ◆もしロックのリズムを聞いたら、これが琴や尺八でできないものか、ためしてみよう。
   ◆もし、おさしみを食べるなら、マグロのさしみに、アンコかジャムをつけて食べてみよう。
   (何でもためしてみること。研究心の育成である)
   ◆もし誰か他人と出会ったら、その人が上品か下品か観察しよう。そしてそのあとで鏡を見よ!
 ・学校での心がけ、家庭での心がけ
   1 学校の授業をあてにするな。自分で先にどんどん勉強し、教えてくれる教師がどの程度の学力か、興味を持って考えてみること。
   2 テスト問題を自分で作ってみること。それで自分をテストしてみるとよい。
   3 便所の中にメモ用紙とエンピツを用意せよ。便所の目の前の壁に、おぼえるべきものをかいてはっておけ。おぼえるまで出てくるな。
   4 毎日、日記を書け。英文で、漢文で。
   5 毎日、新聞の一面、二面を全部、読め。
   6 予習をしない学生は最低である。
    (思いつくまま記す)
 以上は、二年のLHR係の先生がまとめられた「学習方法の研究」中の鷹野先生のご意見である。知的なユーモアにあふれている。基本姿勢は一、二年共通であろうと思うので紹介した。「私のif集」は傑作。それぞれ自分の「if集」を作ると面白い。(池田記)
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      教科攻略法       いけだ ひろよし

 自らの高校時代を思い出しつつ、個人的な教科攻略法を記す。万人向きの方法かどうかは知らない。勝手な思い出話である。

 1 総説
 新しいことが好きだった。知らないことを知るのが楽しかった。「なぜだろう」と疑問を持ち先生を質問攻めにしたエジソンが好きだった。小学校四年にクラスの班別の劇で「エジソン伝」をやったことがある。私は演出と脚本と、かけ持ちで何役かをやった。

 2 現代国語 攻略法
 たいていの本は日本語である。したがって、ほとんどすべての教科書は現代国語の副読本である。本を読むのが好きで手当たり次第乱読した。毎日、昼休みに図書館へ行き、本を借り、家で読んで、二、三日後に返却した。本を借りない時も図書館へ行って、雑誌を見たり、本の背表紙をながめたりしていた。先生のすすめる本や文学史にのっている本は、反攻して読まなかった。もっとも、大学一年の夏休み、漱石全集を読んで、とても感心したのだから、別に意味ある反抗をそていたわけではない。気まぐれであった。夏目漱石の『それから』はいい。
 テストの時に必死で問題文と格闘し、白い余白を残さぬよう、つとめた。答案で納得いかないところは先生に質問し、くい下がった。一生懸命考えたのに間違いだとされたときは、残念だ。テスト中に考えることは意味があると思う。
 
 3 古典 攻略法
 古文や漢文は、私たちにとっては、外国語と同様である。だから、辞書を使う必要もある。原文を覚えるのがいちばんにい。音読していると、調子がいいので、覚えられる。参考書は学習研究社の『文法中心 古典文解釈の公式』と『古典単語の整理法』(B6版)・・・以上、古文。『3D 漢文』・・・漢文。他にいわゆる参考書は使わなかった。教科書には一節しか出ていないので、図書館に行って全文を読んでみた。数学の先生が『源氏物語』の愛読者だったので、一年に一、二回、先生に申し入れて、数学が『源氏物語』の時間になった。テキストも何も見ず、系図や人間関係を板書される先生に感嘆したものである。

 4 数学 攻略法
 友だちと協力して、演習問題をそれぞれ家でやってきて、授業中に交換して、相手のレポートに朱を入れた。つまり添削したのである。解き方がいろいろある場合、思いもよらぬ解放を相手が示してくれて参考になった。数学は不得手だったが、好きだった。

 5 英語 攻略法
 英語は「読み」「書き」「暗記する」こと以外に方法がないが、ポイントはいくつかある。そのひとつはアルファベットは表音文字だということだ。読み方の分からない単語が出てきた場合、ローマ字読みにすれば六〇%は正しい。あとの四〇%を克服するためには、つづり(スペリング)と発音との関係について若干の知識を必要とする。まず、アルファベットには母音(アイウエオ)を表す文字と子音を表す文字があること、子音にも仲間があること、たとえばPは唇裂音無声音だが、有声化すればBになる。これらのことは経験的になんとなく知っているはずだが、それをはっきりさせなければ力に結びついていかない。発音記号を覚えるのがいちばんの近道だろう。
 くりかえしていうが、デタラメでもいいから、スラスラ読めなければ、絶対に力はつかない。テキストのどのページでもいい、はじめてみる英文を読んでみることだ。
 マンガ家の萩尾望都が、必要あって英語を習い直したとき、教師が「あなたはtの音が出ていません」とか「hの音が抜けています」と注意するのに新鮮さを感じ、OCEANを、なぜオーシャンと読むかがわかったと書いていた。オー、シー、イー、エン、これを早く言うとオーシャンになるのである、と。これはほんとうの話である。そして、この考え方は正しいのだ。
 原書のテキストを読むのもいいだろうし、音楽の好きな人は歌詞を訳すのもいいだろう。読みたいものを読んでみることだ。英語は思想を表現するものであって、英語に使われるべきでない。

 6 理科 攻略法
 理科も社会も日常の中から問題を見つけ出す努力をすることだろう。なぜだろう、なぜかしらという疑問をもって生活すること。理科は習い覚えたことを、自分で作った問題でも、市販の問題でも使ってチェックするのがもっとも効率がいいだろう。

 7 社会 攻略法
 教科書をまず通して読んでしまうこと。興味をそそったところにはアンダーライン。新聞や歴史書、地誌等、自分の興味のあるところを足がかりにして、手を広げるのがいいだろう。私は日本の戦後史や、ルネサンスから宗教改革の時代に興味があったし、国ではアメリカ、アフリカ、西アジアに興味があった。関心を持って身の周りをみることから、すべては始まるだろう。
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     アーサー・C・クラーク著『2001年宇宙の旅』(ハヤカワSF文庫)より
 今この世にいる人間ひとりひとりの背後には、三十人の幽霊が立っている。それが生者に対する死者の割合である。時のあけぼの以来、およそ一千億の人間が、地球上に足跡を印した。
 この数字は興味深い。奇妙な偶然だが、われわれの属する宇宙、この銀河系に含まれる星の数が、またおよそ一千億だからだ。地上に生を受けた人間ひとりひとりのために、一個ずつ、この宇宙では星が輝いているのである。
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 クラークの短編『前哨』をもとに、クラークとスタンリー・キューブリック監督は映画『2001年宇宙の旅』を作りあげた。SF映画最高の傑作と言われている。

     学級作文より 抜粋
  
 神保ゆみ子(仮名)・・・・高校に入ってはじめてのテストも、ようやくおわり、ホッとしているところです。しかし、ホッとしていられるのもわずか。答案用紙が返されれば、たぶんショックを受けるだろう。後悔しないよう、自分なりに一所懸命勉強したなら、悪い点でも仕方がないと思うが、今回のテスト勉強については、自分自身反省するところがたくさんある。中学の時もそうだったが、勉強を本格的にやり始めるのは、だいたいテスト五〜七日前ぐらい。その日に習ったことは、その日のうちに覚えてしまえばいいと思う。・・・(中略)・・・自分が、その気にさえなれば、テレビの誘惑にだって、ねむ気の誘惑にだって、勝てると思う。しかし、今はまだ、誘惑に勝つ自信がない。つまり、自分に対して甘いのかもしれない。もっと自分にきびしくし、一日一日を有意義にすごしたいと思っている。(5.26)
 柴田ふみ子(仮名)・・・・井上ひさしさんは娘の教育についてこのように言っている。「私が娘たちに何の干渉もしないのは、娘は一人の人間であって私たちの持ちものではないからです。自由に育って欲しいんですね。だから父である前に人間でありたいと思っているんです。子供をしからないのも、口先でいろいろと言うよりも親自身の行動で教えるのが一番なんです」。なんとなく放りっぱなしのような冷たいことば。でも、このことばには、両親の気持ちが十分に含まれているのではないだろうか。なんといっても、父が自分の娘に対して、一人の人間として尊重しているところ・・・・私は感心してしまった。それに、「口先で叱るより・・・」ということばに、親のt強さや偉大さを感じた。(5.27)
 渋谷尚美(仮名)・・・・共学校から女子校へのまよえる抵抗があって、私は入学した。いや、私だけではなく、そのような考えをもっていた人は、かなりいただろう。ところが、わずか二ケ月のうちに、テストに追いまわされ、そのような気持ちを忘れかけていた。でも、テスト勉強をしているときなどに、ふと、中学のとき、同じグループの男子と数学の点の取りっこをしたことを思い出し、なつかしく思う。しかし、女子校とはいえ、この中間テストの結果を見て、男子にも負けないくらい数学に強い人が多数いることが分かり、いつも競争して、頭をみがかなければいけないと思った。そして、進学するしないにしても、これからは、毎日前進しなければならないと感じた。また、良い友を得て、良い大人に成長したいと思う。  (5.29)
 杉本洋子(仮名)・・・・中学校に比べて、多種多様のクラブがあるのに驚いた。また、上級生のクラブへの勧誘の積極さにも驚かされた。
 私は琴の音色のすばらしさに感銘を受けて、筝曲部に入部した。部員がお琴の数に比べてたいへん多く、練習は放課後や朝の時間等のあいまを利用して、自主的に練習していかなくては、皆についていけません。
 まだ、七の弦だ、九の弦だ、と言われても、13本の弦をうまくこなせなくて困っています。二年生のひいているのを聞くと、本当に聞きほれてしまいます。たった一年で、先輩の様にひけるようになれるのか心配です。・・・(中略)
 姿勢や指の形に注意し、練習に練習を重ね、クラブに、そして勉強に一生懸命頑張るつもりです。(5.29)
  
 杉山初美(仮名)・・・・今、わたしは十六歳。
 高校生として出発したばかりです。
 今までとはまるっきり違う高校生活、わたしはそれをただ毎日精一杯頑張っているだけ・・・・それが十六歳の青春かもしれない。
 でも青春ってなんだろう。青春時代っていつなんだろう。知らず知らずのうちに青年期に入っている私たち・・・・。わたしたちは、この時期になにをすれば、悔いがのこらないのだろう。
 ただ自分なりに精一杯やればそれでいいのかもしれない。
 でもなにか雲をゆかむような気がする。
 わたしにとって一度しかない十六歳。これをどのようにして過ごせばいいのかわからない。今まで、自分の年に対して考えもしなかったのに、義務教育から離れた今、わたしはわたしを考えてしまう。 (5.31)
 鈴木未知恵(仮名)・・・・自分がたくさんいる。
 鏡に映った私は一人だが、それは外見であって本当の姿ではない。
 自分がたくさんいるということは、悪いとは思わない。なのにどこかで悪いと思っている。矛盾・・・そう矛盾である。
 今日の自分に満足できないと明日は違う自分を造り、それに満足できないとまた違う自分を造り出す・・・・というように同じことをくりかえしている。
 時には、自分を落としてきてしまう。捜し拾うことは困難なことだろう。
 自分をたくさん持つということは、どういうことなのだろうか。
 それは、自分に嘘をついて、まわりの人に嘘をついて“嘘”を材料に造りあげる“嘘の自分”なのだと思う。それを心の内に隠し許す。
 自分をひっくり返して、本物の自分を捜す。それを見つけた時、私はもう若くはないだろう。(6.2)
 
 鈴木秀見(仮名)・・・・わたしが中学二年の時も、日直がノートに悩みとか、おもしろい出来事とか、クラスの問題点など、どんなことでもよいから、そのノートに書いて、みんなに読んでもらって感想を書いてもらったりしていたことがありました。わたしは何回か書きました。みんなのも読んでいろいろ感じたりしました。だからその時のクラスはよくまとまって、みんな仲良く、勉強したり、スポーツをしたりしました。この前、先生が印刷してくださったのを読みましたが、なんとなく物足りないって感じがしたのです。これは、わたしの提案ですけど、みんなが書いた作文集を日直の番になった時、家に持ち帰って、みんなの作文を読み、それから自分で作文を書いて、その作文集の中にとじて、学校に持って来て、先生に渡して、それを先生が読み、二言か三言書き添えて、次の日直に渡すなんてどうかな。 (6.6)
 鈴木町子(仮名)・・・・夏の妖精がおりてくる。あたりいちめんに緑や青の絵の具をまきちらし、虫を起こしている。
 「トントントン、とんぼさん起きて下さい。そろそろ仕度をしないと間にあいませんよ」
 「あーあー。ねむいよー。でも、羽もめがねもそろそろみがかなくちゃ。ありがとう、妖精さん。あっ、蝉さんがあんなところで鳴いている」
 「まあ。ずいぶん早起きな蝉さん。ちょっと呼んでみましょうよ。蝉さんー。蝉さんー」
 「やあ、妖精さん。こんにちは」
 「こんにちは、蝉さん。どうしてこんなに早く鳴いているの?」
 「ぼくは、先頭が好きなんだよ」
 「まあ、おもしろい蝉さん」
 「じゃ、また会いましょうネ」
 「さようなら、蝉さん」
 「さようなら、妖精さん」
 私が幼稚園か小学校一年か二年のころだったら、きっともっと新鮮に想像力豊かにお話できたかもしれない。いつの間にか、夢が現実のものとなり、あたりまえになってしまう。きっと高校生活もそうなるだろう。だからといって、私はあきらめを持っているわけではない。十六歳という若さ、その未来にはやっぱり夢があり、可能性ということばが含まれているのだと思う。私は今この時、この青春をせいいっぱい生きたい! (6.7)
 瀬戸美津子(仮名)・・・・朝、私は8:02の小田急線に乗っています。その電車はいつも満員でおしたり、おされたり、息もできないほどです。その大勢の人々の中に私はがんばって自分の陣地を確保しているのです。時にはその陣地が人から足を踏まれなくて、とてもスバラシイ場所だったり、時には一日平均五回以上は足を踏まれなくてはならない恐怖の場所だったり、その日その日の運勢で決まってしまうのです。 (6.9)
 関根土岐子(仮名)・・・・入学してまもなく私は、ある不安でいっぱいでした。というのは、二つも年上の私が、はたしてみんなと一緒にうまくやっていけるだろうか。みんなの中に、とけこんでいけるだろうかという不安でした。しかし、その不安も、いく日もたたないうちに、どこかへ消えてしまいました。自己紹介や休み時間などを機会に、みんなとの距離が自然とだんだんに近づきつつあるのを私は感じました。
 まだほんの2ケ月ぐらいしか過ぎていないのに、本当に前からの友達だったような、そんな気さえもしてきたのです。
 それに私が足が悪いので、何かとみんなに助けてもらう事も多分にあります。また私はからだが弱いので、よく学校を休んだりします。そんなとき、休んだ時のノートをとっていてくれて、いつも私に渡してくれたり。
 本当に心から「ありがとう。」と叫びたい気持ちで、いっぱいです。そんな中で私は、今さらのように「仲間」っていいな、と思うのです。
 これからも仲間を大切にし、一年九組の一員として、みんなと協力していきたいと思います。(6.11)
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    LHR(ロングホームルーム)の記録  LHR記録ノートを参考
 [1]中学と高校のちがいについて 4月15日  みんなで歌う「四季の歌」
 [2]遠足について(コース・班)  4月22日  「学生時代」
 [3]進路希望調査転記・生徒会役員立候補選出 5月6日  「銀色の道」
 [4]クラスのまとまり   5月13日  「大きな古時計」
 [5]学習について    5月27日  「真夜中のギター」
 [6]合唱パート・指揮者・伴奏者決定  6月3日
 [7]学習カード記入   6月10日  「夢路より」

 おたがいに、協力しあって、生活していこう。


学級通信 第3号 SPINNING WHEEL 1977年6月17日 小田原城内高校 1年9組


      メモ ランダム   池田  

 *ファラデー『ロウソクの科学』(岩波文庫)から矢島祐利の「はしがき」の一部
 ファラデーは一七九一年、ロンドンから少しはなれた所に錠前屋の子として生まれた。名はマイケルといった。家が貧しかったから小さいときから製本屋で働いていた。製本の見習いをしているうちに、本をとじるだけでは満足できず、中をのぞいてみるようになった。そうして、とくに化学や電気に関する所に興味をもった。今度は本に書いてあるのを読むだけでは満足できなくなり、いくらもない小使い銭の中から薬品などを買って来て、化学の実験を自分でやってみたりするよいうになった。
 大岡信『詩への架橋』(岩波新書)より(68頁) 窪田空穂(うつぼ)の長歌・・・・空穂は大正の歌人。妻の死にあって詠む。

   子等との別れ   窪田空穂
 四月四日(うづきよか)夕べに死にし、其の朝の妻が姿は、眼(ま)のあたり見つつある如(ごとく)、眼間(まなかひ)に打ちかかり見ゆ、生(い)くらむと家族(うから)は思へ、死ぬべしと正(まさ)しに知りて、云はむ事今はあらずと、思ひたる妻にはあれど、生みの子の愛(かな)し二人子(ふたりご)、いはけなき女男(めを)の童(わらべ)に、事分きて別れはせむと、枕辺に坐らしえmたり。何をかも云ふと怪み、其面(おもて)目守る二人子、懐かしみ見返しつつも、其母の諭し云へらく、汝等(いましら)は祖母(ばば)を頼みて、はぐくまれ育ちは行けよ、然(さ)は母にさらばと云へと、教ふるや別れの言葉、兄の子は心悟れど、えは云はず教ふる言葉、妹は如何に思ふや、いといたく怖ぢて見ゆるに、さらば此母が手執れと、さし伸ぶる細き其腕、兄の子は言(こと)のまにまに、小さき手に握りはすれど、妹は更に怖ぢて、母が手を脱るとならし、その諸手(もろで)胸に掻抱き、眼を側め身を反らしたり。この母は汝がために、玩具を振りては、やりき、其の手をば貸しねと頼み、眼に笑みて媚びて見すれど、いや更に怖づるや童、今はしも泣かむとするに、術(すべ)なしや伸ぶる母が手、労(つか)れて来打震ふなり。然は母が顔怖(こは)からし、然ならむと侘しみいひつ、はづかしみ面隠すと、其枕かへして子等に背(そむ)きつるかも。
  別れをば云へと教ふれいとけなき子等は怪しみ云はむとせなく

 母親の臨終の枕元に呼び寄せられ、最後の別れの言葉を言えといわれて、かえって尻込みし、おびえ、母のさし出す手をも必死にのがれようとする幼い女の子。彼女は母が手をにぎろうとすればするほど、自分の両手を胸にかき抱いて隠そうとし、母から眼をそらし、身をそらしてその手からのがれようとする。それをなだめすかし、笑顔を作って媚びてみせる母親に、幼な子はいっそうおびえる。臨終の人の手はつかれてうちふるえ、「そうね、母さんの顔はきっとこわいでしょうね、そうでしょうね」とさびしくつぶやく。「はづかしみ面隠すと、其枕かへして子等に背きつるかも」という結句にこもる無限の悲痛は、読む者の心をしばし凝然とさせずにはおかない。


       綱渡り    山崎ハコ 作詞・作曲

 綱渡り 私の毎日は 綱渡り  昨日と今日の間
 落ちそうで 綱を握る  宙ぶらりん  (以下 歌詞 全文) 【ここでは略す】

 
       ロック・オペラ 『黄金バット』  東京キッド・ブラザーズ

    (曲と語り 内容紹介)  【ここでは略す】

 視聴覚室でレコード・コンサートを開いた。


学級通信 第4号 SPINNING WHEEL 1977年7月8日 小田原城内高校 1年9組

         ネロ    愛された小さな犬に   谷川俊太郎 (『二十億光年の孤独』より)

    詩全文を引用   【ここでは略す】   
   

         Mのこと      池田 博明

 六日夜、NHKテレビで「法の周辺」第1回≪死刑≫を見た。ギルモアの処刑をめぐってスポットをあびている死刑復活、死刑廃止の動きを取材した番組で、取材側のつっ込み方が甘く、半煮えの出来ではあったが、死刑囚が決して異常人でないことを映しだした点が興味深かった。私は見ながら、高校時代の同級生Mのことを思い出していた。あいつは今どうしているだろう。
 「まったく、わからないよ。僕には。どう考えたらいいのか。混乱した。絶対に読みなよ」と、Mが言って、紹介した本が、アルベール。カミユの『ギロチン』だった。死刑廃止を力説したものである。私は死刑のことなど考えたこともなく、身近な死を体験したこともなかった。それだから、カミユの切迫した感情がうまくつかめなかった。ピンと来ないというと、議論を期待していたMは少しガッカリしたようだった。
 高校三年になると理系と文系のクラスに別れる。私は理系で、Mもそうだった。席がすぐ前だったので、一緒に勉強することがあった。数学の問題をおたがい、なおしあったり、授業中であれ、休み時間であれ、納得いかぬところを話し合ったりした。Mは率直なので、先生の意見と自分の意見が違うときには、すぐそれを口にした。先生の意見に最も異議を唱えることが多かった。そして、自分が間違っていると気がついたときにはすみやかに、それを認め、自分が間違っていないときには、あくまでも引かなかった。私も応援した。Mはのびのびと授業に参加していた。
 理系クラスにもかかわらず、Mは東北大学の法学部に進学した。私は理系に進むか、文系に進むか迷ったあげく、文系の教科は独学できると断定し、理系クラスに進んでおけば後で文系へ転換もできるという考えを持っていたくらいだから、Mの転身は他人事とは思えず、よくやったと拍手を送った。国立大学の入学試験は文理とも五教科受験だったから、こんなこともできたのだろう。
 私は結局、文系へ転身せず、北海道大学理類へ進学したが、人類学を勉強しようと思っていたから、文理の接点を目指していたことになる。折よく河出書房新社からデズモンド・モリス『裸のサル』という動物学の視点で人類を見るという著書が出版されたのも刺激になっていた。いまの時点でみると、この本はいかにも大向こうをねらった書き方をしていて、大胆な説が独断的に展開されているのだが、当時の高校生にとってはそれがかえって刺激的だったのだ。
 Mは東北大学へ進学したのち学生運動に身を投じ、「全共闘」ノンセクト・ラディカルの闘士として活動した。東北大学は1970年度、長いロックアウトが続いてほとんど授業が無かった。数通、手紙をやりとりした。「全共闘とひとからげに決めつけるな。みんな、ちがった人間だ」という一語が、私の胸に残った。当時の大学紛争の雰囲気を正しく伝えることはとても困難だ。ゼンキョウトウとか、ロックアウトとか、大学当局とか造反有理とか、そして高校紛争とか、こういったことばが持っていた感覚を共有することは、むつかしい。加えてあまりにもひとりひとりがちがっていた。「統一」ということばは偽善的に響いた。「無秩序」だった。平常授業が行われるのを「正常化」といったが、はたしてしそれが正常なものなのかどうか、だれもが疑問を抱えていた。
 大学紛争を「若気のいたり」として片づけたり、権力に無意味に反抗しただけだとか、学生は社会を知らなすぎるとか言い棄てて、すむ人間を私は信用しない。ひとつの理屈で説明がつくほど単純ではなかった。ひとりの抱えている問題が複雑で、ひとりびとりがまた相当にちがっていた。そのことに気づかせてくれたMに、私は今でも感謝している。
 私の立場を表明しておく必要があるだろう。一口に言って『いちご白書』的だった。ブルース・デービソンとキム・ダービーが主演し、スチュアート。ハグマンが監督し、ジョン・レノンの「ギヴ・ピース・ア・チャンス(平和に機会を)」が使われたMGM映画、『いちご白書』を札幌スカラ坐で見た後、私はこれでいいんだ、これが真実だと思った。それ以上の説明は、今はできない。自分でもよくわからないからだ。
 Mは仙台に下宿していたが、一年位たつと、どこへ転居したかわからなくなった。女友達の部屋に住んでいるという噂を聞いたが、本当かどうかはわからなかった。それ以来会っていない。『ギロチン』と「全共闘」の間に関係があるかどうか考えてみても、わからない。しかし、関係はきっとあるはずだ。それがいったい何なのかを知りたい。

   単純であることと複雑であることの差をはっきりと認識しなければならない。
   単純であることは、すでに一種の犯罪なのだ。(片岡義男『ぼくはプレスリーが大好き』角川文庫、p190)

 Mと会って話したい。たぶん私は批判されるだろう。面と向かって批判してくれる友だちを大切にしたい。

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学級作文より 抜粋
  
 田代博子(仮名)・・・・四月の末に友人五人と中学校を訪れた。ひさしぶりの中学校にみんな入るのにとまどってしまった。また、運動場で赤いジャージが動いているのを見ると、「あれ、同級生かな?」と思ってしまった。まだ中学生気分が抜けきれないようだ。それでも、校舎へ入ると、なつかしさがわいてきた。(わずか一カ月前なのに・・・・)。しかし、職員会議で一時間半くらい待たなければならなかった。その間、事務の先生方と、楽しく話した。OBになるとみんな大したもので、「先生、そのおせんべ、いいですか」など勝手に食べたり、もうすぐ結婚の先生に「新婚旅行はどこ?」「奥さん美人?」などとひやかしたりした。会議が終わり、いよいよ担任の先生に会えると思うと、みんなうれしそうだった。先生方も目を細くして「おっ来たか」とうれしそうにむかえてくれた。その上、コーヒーまで出してくれた(砂糖が入っていなかったのが残念。今度は砂糖を持って行こう)。また、先生方が新入生のことや、高校のことを一生懸命話してくれたのが印象的だった。(6.14)
 高田紀子(仮名)・・・・高校生になって、もう二カ月半が、過ぎてしまった。自然に今の仲間ともなじんで、授業にもついていけるようになった。私は進歩したのだろうか。
 学校までの通学も、いままでの徒歩通学から電車通学にかわった。今はそれに何の矛盾も感じない。私は進歩したのだろうか。
 今、他人に何が好き?と聞かれたら、私は迷いも泣く即「マンガ」と答えるだろう。たぶん、二十歳になっても、三十歳になっても、この答えは変わらないと思う。
 中学に入った頃は、マンガのマも知らなかった私が、三年たった今、自他共に認めるマンガ狂になっていようとは、誰にも予想はできなかったろうが、私が、こんなになってしまったということも進歩といえるのだろうか。 (6.16)
 高橋鶴美(仮名)・・・・私はとてもなまけ者です。それにいちいち何をするにも後で反省することばかりなのです。つくづくこんな自分がイヤになって、最近では、そんな自分を日記にぶつけています。しかし私は何をしても向上というものがありません。それはやはりなまけているからです。何て私はなまけ者なのでしょう。・・・・・こんなだめだらけの私ですからこのままずるずるとこの状態を持続していったら、それこそどこまで落ちていくことか。そこで、私は三つ、四つ手を打ちました。その計画の一つは、私のなまけ心が邪魔をして、つっかかっていますが、後は順調です。今の私は、ほんとうになまけ者です。 (6.18)
 高畠君代(仮名)・・・・家にいて眠くなって勉強したくなくなると、私自身にいつも“自分に決して甘えるな”と言いきかしている。この言葉は、中学の時、生活の記録というものがあって、いわゆる日記のようなもので、私がよく“今日は眠くてなにもしないで眠ってしまった”と書くと、先生が“自分に決して甘えるな”って書いてくれた。それで初めて私は私自身に甘えてしまったんだという確信を持ち、よく反省しました。これからも自分に負けそうになったら、あの言葉を思い出して、一日一日を満足できるようになりたい。(6.21)
 武井悦子(仮名)・・・・ヘッセ詩集で、「春のことば」という詩があります。特に第一連の所を書くと、
     春のことば  ヘルマン・ヘッセ
  どの子どもでも知っている。
  春の語ることを。
  生きよ、伸びよ、咲け、望め、愛せ、
  喜べ、新しい芽を出せ、
  身を投げ出し、死を恐れるな!
 ちょうど今の私たちのことを言っているような気がする。これから何かをしようとしている、夢に向かって、真っしぐらに進んでいる私にとってピッタリとあてはまるような気がする。その気持ちを忘れないようにしたいと思います。(6.23)
 千田友子(仮名)・・・・やさしさっていったい何だろう? それは感じとるものだと思う。人に親切にするやさしさも、相手の立場を感じ取ることができなくてはならないから・・・・。だから、やさしさについて、文章にした時、その時点でもう、やさしさはやさしさでなくなってしまうような気がする。なのに、私はやさしさについて感じたことを書こうとしている。・・・・・矛盾・・・・。
 やさしさは強さではないだろうか。勇気とか決断力とかいった、そういう強さ。自分自身、強くないと本当のやさしい人にはなれない。強いやさしさではなく、やさしさの強さ・・・・。すべてを包みこめる強さ。一部分ではなくもっと広い・・・・それは語ることのできないものだと思う。やっぱり感じるもの。
 中学時代、よく人からやさしいと言われたけれど、それは真実の私ではない。ただ、少数の友達しか持てなかったさびしさから、相手を気にしすぎていただけなのだから・・・・。やさしさとさびしさは紙一重、やさしさの影にさびしさがあり、さびしさがあってまたやさしさが生まれるのだろう。
 やさしさ・・・・それは強さ、さびしさ。
 そして私のあこがれ・・・・    (6.25)
 中島典江(仮名)・・・・私が中学三年の時、三ーAというクラスにいた。今思い出してみてもいいクラスだったなあと思う。それはクラスで何かをやる時など、みんな一生懸命になって協力したからだ。たとえば合唱コンクールや球技大会などでは、朝早くから練習をはじめて放課後もやった。(これはどのクラスも同じだったが)。残念なことに結果はよくなかったが、みんなは、クラス全員で何かひとつのことをやりとげたということに満足していたようだった。
 私はこの一ー九というクラスも、後に思い出した時よかったなあと思えるクラスにしたいと思う。今でもみんな協力してくれているが、少し努力不足な時があるようだ。(私も含めて)。これは日直の連絡の時などでよくみられる。こういうことはみんなで改善していかなくてはいけないだろう。そしてまずてはじめとして合唱コンクールを成功させたいと思う。 (6.28)
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 文庫版の「新潮文庫の100冊」というのを本屋さんでいただいた。本を買った時、「これ、もらっていいですか」とたずねて、頂戴したのである。岩波文庫の百冊の向こうをはったものだが、わりとオーソドックスなものが選ばれているので、半ば失望した。もっとも、だれが選んでも、私とのズレがあるのは当然だろう。 (池田)
 読んでいないものもあるが、この100冊について、感想をほんの少し。
 (1)大キライな本・・・・石川達三『青春の蹉跌』。石川達三のモラリズムは、権威主義につながるようなものである。主人公は、左翼でも右翼でもない第三の道を求めるようなことをいうが、一方を左、他方を右とレッテルを張ってすます精神の堕落がそこにはある。
 (2)よくぞ選んでくれた!大好きな本・・・・北杜夫『楡家の人びと』、ここには歴史がある、時間がある。深沢七郎『楢山節考』、ここには忘れていた人間像がある。アラン・シリトー『長距離走者の孤独』、ここには反逆がある。ヘミングウェイ『老人と海』、ここには生死をかけたたたかいがある。
 (3)絶対選んで欲しかった本・・・・・梅崎春生『桜島・日の果て』または『幻化』、生きる意思を描いた名作。小島信夫『アメリカン・スクール』、この短編集よりは『抱擁家族』(講談社文庫)の方がよいが。山口瞳『江分利満氏の優雅な生活』、父親の時代を理解するために。ジェイン・オースティン『自負と偏見』、私たちの日常を豊かにするために。わがベスト小説。ジャック・ロンドン『白い牙』、オオカミの心を理解するために。ゲーテ『若きウエルテルの悩み』、恋心の自己増殖に酔うために。


学級通信 第5号 SPINNING WHEEL 1977年7月20日 小田原城内高校 1年9組

        夏の球技大会、惜敗す!

 期末テスト後、三日間にわたって行われた球技大会で1の9は、よく健闘したが、わずかの差で惜敗した。11日(月)のドッジボール一回戦は快勝したが、二回戦(準決勝)は優勝した1の5と対戦、ゲーム中盤に相手に大量得点を許し、後半追い上げたが、惜敗した。一回戦が楽勝すぎたため、ピンチの時にかえって機会をつかみそこねたといえるかもしれない。強いチームにありがちなことである、というのは某識者の弁。一方、バレーボールは、一回戦、準優勝した1の8と対戦、後半よく追い上げたが、12対7で敗れた。積極的な試合展開が今後の課題であろう。残るバスケット・ボールは12日に一回戦が行われた。当日は朝7時半頃から練習し、ここ一番にかける熱意がうかがわれた。相手は1の1.ほとんど互角の試合だったが、速効がきいた1の1にリードされた。追い上げる1の9は長短のシュートで、試合時間残りわずかのところで、同点とした。8対8の同点で試合は終了したが、ファウルの数がやや多かったため、相手に1点を加え、8対9で敗れた。1の1はつづく試合を楽に勝ちすすみ優勝した。
 全員よくたたかい、応援にも熱が入った。二学期末にも球技大会が予定されている。実力は各クラスとも、ほとんどちがわない。雪辱を期して、来たる球技大会に臨もう。16日現在、18日の合唱コンクールに向けて、練習中である。
 (追記)合唱コンクールは入賞は逸したが、なかなかの出来ばえであった。


        マラソン    池田博明

 私の属した中学校(山形市立第六中学校)は、青少年赤十字(JRC)に全校加盟していた。そして、夏休みの奉仕活動として、毎年、駅掃除をしていた。各クラス交替で、早朝、駅が混雑する前に清掃するのである。現在の山形駅は鉄筋のデラックスな建物であるが、当時(昭和四十年前後)は、まだ改築前の小さな駅であった。私は中学2年の前半、JRC協議会議長をしていた。校内の委員長のようなものである。そこで、毎朝の駅清掃に立ち会うことにした。ただ行くのではつまらない。家から駅まで、三キロメートルから四キロメートルあったが、そこを走っていくことにした。毎朝、マラソンの練習をしたようなものである。けれども、マラソンの練習というつもりは全然なかった。ただ、駅へ出かけて、清掃をして、帰ってきただけである。夏休みのほとんど毎朝走っていた。
 休みが明けて、体育の時間に一五〇〇メートルを走った。おどろいてしまった。なんとクラスで一番になってしまったのである。これまではクラスで、五十人中三十番位だった。陸上部の人より早くなってしまった。自分が信じられなかった。ひと夏のマラソンが、これほど効果があるものとは信じられなかった。マラソンをしているつもりはまるでなかったのだから、なおさらである。ちょうど成長期と重なったという条件もあったにちがいない。それからはマラソンが好きになってしまった。瞬発力や反射神経が人なみにすぐれていなくても、マラソン=持久走なら、できるのである。練習すれば、走りこめば、早くなれるのである。努力しただけの成果が上がるのが、うれしかった。勉強もマラソンのようなものだろう。
 校内駅伝大会というクラスマッチもあった。学区が西蔵王にまで及んでいたので、それら学区内のコースを二十数人で走るのである。
 1年の時、わがクラスは、最初は先頭グループだったのに、ほぼ中間の地点の私のところへ来た時は三十クラス中二十七位だった。そして、最後までそのままだった。なぜ、どこで遅れたのか。私はこだわった。山地へ入って、通称「心臓破りの丘」といわれる上り急勾配の坂がある。この区間を走ったK君が歩いてしまったためだということが分かった。私は、K君を責めた。いけないことであったが、そのときは、分別もなかった。彼はこう言った。「あの坂はみんな歩くよ。歩かなかったのは、陸上部のIくらいなもんだ」と。私はこの答えを聞いて完全に怒ってしまった。どの区間を走りたいかは、まず希望で決めるのである。自分で引きうけておきながら、この言い草はなんたることだ、というわけである。その時、よし、来年は、俺がこの心臓破りの丘を走ってやる、そして、みんなが歩くかどうか、俺が歩くかどうか、ためしてやる、と決心した。我ながら執念深いことである。
 2年になって、私は心臓破りの丘を走りたいと申し出て承認された。昨年の遺恨もある。いざ走ってみると、やはり相当の坂であった。しかし、歩くことはなかった。ひとり抜いたが、ラストスパートで抜き返されてしまった。歩かなかったから、自信がついた。よし、来年もここを走ってやれ。
 3年で、またここを希望して承認された。今度は、駅伝の行われる週の日曜日に行って、走ってみた。歩幅を広くとると疲れるので、歩幅をせまくして、ピッチをあげることにした。ペース配分を考えた。
 駅伝当日、わがクラスは15位で来た。みんなもう先へどんどん走っている。短い距離でぬくのは不可能に思えた。が、予定した走り方と配分で走り出すと、わりあい体が軽かった。ちょど区間なかばで、前のクラスのランナーをとらえた。何人か固まっていた。もちろん、誰も歩いているものなどいない。順調にぬくことができた。次走者にバトンタッチしたとき(タスキを渡したとき)、わがクラスは4位になっていた。その後、抜きつ抜かれつしたが、結局4位だった。山から降りてくると、ゴール前の接戦の話をいろいろ聞いた。3位まで表彰だったから、ちょっと残念だった。
 (後で日曜日に走る練習をしている生徒がいたと部落で話題になっていたと、学級担任から聞いた。部落のひとの目には全然気がつかなかったが。)
 一昨年、山形駅でK君に会った、和服を着こなし、貫禄があった。建設会社の設計課にいるという。家を建てるんなら任せてくれと言った、たのもしくなっていた。

      学級作文より 抜粋
  
 細川喜美子(仮名)・・・・夏になると私の頭にはいろいろな思い出が浮かびます。夏という季節は関係ないのです。ただ夏という季節はいろいろなことを思い出させるのです。第一に小学校六年の時の友だちや先生のことが思い出されます。あのくったくのない笑い顔が、どんなに私のはげみになったか知れません。あなたがたがいつまでもその笑いを忘れないでいることを私はいつも願っていることを知っていますか。変わっていくあなたがたを見ると、私は寂しい思いでいっぱいですけれど・・・・。 (7.13)

        伝説   会田綱雄
 
   湖から
   蟹が這いあがってくると
   わたくしたちはそれを縄にくくりつけ
   山をこえて
   市場の
   石ころだらけの道に立つ  (以下、詩全文引用) ここでは省略しました。

 現代国語の授業で、めいめいが、自分の好きな詩を選んで紹介していたようだった。私は会田綱雄の悲しいシニックなひびきを持った詩が好きである。高校の教科書の「アンリの扉」という詩が出会いのはじめであった。(池田)

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      『ワイルド・アパッチ』について     池田博明

 7月24日(日)にテレビで放映される『ワイルド・アパッチ』は西部劇の傑作である。暗く悲惨で残酷な物語であるが、アメリカの白人と立場とインディアンの立場を相互に浮き彫りにする。異文化接触の悲劇を扱っているといってもよい。
 ウルザナをかしらとするアパッチが数人、居留地から脱走する。ソフトボールに興じていた騎兵隊は色めきたち、さっそく追手が編成される。ウルザナは逃げ、追手は追う。それだけの話である。
 しかし、ここには、人類学的認識とでもよぶべき考えが描かれている。
 それは、インディアンが野蛮人でも蛮族でもなく、独自の文化と文化価値をもった人間であり、その文化は他の分化と比べて優劣をつけることができるようなものではないということである。
 追手である騎兵隊は、アパッチが通ったあとの残虐な行為を見ることになる。町へ避難することを拒んだ貧しい開拓農民の男が、一人でアパッチと戦い、惨殺される。男は立木にしばられ火であぶられ、豚の足をくわえさせられて死んでいる。
 騎兵隊をひきいる実戦経験のない若い中尉はショックを受ける。同じアパッチでありながら、白人のためにはたらいているケニティという男に彼はたずねる。「君たちはどうしてそんなに残酷なのだ」と。
 ケニティが答える。「それは残酷の意味がちがうのです。私たちにとっては決して残酷ではないことが、文明のちがうあなたからみると残酷にみえる。アパッチには、きびしい土地で生き抜くために力が必要です。これから逃げていくのにも力が要ります。でも、ウルザナ、居留地にいるうちに、その力、失ってしまった。だから、殺した男から、力をゆずりうけるのです。だから、強い男の死体から心臓を抜きとるのです。長い時間をかけて火であぶり、それに耐えた強い男から力をもらうのです」と。
 文化的相対主義そのものである。「あなたがたがインディアンを殺したから、私たちも殺す」と答えるのではない。それでは報復の論理でしかない。報復の論理は不毛である。
 劇場公開された時、この映画は、ほとんど話題にもならず、多くの観客を集めもしなかった。しかし、一九七四年の秋に大森の映画館で、これを見た私は、すっかり感激してしまい、いきおいにのって、文学部の人類学の講座のレポートを「映画の中のインディアン観、西部劇における人類学的認識」と題して、『ワイルド・アパッチ』のことを論じた。
 主演のバート・ランカスター(いい俳優だ)と監督のロバート・アルドリッチ(いい監督だ)は、十数年前にも、やはり組んで『アパッチ』という秀作を作っている。『ワイルド・アパッチ』は『アパッチ』の反省のうえにたって作られた映画であろう。若い中尉役のブルース・デービソンは『いちご白書』『ウィラード』『愛と死のエルサレム』の彼である。
 放映は、テレビ朝日の日曜洋画劇場にて。


学級通信 第6号 SPINNING WHEEL 1977年8月1日 小田原城内高校 1年9組

          書中御見舞〜ジャワ島から      池田博明

 夏休みの四分の一が過ぎた。これまでの生活ぶりはどうだったろうか。予定した学習計画どおりにはこんでいるかどうか。読もうと思った本は読めただろうか。休まずクラブ活動にうちこめただろうか。反省してみるのもわるくはない。
 みんなの夏休みの計画表をみると、前半に宿題をやってしまって、後半、予習復習にあてるというタイプが多い。そのこと自体、とくにどうということはないのだが、前半の宿題が後半にまで及ばないようにやっていく必要があろう。数学や英語のような教科は、一日やらないと、それだけ後退する。毎日少しの時間でも、あてるのが望ましい。
 夏休みは「なにもしない」休みでなく「なにかをする」休みだ。有意義に送ってほしい。
    自由だ、助けてくれ (寺山修司『書を捨てよ、町へ出よう』)

 八月一日。今日はジャカルタから特別バスでボゴール植物園を見学し、プンチャック峠をへて、ジャカルタへ戻る予定だ。ちょうど今ごろは、ボゴール植物園で熱帯の植物を見ているころだろう。まだまだ暑さがつづく。体に注意して暮らせ。
  See you again
  Selamat djaran (インドネシア語の「さようなら」)

      学級作文より 抜粋 (7.19)
  
 林のり子(仮名)・・・・一年前、私たちは中学生だった。受験を前にした三年生だった。それにもかかわらず、授業時間の内職は相変わらずだった。なんたって、四十分や五十分なんて、じっとしていられる私ではないんだから。遅刻もよくしたし、先生にもよくしかられたものだ。
 そんなでき事はすべて過ぎ去った過去で、何もかもが思い出なんだ。だから、今日が過ぎると、明日の思い出になって、頭のカレンダーに印がつけられる。  
 福地洋恵(仮名)・・・・もう明日から夏休みなのです。夏休みっていうものは、ほんとはとっても楽しいもののはずなのになあ・・・ 
 今年の夏休みの半部以上の22日間、私のきらいな勉強をする学校へ来なくてはいけないのです。部活があるのです。部活はきらいじゃないけど、やっぱり夏休みはおもいっきり遊びたいなあ・・・・
 でも、根性でがんばるのです。卓球部には二年生がいないから、わたしら一年生が、がんばらなくてはいけないんです。
 藤江仁子(仮名)・・・・入学してから、約三カ月半、なんだかアッという間にすぎてしまった。この調子でいくと高校三年間もアッという間にすぎてしまうだろう。入学当時は、見知らぬ人ばかりで、どうしてよいかわからなかった。しかし今では、たくさんの友達もでき、高校生活にもなれてきた。わずか三カ月の間で、あの当時の生活がコロリと変わってしまった。
 時はどんどんすぎていき、こちらはそれを追いかけていく状態である。入学前には、アレもやりたい、コレもやりたいと思っていたが、何一つ実行に移していない。毎日、同じ事のくり返しである。自分で計画をたてて何か一つでもいいから、しっかりと自分のものに把握しておきたい。この若さでなければできないものが、きっとあるはずだ。時間にふりまわされて、毎日、いやな気持ちですごしていくのではなく、私たちが時間を使う側にならないとだめだと思う。一日一日を有意義にすごしていかなければならないと思う。
 藤原みやこ(仮名)・・・・太陽がギリギリ照りつけ、おまけに学校が休みとなると頭の中に居候しているナマケ虫がほんれん草を食べたポパイのように、力をつけて、「遊べ、遊べ」と騒ぎ始める。夏休みはナマケ虫にとって最適環境となるのだ。私は奴に抵抗しようとしてもできない。宿題をやろうとすると、「遊べ、遊べ、明日があるさ」と耳元で歌うし、一学期の復習をと思うと、「やめちまえ、そんなめんどくさいことは、やめちまえ」と騒ぐ。これまで九回、夏休みを経験してきたが、結局、奴のいいなりになってしまった。
 しかし、今年こそは、そうはさせない。奴の誘惑に負けないように克己心を持ちたい。克己(おのれに打ちかつ)なんて良い言葉なんだろう。これは中三の冬休みに読んだ、井上靖の『あすなろ物語』に書かれてあり、受験戦争の最中で、やる気をなくしたなまけ根性の固まりみたいな私をどうやらおうやら立ち上がらせてくれた。これから迎える夏休みで、私は、なまけ虫から、克己虫になることを目標として努力しよう。
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      読書レポート  1977.7.20  (池田博明)

    波多野宜余夫・稲垣佳代子著『知力の発達』(岩波新書)
 
 知能は生まれつき決まっているものなのか、環境によって変わりうるものなのか。これは古くて新しい問題である。著者らは、生まれつき決まっているとする生得説でも、環境によって変わるとする環境説でもない。人間の内発的なはたらきかけを中心とした相互作用説にたって、論を展開してゆく。その論旨は明快で説得力に富んでいる。いくつかのケースを抜粋してみよう。(紙面の都合上、ふたつだけあげる)。

 (1)絵をかくことが本来好きで自分からすすんでよくかいている子どもたちに、一方はよくできたら「ごほうび」をあげることにし、他方はなにもしないことにした。賞を与えることにした子どもたちの方が、よくかいた。ところが、である。一、二週間後の自由時間に、絵をかいている子どもは、賞を与えられなかった方の子どもであった。賞はそれが与えられているかぎりは子どもの「意欲」を高める。しかし、それがなくなると、意欲は低下する。そして、もともとあった意欲の水準以下ににまでそれを低下させてしまうらしい。
 (2)乳児がほほえみかけてきたら、ほほえみ返す。顔を見つめてきたら、その視線をしっかり受け止めてやる。何かうれしそうに声を出してきたら、同じように声を出してやる。周囲の大人から、このような応答を受けることが、乳児の活動性を増大させ、発達を促進するのではあるまいか。
 
 例が豊富で大変に面白い本である。そして又、自分に対して自信をもつことができるようになると思われる。ぜひとも読んでほしい本である。



学級通信 第7号 SPINNING WHEEL 1977年9月16日 小田原城内高校 1年9組

      学級作文より (1)
  
 古屋慶子(仮名)・・・・八日から十二日まで宮城野分校で合宿したのです。もう、うれしくって、うれしくって。旅行気分でバスケットにお菓子などをつめて、イソイソと出かけていったのですが、しごかれたこと、しごかれたこと。それにお食事は、うめぼしとか、ゆで卵とか、目玉焼きとか、キュウリとか、焼いていないのりとかが出て、『困った!』。
 結果は半分はつらく半分は楽しい合宿でした。書き忘れましたが、陸上部です。実際、走っている人は6人という、小さな部ですが、内容は最もつらいクラブです。何故、陸上を選ぶのか、自分でもはっきり分からないけれど、将来の自分の心の中に“全国大会に出場した”などの思い出が、もしあったなら、と思うからでしょう。たとえそんなうぬぼれた思い出がなかったとしても、今一つでも目標を持って、それ目ざしてがんばっていることができれば、何より素敵だと思います。(8.14)
 穂坂ゆきの(仮名)・・・・マンガなんてくだらないなどと言う人がいますが、私にとってマンガとは、もう一つの自分の心のように思えるのです。(中略)独断ではありますが、マンガは、学校でする勉強によって与えられるものよりも、もっとすばらしいものを、私たちに与えてくれるような気がするのです。たとえば私達の夢や想像力を促ってくれるでしょう。現に私はあるマンガのおかげで、一つの夢を持つことができました。またそのマンガのストーリーを通じて言い表したいテーマをつかむことによって理解力もつくことでしょう。それになによりも、人と人とのふれあいのようなものを感じさせてくれるような気がします。私が、マンガをもう一つの自分の心だと思っているのも、その考えからきているのかもしれません。
 人間は必ずしも、勉強して偉くなるだけがりっぱな人間だとはいえないと思います。なによりも豊かな心をもった人がりっぱな人間ではないか・・・と私は思うのです。

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  書評 『ローズウォーターさん、あなたに神のお恵みを』(カート・ヴォネガット・ジュニア著、早川書房刊)

     “芸術としての人生”   池田博明

 金持ちに生まれついたのに、エリオット“ローズウォーターさん”は「芸術としての人生」を生き始める。実利を尊び、優勝劣敗の原則に基づいて進む社会の中で、彼は田舎の見捨てられた役立たずの人間たちを愛することに没頭する。
 屋根裏部屋の事務所で受話器を取りあげるたびに、彼はくりかえす。「ローズウォーター財団です。何かお力になれることは?」と。ひとりよがりで些細で愚劣な相談事でも彼はひきうける。この世に、奇矯とか、性悪とか、低劣といわれる人間はひとりもいないように、相談ごとに優劣の差異はない。流す涙に大小優劣の区別はない。人間各人のあいだにはいかなる差異も存在しないという人類学的視点に立って、ヴォネガットが描き出す人間社会のモノグラフは、優しく痛烈で、おかしく、多面的である。人間だから愛せる。
 この慈善家の物語は、慈善を受ける立場から見た最新作『道化芝居』と好一対である。
 
 (この小文は、日本読書新聞に隔週で、「少女まんがの現在」を連載しているGYAさんが関わっている関西の情報紙『プレイガイドジャーナル』九月号に書いたもの。『道化芝居』はその後、『スラップスティック』として訳出された

 ▼ローズウォーターさんは受動的な慈善家だが、積極的・能動的な慈善家もいる。クラブ発表会(9月6日)で演じられた別役実作『青い馬』の「親切な夫婦」も、かわいそうな子供たちに贈りものをする積極的な慈善家である。慈善を施すことは彼らの生きがいであり、その価値判断は独善的である。「私たち、不幸ではありません」という子供を「いいえ、あなたがたは、ふしあわせなんです。とてもふしあわせな人です」ときめてかかる姿のこっけいさを、いちばんよく知るのは観客だろう。慈善というものはむつかしい。相手の人間性を無視したところから、はじまりがちである。
 ▼専門の俳優でない人々によって演じられる演劇の混沌と無秩序が、とどこおるセリフが好きで、大学の時も、北大演劇研究会の演目をよく見にいった。エレンブルグ原作・佐藤信作『トラストDE』、宮本研作『美しきものの伝説』、唐十郎『ジョン・シルバー』、佐藤信作『二月とキネマ』などを見た。劇の途中に、突然、長島茂雄の引退劇やブルース・リーが登場してくる奇怪さ(『ジョン・シルバー』)。もちろん脚本にはない。演研は唐十郎の赤テント“状況劇場”や、佐藤信の黒テントの影響を受けていたようだ。舞台ははつらつとしていた。ひとり屋根裏部屋へこもるというような生活ではなく、現代の毒をなまみの体に吸い込んでしまうようないきおいがあった。
 ▼クラブ発表会でのフォークソング部の発表の中で、「オール・マイ・ラヴィング」は、秀逸だった。確実にビートスルズ第二世代が育ちつつあるように思った。『ビートルズ、その時代』(9月8日、NHK特集)に、ティーンだった人々が第一世代とすれば、ビートルズ・ナンバーをスタンダードと受けとめている現在のティーンは第二世代だろう。
 ビートルズが解散した事を悲劇的に受けとめるみかたがある。しかし、私には、解散後、横尾忠則が「美術手帖」に書いたことばが忘れられない。彼は、四人各様のレコードを聞いて「すばらしいことだ。ビートルズが4つになった」と書いた。正確なことばは覚えてないが、たしか、そんなふうに書いた。探検部の先輩で、津軽海峡イカダ横断計画キナンボ・プロジェクトの隊長だった、大野さんが、映画『レット・イット・ビー』を見たあとに言ったことばも忘れられない。「ポールが“ロング・アンドワインディング・ロード”を歌い出した時、涙が流れた」。
 ビートルズの中で、私が好きなのはジョン・レノン。人間の原理にこだわるジョンの歌はいつも新しい。
 ▼クラブ発表会での児童部の『きじもなかずば』という影絵は、印象的であった。自分の歌った手まり唄によって父を人柱にしてしまった少女は、それから、ぷっつりと口をきかなくなってしまう。おさない少女の強い沈黙の意志が、心をうつ。そんなさびしさを、私は持ちあわせているだろうか。くりかえし演じられてよい劇だろう。

      学級作文より (2)
  
 宮内初代(仮名)・・・・私の夢。あまりに大きすぎるけど、なんとか頑張って手に入れたい私の夢・・・・。
 いつ頃からかこのが私の頭の中に住みついて、もういまでは動こうとしない。気移りのはげしい私にしては、このとは案外長いつきあいである。それだけ強い何かを感じとったんだと思う・・・・。
 「そんなの夢だよ」皆がよく口にする言葉だ。口先では夢だなんていっていても、心の奥の方では私にならできるって思っているのでは?自分の可能性みたいなものを、皆信じていると思う。信じたいと思っていると思う。
 そんなふうに私も自分の可能性をちょっぴり信じて、これからもずっとその大きい夢を追いかけていきたい。
 見知らぬ人の笑顔を求めて・・・
 守屋恭子(仮名)・・・・今年の夏休みは思いきって、アルバイトをやってみました。(中略) 喫茶室のウェイトレスという職業は、普通私たちが見ているより、わりにたいへんなのですね。客の応対とか、清掃、食器洗い、会計など。もちろん私たち(アルバイトのうち二人)が全部やったわけではなく、作るのは別のお姉さまたち。みんな個性豊かで面白いのです。仕事はけっこう苦しかったのです。注文をまちがえたのが数度、グラスも割ってきたし、その度におこられて不愉快になったり、手足も太くなった・・・・。でも本当におこられても、終わるのが近づくと、このまま続けたいと思ったのです。何でかなアと考えると、きっとそれだけ一生懸命やったんじゃないかな。他の人たちとも別れるのが惜しくて、“来年も来る?”と言ってみたり・・・
 学校・家庭以外で生活してみて得た結果は、“金?”と“友”と“働く事の楽しさ”なのです。

 ▼体育祭について
 城内の体育祭をはじめて見たのが二年前、いわゆる競争が少ないのが意外だった。仮装ダンスにはおどろいてしまった。もともとは、仮装行列だったのが、変化して、一種の創作ダンスになったのだという。丁度、『アラン・ドロンのゾロ』が封切られた後だったので、三クラスで、ゾロが出現したりしたが、音楽・物語、振り付け、すべて生徒の手になる表現だったし、音楽のつなぎ方も、奇抜でユーモラスだった。私はおおいに楽しんだ。どのクラスも工夫をこらしてあった。これだけの群舞はなかなか見られるものではない。今年は仮装の審査役で評点をつけなくてはならない。各クラスとも、よくやっているし、差が小さいので大変なことだろう。
   ****
 仮装ダンスの一位は三年四組の「束縛」と決まった。これは、たしかに斬新であった。語りが無い。衣裳も二種だけ。自由を願う“白”の心と“黒”の束縛という抽象的なテーマに取り組んだ、まったくの創作ダンスであった。全員が、はじめから、おわりまで、おどっていた。モダンダンス部の昨年度の部長の采配だけではあるまい。相当の練習もしただろう。仮装行列が踊りつきの劇に変わり、そしてミュージカルから、本格的な創作ダンスへと変化していく傾向、具体性をもったものから、抽象的なものへと変化していく傾向が、はたして望ましいものやら、断定することができない。ただ、これだけはいっておきたい。より野心的に、よりよいものに、より高いものに、と。昨年の3年9組の「さまよえる民」のように、地味だが、ユダヤ人の歴史を仮装化したような、学究的な姿勢も、今年の「束縛」のように、哲学的な姿勢も、よい方向だったと思う。来年はどうなるだろう。クラスの中で、かなり仮装ダンスに批判的な人もいるという。個人的な意見では、つづけたらいいと思っている。批判が、勉強の方が大切だというみかたから出ているとすれば、残念な話である。運動も勉強もすればいい。
  ****
 ある3年生の話。彼女たちは3人4脚に出場することになった。それから3人は、いつもいっしょに、行動した。廊下で3人4脚の練習もした。そして、体育祭当日、彼女たちはアンカーだった。バトンが回ってきた時はビリだったが、彼女たちは日頃の練習の成果をとばかりに走った。彼女たちは、トップでゴールインした。
 ある1年生の話。彼女は目を輝かせて「城内で生きがいを見つけました」と言った。応援合戦のため、応援のため、準備に、当日に、一生懸命なある3年生の姿に感激してしまったのだ。





学級通信 第8号 SPINNING WHEEL 1977年10月3日 小田原城内高校 1年9組

      メモ ランダム   池田
    
 *尾崎秀樹『生きているユダ』(角川文庫)より 32頁
    
 中学の上級になると、秀美(ほづみ)は青年期のだれもが経験するように、人生問題に悩むようになった。その様子をみて父はつぎのように諭した。
 「人間 悟りきっては駄目だぞ。われわれは糞壺にうごめいている蛆虫と同じものだ。はいあがってはころげ、ころげてはまた這いあがる。必要なのは常に動いて努めているという行為なのだ」
 
 *河内紀『ベニヤの学校』(晶文社)より 144頁

 ヒューマニズムは、ハロー・グッバイ、オーチン・ハラショーだった。
 ジープはセカンドからトップへとギヤをチェンジして走る。乱暴なギヤチェンジは外人の持つリズムだ。
 *サローヤン『人間喜劇』(晶文社)  171頁

 ぼくは、人は大きくなったら泣かないもんだと考えていたけど、ほんとうは大きくなってから泣くんじゃないかな。だって、大きくなってはじめて、いろんなことが分りだすんだもの。
 *ジョナス・メカス『メカスの映画日記』(フィルムアート社)  202頁

 われわれにそなわっている多くの感覚の一つ一つは、世界とわれわれ自身に向って開いている窓である。


      学級作文より 
  
     中学と高校    飯山千恵子(仮名)

 私にとって中学って何だったんだろう? 高校って何なのだろう? 
 自分の意志でこの高校を選んだけれど、よかったんだろうか?
 宿題もやらずに学校へ行ったり、勉強をしに学校へ行くというより、お弁当か部活をやりに行っているみたい。こんなはずじゃなかったんだけど・・・・。どこでくいちがってしまったんだろう。
 毎日毎日むだに時間を使い、過ぎていってしまう。いけない! いけない!と思いながらも同じことのくりかえし。一時間目の授業が始まる頃が一番いやな時間。これから六時間も、びくびく、さされないようにしながら、下を向いていなければならないと思うと気も重くなる。六時間目が終わると、今日の夜こそはやろうと思うが、やらなければいけないことを後へ後へとのばしていって、けっきょく何もしなで学校へ行く。何をしたというわけでもないのに、時間が過ぎていってしまう。
 中学の時はよかったなあと思う。でもどうしてなんだろう?どこがよかったのかって言われても、はっきり言うことができない。ただよかったと思うだけ。
 もう中学へ行っても溶けこむことが出来なくなってしまった。何が変わったんだろうか。私なんだろうか? 
 まだ中学と高校のどちらにも中途はんぱになっているような気がする。勉強と部活も同じこと。中途半端なことしか私には出来ないのだろうか? 何かに熱中したいけど、それも出来ない。いやな性格だな! (9.7)
     諸感       岩崎つぐみ(仮名)

 夏休みが終わって、もう二週間が過ぎてしまった。時の流れは恐ろしいほど早い。私はこの二週間、何をしてきたのだろう。やって事といえば、体育祭で一生懸命走ったこと、それから騎馬戦でかぶとを必死に守った事ぐらいだ。いつもいつも同じ事の繰り返しで、今日はこれをやったという実感も喜びもない。私がこうして毎日を過ごしている間にも、時は恐ろしいほどの速さで過ぎて行く。時の中に埋もれてしまって何もできない自分が腹立たしい。今日こそは、今日こそはと決意をするが、どうしても実行できない。本当に自分がなさけない。どうすれば良いのだろう。これは、私自身で道をみつけ、実行しなければいけないことなのだ。自分に合った道をみつけ。あせらずに頑張って行こう。
 体育祭。とても良かった。特に三年生の仮装ダンスはすばらしかった。どのクラスもみなすばらしかった。さすが三年生だ。私たちも三年になったら頑張ろう。
 話は変わって、今日、小田高祭に行って来ました。お化け屋敷に入って来たんだけど、すっごく怖かった。入ったとたん怖くて、もう前に進めなかったの。そうしたら小田高生の人が後ろからついて、案内してくれたんだけど、もう友達としっかり手を組んじゃって、悲鳴ばっかりあげてたの。その時は怖くて恐ろしかったけど、出てきたら気分そう快で、もう一度入りたいと思いました。私って現金だなあ。できたら又来年も行きたいと思います。 (9.19)
     きっちょむさんの話(私が今せっせと読んでる本です)
     “火 事”       上田しず子(仮名)

 ある晩の事です。きっちょむさんが便所におきてひょいと窓から外を見ますと、村に火事が起こっております。どんどん燃えておるのです。まだだれも知らないらしいので庄屋さんに知らせなければなりません。しかし、きっちょむさんは考えました。「こういう時こそ落ちつかなければならない」そこでまずお釜に火を燃やし、お湯をわかしました。それからカミソリをといでヒゲをそりました。なにぶん庄屋さんのところへ行くのに失礼があってはなりません。今度はタンスの中から親ゆずりのカミシモを出し、それにハカマもはきました。右手に扇なんか持って、ゆうゆう、儀式に出る姿で庄屋さんの家へやって来ました。玄関の外で、エヘンせきばらいをしておいてそれから静かに言いました。「お庄屋さん、ただいま村内が火事でござります」 ま夜中の事ですから、庄屋さんの家でもみんなよく眠っております。そこへこんな静かな声ですから、いっそう眼はさめません。「ごめん下さいませ。庄屋さん、ただいま村内が火事でござります」 きっちょむさんはなおも静かに言いつづけました。何分たったのでしょうか。きっと二十分も三十分もたったのです。その頃になってやっと、庄屋さんの奥さんが目をさましました。玄関の外で何か声がすると思ったのです。よく聞いてみると、火事ですと言っているようです。「そりゃ大変だ」という事になり、すぐもう大騒ぎです。庄屋さんは気ちがいのようになって、火事場へかけつけましたが、その時は、火事が消えた後でした。そこで代官に、たいそうしかられました。というのも、きっちょむさんが変な起こし方をしましたからなので、今度は庄屋がきっちょむさんをしかりました。「きっちょむどん、火事という時は、あんな静かな起こし方なんかしちゃダメだぞ。とにかくすぐかけつけてきて、玄関の戸でも縁側の戸でもいいから、メチャクチャに叩いて、火事だ、火事だ、と大声にわめいてくれ、いいか」 きっちょむさんは「はいはい、はいはい」と頭を下げて行きましたが、その晩のことです。やはりま夜中です。きっちょむさん、ぱっととび起きると、軒下にあった丸太をかついで庄屋さんの家へかけつけました。そして、窓といわず戸といわず、めくらめっぽう叩き壊しました。次には、家の柱をその丸太でズシーン、ズシーンと突きたおしながら、村じゅうへ聞こえるような声でわめきました。「庄屋さん、火事だあ、火事だあ。大火事だあ」 庄屋さんの驚いたことといったら大変です。顔色を変えてドび出してきました。「きっちょむどん、わかった、わかった。もう叩かなくともよい。家が壊れてしまうじゃないか。しかし火事はどこじゃ」 するときっちょむさんは言いました。「庄屋さん、今度、火事があった時、このくらいでいいでしょうか」 庄屋さんはあきれてものが言えませんでした。
 (きっと、きっちょむさんはいい人なのだと私は思います)
     第三十二夜  『絵のない絵本』より     碓井美智子(仮名)

 「わたしは小さな女の子が泣いているのを目にしました」と、月は言った。
 「女の子は世の中の≪悪≫を泣いていたのでした。彼女はかわいいお人形を贈り物にもらったのです。ああ、そのお人形のきれいでやさしいことと言ったら! それがいためつけられるなんて、そんなことはあってはならないことでした。それなのに、女の子のお兄さんは、背の高い男の子ですが、お人形をうばいとると、庭の高い木のてっぺんにおきざりにして、どこかへいってしまったのです。小さな女の子にはお人形まで手がとどきません。お人形を助けおろすことができず、それで泣いていたのでした。お人形も一緒に泣いているに違いありません。緑の枝の間から腕をさしのべ、とてもふしあわせそうな様子です。そうだわ、これはママがよく話していたこの世の終わりなのだわ。ああ、かわいそうなお人形さん! 夕闇がせまり、夜がやってこようとしていました。お人形は夜じゅう一人で木の上にいなければならないのでしょうか。いいえ、そんなことは小さな女の子の心にはとても耐えられないことでした。『あたしもおまえと一緒にいてあげる!』と女の子は言いました。でも、ほんとうはこわくてたまらないのでした。彼女は、はやくも小さい森の妖精たちが、トンガリ帽子をかぶってヤブの間からのぞき見しているのがはっきり見えるような気がしました。暗い道からは背の高い幽霊が踊りながら近づいてきて、木のほうへ手をのばし、お人形を指さして笑っています。ああ、どんなにかお人形さんはこわがっていることでしょう!『でも、なにも悪いことをしていなければ』と女の子は考えました。『悪さされることはないんだわ。あたし、なにか悪いことをしたかしら?』女の子は考えてみました。『あたし、足に赤いぼろをまいたかわいそうなあひるを笑ったわ。びっこを引くのがとてもおかしいんだもの、つい笑っちゃったわ。でも動物のことを笑うのは悪いことだわ!』 そして彼女はお人形を見あげました。『おまえ、動物のことを笑ったことがある?』彼女はたずねました。お人形さんは頭をよこにふったようでした。」
 
     矢沢永吉コンサート   浦 しいみ(仮名)

 九月二十五日(日)2:00P.M.ロックンロール・エンターティナー矢沢永吉のコンサートに行った。前日から、ううん、もっとずっと前に券を買った時から、指折り数えて、まちにまっていたこの九月二十五日(日)。
 全指定席だったけれど、二時からなので、一時半頃から市民会館の大ホールの前で、まっていた。待っている人はたくさん、たくさんいて、やはり永ちゃんの影響を受けてか、着ているものにも、だいぶ影響が見られた。
 このコンサートに来る前に、テレビで深夜12時5分からのライブ・イン・ヒビヤを幾日か前に見たので、ドキドキしながら待っていた。リハーサルの都合で、30分待たされ、海上が2時半。そして、はじまったのが約3時。ほぼ一時間も遅れて・・・・いくら憧れの永ちゃんといえども、これには多少いいかげんな感じがして、頭にきた。ヤルといったからには、二時ジャストにはじめなくちゃいけないんじゃないのかな。人気があるからって、いいかげんにするのは良くない。永ちゃんに対しての熱が少し、さめはじめた感じ。
 コンサートが始まった。きかせる曲や、みんなでノル曲。拍手や歓声・・・やっぱりステキ!BUT、永ちゃん自体、日比谷の時ほど、のっていない感じがした。アンコールの時の白のスーツを地肌にきたのがステキだった。キャロル時代の曲も出てきて、私の心をおどらせた。一時間半ばかりで終わってしまい、物足りなさばかり残って。もっと、もっと、ずっと聞いていたかったな。ああ、レコード聞きたい。“ルイジアナ”という曲を永ちゃんが歌いはじめた時、Tシャツが“ビビッ”とくるほどシビレた感じが、もう一度、味わえるかしら?

       NOW・映画について    池田 博明

 ▼『ボクサー』という映画を見た。美しい映画だった。撮影の名手・鈴木達夫が、監督・寺山修司の意図をよく生かした。全編ほとんど絶え間なくJ・A・シーザーの音楽が流れ、それがよくストーリーと調和している。
 足の悪い青年・天馬哲生(清水健太郎)が、もとボクサー(菅原文太)の指導を受けてチャンピオンを目指す話だが、いわゆる根性ものとちがい、ボクシングの世界の日陰の面に焦点をしぼっているので、印象は複雑である。併映作品がスケバンもので、観客をかえって少なくしている。
 ▼本日10月3日(月)8時からTVKで放映する『大いなる勇者』(主演ロバート・レッドフォード)は、ニューシネマ西部劇の傑作であると思う。レッドフォードが、インディアンの妻と身ぶり手ぶりで話をするくだりは感動的である。文明人が山男・自然人へと変わっていく遍歴のドラマは、雄大で、しかも斬新な問題を提起している。TVの小さい画面ではシネマスコープと比ぶべくもないが、見るつもりである。


学級通信 第9号 SPINNING WHEEL 1977年月日 小田原城内高校 1年9組


      学級作文より
  
      このごろ思うこと      遠藤このみ(仮名)

 このごろ、本を読むことが少なくなったと感じている。どんな本でも、最初から最後まで読みきれば、何か少しでも得ることはあると思っている。私は、幼いころ、本は大きらいだった。小学校一年生までのことだ。そのときは、学校を長い間休んでいて、何もすることがなくても、本は絶対に読まなかったものである。本を買ってきてくれる人がいても、中もろくに見ないでいた。ところが、小学校二年生の時、朝学校に来てから、授業が始まる間に、時間が余るので、本を読んでいることに決まった。決まったときはいやでたまらなかったけれども、学級全体で決めたことだから、とまじめに読んだのが、本を好きになったはじまりだった。そのとき、何の本を読んだのか、なぜそんなに本が好きになったのか、今は全く覚えていない。ほんとうに、きっかけというものは、恐ろしいものだとますます感じるこの頃である。年齢に従って、読む分野も変化したし、数もかわっている。今思うに、いちばん多く読んだのは、小学校四年から、中学一年までだと思う。やはり、何をおいても、本を読むことができたからであろう。しかし、また、今も本を読むには最適であろう。熟読は、私にはできそうもない。ただ、いろいろな分野をできるだけ多く読みたいという思いのこの頃であるが、さて、どれだけ暇やお金の工面がつくか・・・・
 
      あと11分しかない!    加藤すみ子(仮名)

 クラブ終わりのチャイムが鳴ってから、何分たっただろう。日直の仕事を終わらせ、もどってきた時には、道具が片づけられていた。かばんをもとうとした友達は、
 「何分の電車があるの?」
 と私に尋ねた。
 「50分」
 と私は答えた。
 「もう、まにあいそうにないみたい」
 と友達はいった。
 私は、どうしても50分に乗りたかったわけでもないのに、強情をはって、
 「平気!まにあう」
 と答えてしまった。
 それから、足をいそがせて、げたばこへ行き、外へ出た。あと11分しかなかった!
 私は、小走りで、前にいる人たちを、おいぬかしていった。友達は、うしろから、ついてきた。
 それから、少し歩いていくと、大きな水たまりが、私の行く道をふさいだ。私は、思いきって、水たまりの中を、「ピシャ、ピシャ」音をたてて、通った。くつ下に雨水がしみてきたが、気にしなかった。そして、その時には、もう友達の足音は、私の耳には聞こえなかった。
 坂を登っている時、私は「ちらっ」と下を見た。友達がうつむきかげんで、歩いていた。坂を一気にかけおりて、時々、小走りに走りながら歩いた。あと3分! 「もうだいじょうぶ!」と思った時、かばんは、斜めに傾き、手にもっていたレインコートが、おちそうなのに気がついた。
 結局私は、ぎりぎりで間に合った。顔から汗が流れ出し、顔があつくなっていた。とびらには、雨にたたきつけられたあとげ、くっきりと残っていた。そのとびらから見える外の景色は暗かった。 (10月5日)
      自分の意志で・・・・     勝俣よし子(仮名)

 ビューティ・ペア、今、女学生の注目の的である彼女たち。彼女たちはプロレスという男まさりのスポーツに青春をもやしている。ジャッキーもマキも高校を中退してまでプロレス界にとびこんだ。この二人はきっとスポーツのすばらしさを知ってるからだと思う。また甲子園で夏の大会をくり広げた高校球児たち。決してなまやさしい練習じゃなかったと思う。私は、このスポーツに自分を思いきりぶつけているビューティ・ペア、高校球児たちが大好きです。
 私は中学時代ずっとバスケットをやってきた。この三年間でスポーツの楽しさ、すばらしさを味わったつもりです。ほんとにバスケットをやっていてよかったと思います。しかし高校へはいってはいろうと思えばはいれたスポーツクラブをにげてしまった。自分の意志では絶対にはいりたかったくせに、スポーツのきびしさをおそれてにげてしまった。私は今すごく後悔している。自分の意志を大事にせずににげてしまったことを。だから私はビューティ・ペアが好きなのかもしれない。自分にできない事を二人にたくしているのかもしれない。今度私にスポーツをやるチャンスがあったら絶対ににげたくない。自分からとびこんでいきたい。またスポーツだけでなく、これからもいろいろ選ばなければならないことがたくさんあると思う。その時、私は自分の意志を大切にしていきたい。もう自分に対して後悔なんか残したくない。また悔いなんか残しちゃいけないと思う。何にも中途はんぱにならないように一生懸命やりたい。
      今 青春まっさkり
      GO-GO-GO-GO  真赤な青春
      GO-GO=Let's GO  ビューティ・ペア
    
      私の高校生活     熊沢いちえ(仮名)

 時々、考えてしまうんです。自分の選んだ道はまちがってはいなかったのだろうか?と・・・・。勉強なんて大嫌いなくせに、高校になんか来て、二度と来ない今この時を、毎日何となく過ごしている。宿題が出されても、学校へ行って友達に見せてもらい、予習・復習も、さされてわからなかったら、それはそれでしかたがないと、あきらめて、やらない。自分の実力をためすテストも、前日の一夜漬けでは、自分の実力も何もない。しっかりやらなければと、毎日思うがなかなか実行することができない。今、学校へ行っているのは、一の九という仲間があるからかもしれない。児童部という仲間もあり、城内高校という大きな仲間が私にはあるからかもしれない。みんなが、負けずにがんばっているのだから、私もがんばらなくては・・・と、思わせてくれるからかもしれない。
 私がもともと、この学校を選んだのは“保母さんになりたい!”という希望があったからです。そのためには、大学へ行かなければならないし、女子高ならば、家庭科などの女としての作法を身につけることができるだろうと思ったからです。それなのに、私は今までの約6ケ月の高校生活を、無駄に過ごして来たように思う。きっとこのままでは、悔いばかりが残る高校生活になってしまうだろう。だからといって今すぐに、悔いのない毎日が送れるものではない。これから、少しずつでいい、自分の希望を目標にして、マイペースで徐々に悔いのない毎日を過ごすようにして、すばらしい高校生活にしたい! (10月13日)
      無  題     金沢菊子(仮名)

 高校に入る前の私は、高校で、友達が、みんな変わってしまうことがとても、心配でした。中学でさえ、特定の友達としか、接せなかった私が、名前も知らない人達と、話し出すことができるのだろうか。とても、心配でした。しかし、今、毎日がとても楽しいのです。クラスのみんなが、話しかけてくれるし、中学生の時より、たくさんの人と接することができて、今は、とても幸せです。少し勉強は、たいへんで、大好きだった数学も、今では、むずかしくて、きらいになってきそうだけれど、この9組が大好きです。みんな、明るい人ばかりで、もう何年もこの人達と、親しかったような気さえ、起こってくるのです。また、他のクラスも、とても楽しそうです。この学校の人は、みんな明るくて、いい人ばかりです。児童部の一年生も、すぐに友達になれました。先輩がたも、とても親切です。でも、もっと先輩と、話すことが、できたら、もっと楽しいだろうなあと思います。しかし、そう思っていても、自分から話し出す勇気は、まったくないのです。これは先輩にだけののことではなく、クラスのみなさんや、他の人達だれに対してもです。こんな私ですが、だれとでも、楽しく話のできる人に、なりたいのです。そして、それが、このクラスなら、できそうなのです。そして、これからはそんな人になれそうなのです。
 最後に、この城内高校に入学することができて、ほんとうによかったと思います。(10月16日)
 

 ▼昨年度、芸術祭大賞受賞テレビドラマ『紅い花』(原作つげ義春)の演出者・佐々木昭一郎(NHK)さんからのお知らせ。
 「カメラマンの葛城哲郎が撮影した作品が放送されますので、見て下さい。
   10月19日(水) 夜10:15〜10:45 NHK総合テレビ
   『四天王寺界隈』
 『夢の島少女』以来、三年ぶりの彼は、健在です。
 冥土に向って絞りこんでゆく彼のカメラアイは、寺の参門を赤く染めます。すべて、さり気ないショット。カメラの技術や、言語の意味を超えたカメラの魅力は、彼ならではんものです。葛城を見て欲しいのです。」
 ▼葛城さんは、佐々木昭一郎の傑作『夢の島少女』のカメラマンであり、『夢の島少女』を頂点とする一連の佐々木作品『マザー』『さすらい』のカメラも担当しています。

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    メモ ランダム   池田博明

 *『田神有楽』で第十二回谷崎潤一郎賞を受賞した藤枝静男が「目を見て人がわかるか」の問いに答えていわく、
 「わからないね。興奮するとアドレナリンが血中に溶けて瞳孔が開く。特攻隊も人を殺そうとする右翼も、女を見る男の目もにんな同じさ」   (1976.9.25 読売新聞紙上)

 *河内紀『ベニヤの学校』(晶文社、18頁、40頁)

 歌謡曲やポピュラーソングというジャンルにこだわらない「人間の歌」を作りたかった。
 下北半島の漁師のおじさんや、小笠原父島に住むおばあさんや、津軽のカミサマと呼ばれる女達や、筑豊の炭田に働く男達の話を、私はテープに記録した。
 人間に人間のしゃべる言葉を、意味でつづっていくのではなく」音声として聞き、それを編集して組曲を作ろうと思った。それが私のジャズだった。
 
  私にとって、世界を自分の目で認識することが生きることでもあると同時に、それが学ぶことでもあった。

 *藤田真男『日曜日にはTVを消せ!』No.4 9頁 1975)
 あべ静江が名古屋のFMでパーソナリティをやってる頃、何度か、佐々木昭一郎のドラマのようなことをやって、とても新鮮だった。風がビュービュー吹いている冬の街を、彼女がデンスケかついで、ハーハー息をきらしながら歩き回ったり、名古屋港へ行って、一人で魚釣りしてる少年に会って、何でもない会話をしたり。『マザー』みたいな感じ。
 彼女が歌手としてデビューしてからも、しばらくはそのFM番組をつづけていて、番組の中では、あくまでも<素人>のパ−ソナリティとして超然と(?)してて、とても好ましかった。
 馬場こずえさんの旧・木曜パックの次ぐらいに、ぼくの好きなラジオ番組だった。馬場女史は「あたしは、何事に関しても全く素人です」と断言してたし、その言葉通りの番組だった。旧・木曜パックの馬場女史のキャッチ。フレーズ「月日のたつのは恐ろしいもの、しかし恐れてはなりません。逆境にもめげず敢然と立ち向かう馬場こずえです!」

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       あとがき   池田

 二学期もなかばである。私が高校一年の頃、校長が「初心、忘るべからず」という話をした。さて、初心とはいったい何だろう。どんな初心を持っていただろう。そして、どうなっているのだろう。


学級通信 第10号 SPINNING WHEEL 1977年11月15日 小田原城内高校 1年9組

         必要と不必要     池田博明

 受験のための勉強やテストのための勉強と、本来の勉強とは、ちがうところがある。いったい、どこがちがうのか。
 受験勉強には、不必要な知識というのがある。試験に出る事柄と出ない事柄があって、出ない事柄は、覚えなくてもよいし、理解しなくともよいと、される。出る事柄は受験のポイントとして強調される。必要な事と不必要な事まで、すべての事柄にランクがつく。いわく、二次関数と二次方程式は大切、高次関数は不必要とか、「試験ンに出る英単語」、出ない単語とか。(他教科を例にひいて恐縮)
 しかし。である。不必要な知識といったものがあるだろうか。ひとつの知識が明らかになるまでには、それなりの歴史がある。ひとつのことばの意味に軽重があるだろうか。ひとつひとつのことばには、それなりの歴史がある。
 本来の勉強に必要も不必要もないはずである。より多くのことを知り、より多くのことを理解することにこそ、知的な喜び、勉強の楽しみがあるはずである。
 私たちは、あまりにも必要、不必要で、勉強をわりきってはいないだろうか。
 受験やタストがある以上、「効率よく」勉強する技術が身につくのは、やむをえないことだ。しかし、それだけではないことも銘記しておきたい。

     学級作文より 抜粋
  
           後藤ひろ子(仮名)

 太陽は言った。
  私はあなたが見てるもの全てが見たい。
 蟻は言った。
  あなたは大きい。あなたは高い。私の見てるものより以上のものを見ている。
 [太陽]葉の影の小さな出来事、土の下の世界、そして何より私は月を見ることができない。
 [蟻]あの木の天辺に何があるのか、あなたは見ることができるでしょう。あなたの世界は果てしない。私の世界は小さな原っぱの一角にすぎない。

 誰でも人の物や環境を羨ましがる。
 そして自分を不幸だと決めつける・・・・。
 ここまでの事、わかっていただけましたでしょうか。私は言葉の貯金が少ないので、ダン・デミスという方に助けていただくことにします。この方はこう言っておられます。
 「他人の幸福の外観を恨んではいけない。何故ならあなたは彼の秘かな悲しみを知らないのだから・・・・」ダン・デミス
 小学校の頃、ふと空を見上げると雲ひとつ無くってとにかく青かった。自分が落ちて行きそうでこわかった。あれから何年か経ったけど、ちょっと目をつぶってる間に過ぎてしまったよう。そうだ、あの時自分の時間を落としてしまったのかもしれない。
 こんな表現の仕方、ずるいと思いますか。
 そうですよね、私が誠一杯に過ごしてきたなら、目をつぶっている間に過ぎてしまうことはないですよね、それを空へ落としたなんて・・・・
 正直に見つめている人はこう言っています。
 「浪費された時間は単なる生存にすぎない。
 使用された時間のみが生活である」エドワード・ヤング
 「時間が過ぎ去って行くのではない。我々が過ぎ去って行くのだ」俚諺
    10月15日 放課後の教室で
    創立七十周年を迎えて     杉山初美(仮名)
 
 十月二十八日、私たちの学校は、七十周年を迎えました。私は、七十周年と言われてもその貴重さ重大さはまだわかりません。ただ一つの行事であり、風船あげや音楽会を加えてやった、ただそれだけのものでしかわかりません。でも今年創立の足柄高校にくらべれば、伝統たかき城内ということは、わかります。
 記念誌を開いてみても、さまざまな出来事があり、多くの先生方がこの学校にたずさわってくださったということがわかります。
 創立七十周年、長いようでとても短かったのではないかな、と思います。
 式典の本当の喜びは、あと五十年ぐらいたった百二十周年記念のときぐらいにあじわえるのでしょう。
 そのときまで城内高校がりっぱで誇り高き母校であってほしいと思います。それには、まず現在の私たちが城内の名をけがさぬよう努力しなければなりません。  (10月29日)
    青春  深夜放送と私     西郷りか子(仮名)

 -オレさあ、好きな言葉があるんだ。『明日できることは今日やるな』 な、いい言葉だろ。『明日できることは今日やるな』 そうだよ、みんな、明日できることは明日やればいいさ。今日を楽しく過ごそうよ・・・
 数日前、あるラジオ番組の“何でもシャベロウ 30秒”とかいうコーナーで、ある男の子がこんなことを言った。ウン、たしかにそうかもしれない。今を思いっきり楽しく過すことはいいことだし・・・・。でも、明日できることってあるんだろうか。明日本当にできる人は何人いるんだろう。その男の子に対する意見の葉書が今日読まれた。私と同じように、みんなその言葉に反対だった。
 この前、LHRで“青春”について話しあった。その時、先生がおっしゃったように、私達は青春時代のまん中にいる。だったら、とても大切なことだと思う。“明日できることは今日やるな” こうしたら私なんか、夏休みの宿題みたいに、数学や生物みたいに、とりかえしがつかなくなってしまう。この作文にしても、こんなにおくれたのは、そういう私のだらけた気持ちが原因なんだし・・・・。反対意見に『“今日できることは明日にもちこむな”にしろ』とあった。私にとってもこの方がぴったりだと思う。
 この前のLHRで私は、青春とは-深夜放送と答えた。みんなが言った、友達、恋、可能性・・・etc。全部を含めて同じ年くらいの仲間がいっしょに一つのことについて考える。深夜放送ってそんなものじゃないかな?!
 “ながら族”を批判する人もいるが、ちょっと気になったことについて考えるために、勉強時間が減っても、私にはすばらしい収穫になる。その時間の分、できなかった勉強こそ、“明日できることは今日やるな”だと思う。午前二時過ぎ、今も私の机の横ではラジオが響いている。 (11月4日)
                杉本洋子(仮名)

 朝、時間ギリギリまで寝ている私は、パン一枚と紅茶を一口飲み、バス停へと急ぐ。また、変哲もない一日が始まるのである。重たいカバンを下げ、ホームにかけ上がる。
 テストのある日、さされる順番にあたっている日などは、たいへん憂うつな気分で学校へ。毎日が学校と家との往復で、まったく単調なくり返しの様に感じられる。これで私生活に充実した日々を送っているといえるのか。16才。青春のまっただなかにいる私。
 ただ勉強勉強とおいつめられ、余裕というものを全くといっていいほど感じられない今日この頃。とはいうものの予習・復習も、ろくすっぽやっていない甘ったれ状態に、おいっていることに反省せざるをえない。
 中学時代、高校生に強いあこがれをもち、薄いカバンを下げ改札口を降りてくる姿を見て、規則にもかたく縛りつけられない、高校生が、たいへんうらやましく思えた。それが今では、中学校時代がなつかしく思えてくる。
 一日の授業が終わり、帰りの車内では、友達と、のべつまくなしに。おしゃべりがはずむ。この20分間は、私にとってたいへん短く感じる楽しいひとときである。
 家につく頃は、最近はすでに真っ暗で5時を回っていた。  (11月4日)
                すずき ひでみ (仮名)

 11月3日、今日は文化の日でお休み。それで、朝からふとんの中でもぞもぞ。10時半ごろ、むくむくと起きて、朝食をぱくぱくと食べて、家のそうじを手伝って、昼からひま。ぼつぼつと数学のプリントをやってるのだが、ややこしくてちんぷんかんぷん。2時間くらいで、やっと終わって、それからほかの宿題をやって、夕食を食べて、テレビを見てたの。ここから本論で、日本テレビの日本歌謡大賞をラジオで聞いていました。もうそんな季節かなと不思議に思っちゃった。最初は新人賞候補。だいたいこんな人が出るなと思っていた人がやっぱり出ました。清水健太郎、高田みづえ、狩人、太川陽介など。今年はぱあっとしたすごい新人がいなかったみたい。音楽賞候補では、ピンク・レディー、野口五郎、沢田研二、岩崎宏美、松崎しげる、西城秀樹、などエトセトラ、残念なことに郷ひろみがはいってなかった。やっぱし今年、あんまり振るわなかったのかな。テレビ番組で「ムー」という番組に出てたのよね。案外おばけのロックなんて好評だったのにさ。まあ、今年だけじゃないから。来年はぜひがんばってほしいな。
 話変わって、わたしが今熱中していることってなんだろう。勉強もやや落ちついてきた感じ。読書は相変わらず、横溝正史の探偵小説に熱中しているみたい。この本を読みだすと、宿題なんてあったって、一晩で全部読んでしまって、ひとりで感激し、夜中に恐怖におののいていたりして。横溝正史シリーズを全部、読むのだ。今年もあとわすかでカレンダーが一枚になってしまう。悔いのないよう、せいいっぱい生きよう。  (11月7日)
 
      11月6日 (日)    鈴木未知恵 (仮名)

 今日、平塚ろうあ学校では文化祭が行われていた。手話の勉強にもなるという城の会(手話サークルの事)の人の話で、友達と二人午後から行くことにした。
 特別手話がうまいわけでもできるわけでもない。友達どうしやっている時にうまくできても、人前でやるときは自分でもしらないうちに、新しい手話を発見、開発してやってしまう。
 それに私は、二学期から始めたばかりで、単語もあまり知らない。
 後悔してもしかたがない。もう来てしまった。まず体育館へ行こうと思った。
 体育館の出入り口の前にはずいぶん人がいた。みんな手話を使っていた。
 その速さといったら、とてもまねできない。見ていても私には少ししか話がわからず、ため息ばかりであった。
 “あんなふうに話ができたら・・・・”と、行ってから帰るまでそればかりだった。
 文化祭は、体育館では“ゆかいなロビンフッド”(高等部)、“白雪姫”などの劇が行われていた。職業棟では、たんすやとだなが展示されていた。それはみごとで。家具は売られているものにもおとらないくらいだ。
 劇は一生懸命で、言葉をいおういおうとしていた。だが、全部が全部理解できたわけではない。多少わからない所だってある。
 でも、全部聞こえたように思う。
 他はたいしてまわってみなかった。
 だが、今度来る時にはもっと単語を覚えて少しでも手話が使えるようになりたいと思った。
 有意義な日曜日だった。   (11月8日)
       永遠の青春     鈴木町子 (仮名)

 わずか二十四年余の生涯で永遠のスターになったジェームズ・ディーン。あのさみしそうな、どこか人を酔わせる瞳に私はひきつけられました。
 一九五五年九月三十日、愛車“ポルシェ・スパイダー23”を走らせ、永遠のねむりについたジミー。「たとえ百歳まで生きても、思うことはとうていしたりないだろう」というジミーを、神様はそれなら美しいときにと思い、召されたのかもしれない。
 ジミーが死んで二十余年たった今でも、私のように愛する人々は決して少なくないと思う。ジミーの生き方、物の考え方について、私は知らないほうだと思うが、それでも私は私なりにジミーについて考え、感じていると思います。
 ジーンズ、リーゼント、ロック、オートバイ、車。私たち若者にも、ジミーと同じような血が流れているのだと思うと、うれしくなってしまいます。ジミーは“永遠の青春”なのです。
 そうです。ジミーは永遠に生きつづけるのです。彼を愛する人々の心の中に・・・・。彼のことを誰も愛さなくなる日、そんな日は永遠にこないだろうが、そんな日がくるまでジミーは生きつづけるのです。
 あのさみしげな瞳が、もの悲しい微笑が、やるせない後ろ姿が、そのすべてが・・・・。(11月12日)

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      メモ ランダム    池田

 *朴 養浩(パク ヤンホ)『狂った鳥』(「週間朝日」1977年11月8日より)の会話
 ==鶏舎に、ある日、一羽の新入りが来る。この鳥は「われわれは鳥だ。飛ぶべきだ」と訴える。飼いならされて飛ぶことを忘れてしまった鶏の間に、遠い昔の原始の衝動が、自由への渇望が起こる。===
 -食べずにどうやって飛ぶんだ、飛ぶことは食べることよりも大事か?
 すると気違い鶏が答えた。
 -信念をもとう。
 -信念ちゅうもんは、どういう恰好をしてるんだ? 黄色か、赤色か? それは一斤いくらするんだ?

 *エレングルグ『トラストDE』21章より(これはSF小説である)
 アメリカ人たちは、診察の結果、ほうっておけば早急に餓死してしまう公算が八十八パーセントはあることがわかった子供たち二万人を選別した。未亡人アンナ・アイスの息子ジョー少年は選にもれた。この少年には八十六パーセントしか餓死の公算がなかったからである。アンナ・アイスはジョーを引き取ってくれるよう泣きついた。
 「この子は死ぬことを、みなさんに誓います!」
 アンナ・アイスはつまみ出されてしまった。

 *森有正 “『哲学講義』刊行にあたって”(筑摩書房)より 
  表現されてみなければ、思想とは水の泡のようなものであり、表現されてみて、ある思想の意味もその欠陥も明らかになるのである。

 *カート・ヴォネガット・ジュニア『母なる夜』(白水社)より
 われわれはなにかのふりをするとそのものになってしまう。だからなにのふりをするかは慎重に選ばなくてはいけない

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        LHRの記録(2)  「記録ノート」より

 6月17日 合唱練習・教室でできるゲーム(フルーツ・バスケット)
 7月1日  散歩(御幸が浜)
 7月15日 一学期の反省(学習面・授業面・生活面)
 7月19日 夏季休暇について(休み中の心得・予定表作成等)

 9月9日  「進路資料」について 放送による指導(前多先生)
 9月16日 後期各種委員選出   歌『NONA MANIS』
 9月30日 レコード・コンサート
 10月7日 青春について(中庭で)  『小さな木の実』
 10月14日 2年の選択について・教育課程について(榊原先生) 体育館
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       レポート(1) 清掃終了の報告について
 清掃が終わりしだい、生物準備室の池田まで報告することにしているが、最近、それがルーズになっている。清掃しないで帰ってしまうこともかなり多い。これまでの報告の度合いを班ごとにまとめてみた。分母は清掃当番に当たった日数(これは完全に正確なものではないが)、分子は報告の回数、百分率は報告の割合である。

 7班  4班  1班
9-10月 5-7月 9-10月 5-7月 9-10月 5-7月
7/17
41%
14/21
67%
10/19
52%
21/23
91%
4/16
25%
17/22
77%
 8班  5班  2班
9-10月 5-7月 9-10月 5-7月 9-10月 5-7月
0/19
0%
0/22
0%
0/15
0%
14/22
64%
0/16
0%
6/23
26%
 9班  6班   3班
9-10月 5-7月 9-10月 5-7月 9-10月 5-7月
0/16
0%
6/22
27%
7/17
41%
18/22
82%
0/15
0%
7/22
32%

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   週刊誌から (1)   池田
  
 “クラーク当時、農学校の授業は総て英語だ。講義が終わるとノートを提出、先生が赤インクで直す。新渡戸稲造など後年、英文で著作する国際人を輩出した。その伝統の語学だ。最初からすぐ原典。カーライル「英雄崇拝論」だ。有島先生に課外購読を頼んで、「サーターリサータス」やシェークスピアの「テンペスト」、ホイットマンの「草の葉」。独語は東大を出たばかりの吹田順助先生が、ヒルティの「幸福論」。農科へ行くというのに、哲学、文学ばかりだが、これが良かった”
 「週刊朝日」11月18日号、“青春風土記・北大予科@”の一節。そうだったなと思い出す。北大付属図書館で新渡戸稲造のノートなどを見た時は仰天してしまったものだ。すべて英語なのだから。明治の学生の意気、近代化を進める意欲が、そのノートには、あふれていた。すべてを学びとろうとする意欲が、感じられた。
 英語でノートをとること自体は、それほどむつかしいことではない。だが、それを持続させていくことはむつかしい。私には結局、なま半可な力しかつかなかった。いま英文の論文や、小説を読もうとすると、大変な時間が要る。この難所をこえなければ、スラスラ読める境地にはいたらないのだと、自らにむちうちながら、辞書と格闘しているのである。
 大学生の頃、思いきって、きちんと、そしてそん欲に、英語を勉強すべきであった。未訳のヴォネガット・ジュニアの小説や、ジェイン・オースティンの小説が読めるくらいに・・・・。


学級通信 第11号 SPINNING WHEEL 1977年12月5日 小田原城内高校 1年9組

          メモ  ランダム    池田

 *糸川英夫『糸川英夫の入試突破作戦』(文芸春秋) 25頁より

 「消しゴムを持たない」という方法は単に一つの学科の点数をあげるだけではなく、その子供の人生に大きな喜びを与えるはずである。つまり、これは生涯教育にかかわっている。
 消しゴムでまちがったところを消す、というのは人生で最も重要な、失敗という宝物をゴミ箱に捨てるようなものである。消しゴムを持たないと社会人になってからも自分のミステーク、誤謬、失敗、欠点から目をそむけることがなくなる。これは、あらゆる「学習」の基本である。
 「学習」は自分がやってみて、できないところ、できなかったところを発見し、反復練習をくり返して、これを克服するというのが常道である。これより他に王道はない。

 *ジェームズ・ボールドウィン『悪魔が映画をつくった』(時事通信社、山田宏一訳) 12頁より
 
 通りで遊んでいたときに、ひとりの老いぼれた、肌の非常に黒い、そしてひどく酩酊した白人の女が歩道を千鳥足で歩いているのを見て、わたしはうちまで駆け上がり、窓から下の歩道を見るように母をうながし、大声で言った。「見て、見て。あのひと、かあちゃんよりも醜いひとだよ! ぼくよりも醜いんだよ!」
     ボールドウィンは黒人作家。

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      学級作文より 抜粋   (目下 編集中)
  
      漫画の良さ         高田紀子(仮名)

 この間の学校新聞に漫画について書いてあった。学校側は漫画をよい目では見ていない。いや教育者の多くは漫画を心良く思っていない。当然の事ながら、私は「なぜ?どうして?」と問いかけたくなる。もっと漫画というものを見なおしてほしい。中には、くだらない。この漫画は何を言いたいのだろう?と思うことが私にもある。けれど、私の好きな多くの作品は、これから歩んでいく人生についての多くの良きアドバイスを与えてくれる。勉強面においても一番一般的なもので漢字や廉語の意味などを教えてくれる。それからこれは、裏のことだが、ひとつの作品を作るために、漫画家が、どれだけの苦労をするか察してほしい。歴史ものをつくるためには、その時代の歴史をまるで専門家のように、調べ、作品に組み入れるのだ。その作品のテーマについて、くわしく練り、構成するのだ。それだけ苦労した作品の中から、何かを理解してほしいと漫画家はねがうのだ。少なくとも私が書く場合は、そのつもりである。その漫画を侮辱するということは、その苦労を知らないか、その苦労を侮辱することになる。その苦労を察する気持ちがあるなら、もう少し漫画を見なおしてほしい。
       英文タイプ技能検定試験    高橋鶴美(仮名)

 明日、タイプライターの検定試験がある。E級なのでそれほど難しくないのだが、私にとっては、難しい。ここ一週間内日練習しているが、それほど上達がない。私が夜中に練習していると、鐘がチンチン鳴ってうるさいと兄に注意された。でも兄だってラジオの音を高くして聞く時、私だってがまんしてあげているのだから勘弁してほしいと思う。タイプライターのマスターは私の高校時代の目標のひとつだから、それに近づけたみたいでほんとうにうれしい。こんな事を書くと、まるで受かったみたいだけど、実はまるでダメ。でも落ちてもいい。ただ受けられるだけでうれしい。落ちてもくいのないよう、今日一生けん命練習しよう。どもかくタイプを打つことはとても楽しく、勉強の息ぬきには最高です。
       映画『人間の証明』についての感想  瀬戸美津子(仮名)

 「母さん、ぼくのあの帽子どうしたでしょうね」この言葉は映画を見終わった数時間もの間、私の頭からはなれなかった。戦後、まだ私達が生まれていなかった世界、何もわからなかい世界に起こったできごとが、私達が産まれ生きている現在にいたるまで人々の脳裏に焼きついていたのだ。それが殺人事件にまで発展したと思うと、かわいそうでならない。日本人の母と黒人の父を持った青年が昔の美しい母との思い出をいだいてアメリカから来日したのに、母は自分の名誉のために我が子を殺してしまう。こんな残酷なことは、とても私にとってはショックなことだった。麦わら帽子の思い出も西条八十詩集も母からの愛情を求めるものだったのに、悲しい結末になってしまったことは母だけが悪いのではなく、戦後という時代がわるかった。また一人、戦後で父を失くした棟据刑事がいた。彼は殺された青年の犯人を追及したことで、最後には自分も傷ついてしまった。人間というものは、いつどこで傷つき、悲しむかわからないものだなあと、つくづく感じたのは、こんなことでかもしれない。
 今でも頭に浮かぶ・・・・
  母さん 僕のあの帽子どうしたでしょうね
  ええ、夏、碓氷から霧積へ行く道で渓谷へ落とした
  あの麦わら帽子ですよ
        無題     高畠君代(仮名)

 私が女の人にあこがれるようになったのは高校生になってからです。女子校だからなおさら女のひとばかり千何人もいて、その中でくらしていれば一人ぐらいあこがれの先輩ができてもおかしくないと思います。
 二学期になって急にあこがれた先輩はK先輩です。でもこの先輩は、とっても人気があるのです。K先輩はとてもすてきな人です。だけど、どうして私はこんなに女の人にあこがれの心をもつようになったのか不思議でたまりません。
 この間までやっていた女子のバレーボール・ワールドカップでもやはり12番の江上さんがとってもよくて、そのTVがやっている時は、もう夢中で見ていました。そして今や私たちの話題は、こういうすてきな女の人のことで、もちきりです。いつまでこういう気持ちが続くか予想は出来ないけれど、私自身はあこがれることは、よい事だと思っています。
 このようなことから、中学生の時と比べて高校生になってからの私は考え方や感情が変わったようです。それだけならいいんですが、けじめがなくて、だらけてきたように感じます。前の作文の時に、自分にあまえてはいけない、今を大切にいきなければいけない、というようなことを書いたような気がするけれど、もうだいぶ自分にあまえてしまってるし、今を大切にしないで、いやなことは、すぐあとまわしにしてしまうのが、私の悪いくせです。今ガンバラなかったら、二、三年になってたいへんだということを、よく聞きますが、それを言われるたび、私は胸がスキーンとします。もうこんんな自分はいやだ、一刻も早くこんな自分から脱出したいです。これには努力と、強い意志が必要です。だけど今の私の心はこういう気持ちでいっぱいです。
  
         テレビと私     関根土岐子(仮名)

 家へ帰ると私の頭の中はテレビの番組に花が咲く。えーと、日曜日の七時〜八時まではこれを見て、八時からは時代劇、そして十時からは・・・・と。これが一週間ぎっちりつまり、そして一カ月一年と重なっていくのだからどうしようもない。私はテレビに負けているんだ。中学時代、ある先生が言われた言葉を思い出す。
 「いいか。テレビに利用されるな。テレビをうまく利用するんだ。」
 言われた時は、なるほど、と思うがやがて、時間がたつにつれて、そんなことは忘れ、ついついテレビの前に座り込む。まったくダメなんだ。テレビの音が聞こえると、まるで魔法にでもかかったようにテレビの前に行ってしまう。
 結局、そんなにたくさん見たところで、何も残るわけではない。ほんの少しの感動と、たくさんの疲労感、「あー、おもしろかった」で終りである。
 こんなことでいいんだろうか?
 やはり中学時代、ある先生がおっしゃっていた。
 「とにかく学校から帰ったら、まず机に座っちまえ。疲れてたって眠くたって、まず机に向かっちまううんだ」と。
 確かにそうだ。そうなんだ。机に向うことが第一条件である。
 今の私には、こんな簡単なことすらできないんだ、机に向かわないで予習復習なんか、できっこない。
 私は天才でもなんでもないんだから・・・・。
 だから机に向かわなければならないはずなのに。
 でも今の私から急にテレビをとることなんかできっこない。それならせめて、テレビに利用されず、うまくテレビを利用してやろうじゃないか。   (11月24日)
          このごろ思うこと     細川喜美子(仮名)

 こんなにも物質的な面では豊かになった現在だというのに、家庭生活がそれほど進歩していないのは、どうしてでしょうか。
 まず第一に、私達の生活に欠くことのできない資源を有効に使っているでしょうか。たとえば、水。これは飲料水としても、農業用水としても決して欠くことのできないもの。この水を、私達はむだに使っていないでしょうか? そのために計画をくずし、必要でないものまで購入したりして、生活のバランスをくずしてしまう。
 私の経験で多いのは、流行を追って服をむだにしてしまうところです。そのたびにどうしたらよいか、考えるのですが、答えが出ないで終わってしまいます。フランスの女性は、決して流行を追わず、非常に地味で堅実な衣生活をしているとききます。
 もう一つ大きな問題点があると思います。それは、現代の母親の子どもに対するしつけの甘さ、知識のなさ、技術のなさです。なぜ、あんなにわがままに育ててしまうのでしょうか? 私は、最近、深く考えさせられたことがありました。
 若い母親と幼い男の子がバスに乗ってきました。すると、男の子がバスの中を見回して、「席がない」といって泣くのです。そうしたら、近くに座っていたおばあさんが、その子に席をゆずったのです。その母親は平気な顔をしていました。私はその母親の態度に驚き、あきれてしまいました。
 もちろん、この親子の態度に腹が立ちましたが、それと同時に、このおばあさんにも、もう少し考えてほしいと思いました。この親子のようでは、心豊かな家庭生活なんか営めっこない! 私は、まず、なによりも人の心から改善してゆかなければならないと思いました。
 とくに女性、家庭経営の中心である女性がしっかりした道徳観、知性、判断力、実行力を持てなくてはならないと思いました。高校に入学して間のない私ですが、家庭経営を学び、このごろ感じたことを記してみました。 (1977年5月記) 「FHJ」より転載

 ▼11月8日(火)、秋の遠足が行われた。強羅まで登山電車を利用して集合。雲行きがあやしかったので、明星が岳登頂を断念し、塔の峰までの林道を歩いた。箱根の温泉街が時々みえる。暑からず寒からぬ遠足日和だった。当日になってからの欠席者が多かったのが残念。
 ▼11月20日(日)の西相地区大会にて、卓球部、一年生ながら、よく健闘し、第二位。来年の活躍が期待される。
 ▼11月27日(土)日本女子体育大学主催のダンス・コンクールにてモダン・ダンス部、全国第三位!より豊かな表現を!
 ▼岩崎・金沢「幼児のねまきの工夫」が、県高校家庭クラブ・ホームプロジェクト研究発表大会で、最優秀賞!
 11月19日(土)に行われた大会に、城内高校を代表して、岩崎・金沢が出場し、発表補助協力者として、荒川・上田・碓井・勝俣・高畠が参加した。結果は審査員一致の最優秀。研究は夏休みに行った第1部と、その後、調査し、改良をした第2部から成っている。概要は生徒会誌「ますかがみ」に発表される予定。指導の鈴木幸子先生に多謝。
 ▼家庭クラブ発行の「FHJ」12月号58頁OPINIONに細川の「このごろ思うこと」掲載される。それを転載した。
 ▼各方面での活躍が著しくなってきました。高校生活もいよいよこれから最盛期に向かうというところです。目先のことにとらわれず、遠くをみて考えたり、生活したりしましょう。

学級通信 第12号 SPINNING WHEEL 1977年12月23日 小田原城内高校 1年9組

      冬の球技大会、躍進す

  恒例の球技大会が、行われた。夏期の劣勢をばん回し、各種目とも躍進をとげた。13日(月)バレーボールは一回戦一の七と対戦、相手チームのたったひとりの強力なサーブに乱され、20-23で惜敗。試合に勝って勝負に負けたといえよう。ドッジボールは一回戦一の六、二回戦一の一と勝ち進み、決勝で一の五と対戦(一の五は夏の球技大会のドッジボールで優勝している)。惜しくも敗退したが二位の栄誉を得た。一方、バスケットボールは14日(火)に一回戦が行われた。対戦相手は一の三。前半リードし、後半ふりきって、12-10で快勝、二回戦に進んだ。二回戦も同日に行われた。後半よくばん回し、12-12の同点となった。フリースローで勝敗を決した結果、1-2で惜しくも敗れた。対戦相手は一の四。バスケットは第三位。応援御苦労さま。   

      学級作文より 
  
      わたしのあこがれる人     細川喜美子(仮名)

 私の憧れている人は現在はBCRのレスリーとバレーボール選手の花輪さんです。なぜ憧れるのかと言われると困ってしまう。でも、ただ単にカッコイイというだけで好きになったりはできない。このように私はすぐに人に憧れてしまう。自分のもっていない所を、十分すぎるほど備わっている人に・・・・。
 私のクラスにも、とてもステキな人がたくさんいて、私はその人といっしょに生活することによって自分を向上させようとするのです。でも、わたしの中途半端な癖は今だになおせないでいます。
 人に憧れることはとってもよい事だと思いますが、ただそれだけでは終りにしたくない。私の憧れる人は、活動的で自分の一本の道をもっていて、そしてもうひとつ・・・・だれからも憧れられている人
 そして大きらいな人は自分自身。
      私のクラス      細川喜美子(仮名)

 私はハッキリ言って、高校へ行ってまとまったクラスなんてないだろうと思っていた。中学に比べ、つき合いの浅い表面的な関係しか期待していなかった、私自身。
 でも、現在の私のクラスは少なくともそんなクラスでないようだ。一言でいうと、案外まじめで明るくて笑いがたえないような、そんなクラス。こんなクラスに私はだんだんとけこもうとしているのに、残っている時間はもう長くはない。でも、ひとつ思い出ができましたね。前回では、あまり成績のよくなかった球技大会では、今回はみんなでよくまとまってできたようです。
 わたしがこのクラスを好きなように、みんなもきっと好きでいてくれると思います。残っている時間、みんなで楽しく過せることを期待しています。みんな、がんばろう! (12月15日)
      心の中の会話    田代博子(仮名)

 私は今、時の経つ速さに驚いています。四月に入学して、もう九ケ月が経とうとし、一九七七年ももう終わろうとしているのですから・・・。そして私はこの一年間何をしてきたのだろうか。胸を張って言えるものがあるだろうか、と考えてみたのです。すると心の中で二人の私の会話が聞こえてきたのです。
 「勉強は」
 「宿題とテスト前の一夜づけくらいがやっと。そしていつも思う事は同じ。もう少し勉強しとけばなあ・・・今度のテストはがんばろう」
 「何にも進歩が無いのね」
 「・・・・・」
 「部活の方は」
 「もともと栄んな部でもなかったから練習も適当。でも中学時代、同じ部活だった友達に会うと思う。彼女たちががんばっているなあって」
 「寂しいのね」
 「・・・・・」
 「他には」
 「読書もマンガだけ。小説は三冊くらい、でも読みたい本はたくさんある」
 「なぜ読まないの」
 「時間が無い」
 「ウソー。テレビ見てる時間があるじゃない」
 「・・・・・・」
 「結局、何にしても意志が弱いのよ。甘えてるんだわ」
 「そんなの昔から分かってた・・・・。でもどうしようもないんだ」
 「もう16才になるのだから、そんなこと言っててはダメ。強くならなくては・・・・」
 「・・・・・・」
 これが私の心の中で起こっている会話です。今まで私のしてきたことを反抗的に言う私、まるで弟のように。批判する私。まるで姉のように。姉の私の一つ一つの言葉が、弟の私の心をグサグサと刺していくのです。そして認めているのです。意志が強くならなければいけないと・・・。
       (12月20日)

    ≪学習についてのアンケート結果  レポート(2)≫
     いっさいの望みを捨てよ・・・・ダンテ『神曲』地獄篇より

 12月17日(土)、期末テストが終わってから一週間後、学習についてのアンケートを行った。結果はうれうべきもので、このままでは、手のつけようがなくなってしまう。なんとか、この辺で、学習に対する反省と展望をもつ必要があるのではないだろうか。結果と解説を記す。
 (1)試験後の家庭学習時間は、なんと!ほとんどしていない者 28、一時間 7、二時間 7、四時間 1である。勉強時間が少ない方がカッコイイなんて思うのはまちがいである。「試験のためにする」勉強しかしていない人が大半であることがわかる。
 試験が終わるとバッタリ勉強しなくなってしまうのは、学習計画がないからでは、と思い、次の質問は、
 (2)週単位の学習計画表を作っている者 3、作っていない者 40(内、作ろうと思う者 12、思わない者 28)。計画がなければ、大学の入学試験を突破することはできない。大学へ進学するのは、高校へ進学するのとは、全然ちがうのである。全国的な規模で競争するのだ。実力をつける必要がある。それには「たゆまぬ」努力が要る。
 (3)ふだんの勉強時間も、いかにも少ない。読書時間も合わせて、これだけというのでは「していない」か「お茶をにごす」程度といえよう。
 ほとんどしていない者 2、一時間 10、二時間 19、一〜二時間 2、二〜三時間 3、三時間 6、? 1
 (4)さて、その勉強の内容であるが、
   宿題・課題のみという受身型(ダメで賞) 25
   予習・復習もするという型(いくらかましで賞) 11
   実力錬成もするという型(立派で賞) 0
   していない(救いがないで賞) 3
   その他  3
 好きなことなら寝食忘れてということはないのだろうか。学校というのは、なんでもしてくれるところではない。学校に甘えるな。
 (5)家庭でいくら時間をかけても、授業中に理解できていなければ、効果は、あがらない。さて、理解困難教科はというと、
   古文 24、英語G 20、漢文 16、生物 15、家庭 12、現代国語 9、保健 5、地理 3、英語R 2
   (勉強の方法がわからないのかな?)
 (6)わからないときにどうするか、このことがむしろ問題である。授業中に質問するのが最良なのだ。自分にとってむずかしいところは、他の人にとってもむずかしいところである。ところが、先生に聞くというのは2名! 友だちに聞く 15、参考書や事典やガイドを調べる 18(これは悪い方法ではないが、その場で先生や友だちに聞くのに比べると、能率の悪い方法である)、試験直前になってからなんとかする 23(ごまかし型という)、どうでもいいやとほったらかしておく 4(何のために学校で勉強するのか理解に苦しむ) 受身なんだな。
 (7)読書時間も含めて一、二時間というのは、あまりに少ない。ここひと月の読書調査によれば、マンガがやはり圧倒的で、これに要する時間は、答えには入っていないようだ。
   マンガ・趣味誌・高一コース等 一〜三冊 7    四〜六冊 4
             七〜九冊 3    十〜十九冊 3  二十冊以上 1
   マンガも読んだが小説も読んだ  二〜三冊 8    四〜六冊 4
             七〜九冊 1    十〜十九冊 4  二十冊以上 1
      (たいていマンガの冊数の方が多い)
   小説や詩集  一〜三冊 4   四〜六冊 1   無記入 3
 (8)マンガが悪いとは私自身は思わないが、マンガだけしか読まないというのは、欠陥人間であると思う。マンガも読む位が正常なのではないか。読んでいるマンガ以外の本を列記してみる。
  『裸の王様』『パニック』(開高健)、『人間の証明』(森村誠一)、『エデンの海』()、『雪国』(川端康成)、『幽霊』(北杜夫)、『モモちゃんとあかねちゃん』(松谷みよ子)、『八つ墓村』『夜歩く』『本陣殺人事件』(横溝正史)、『むださわぎ』、『考えるヒント』(小林秀雄)、『張り込み』(松本清張)、『その妹』、『高瀬舟』『渋江抽斉』(森鴎外)、『小さな恋のメロディー』(みつはしちかこ)、『ピエロの唄』(北山修)、『紀ノ川』(有吉佐和子)、『立原道造詩集』、『中原中也詩集』、『車輪の下』『郷愁』(ヘッセ)、『アンネの日記』(アンネ・フランク)、『エクソシスト』(ブラッティ)、『若きウェルテルの悩み』(ゲーテ)、『復活』(トルストイ)、シャーロック。ホームズもの(ドイル)、『異邦人』(カミユ)、『カリフォルニア・ゼネレーション』、『シカゴの熱い日』、『ペピの体験』、『サンダーボール作戦』(フレミング)、『鳩の中の猫』『予告殺人』(クリスティー)
 (9)授業中に理解することの困難な教科数を調べてみると、
   1教科 7   2教科 13   3教科 14   4教科 6  5教科 2 10教科 1
 理解困難教科は前日に20分でもよい、予習しよう。授業がちがって聞こえてくるはずだ。
 (10)結論 最低三時間の学習を習慣化しよう。本を読もう。
 (11)補足 笠松先生のアドバイス「答案を見ると、問題の意図するところをとりちがえて答えてしまっているのが、かなりある。わかってはいても答え方が適切でないと誤答となってしまう。問題を何回も読んで答える。答えを推敲しよう。ふだんの授業では、もっと声を大きく、抑揚のある授業にするようにしよう」
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    一九七七年 歌のベスト3  池田

 第一位 山崎ハコ「綱渡り」 これは昨年の歌だけれども、今年になっても。これ以上の感銘を与える歌はなかった
 第二位 佐渡山豊「金魚鉢」 沖縄出身の彼には、もう五年以上も前だろうか、「どうちゅいむに」という心をうつ歌があった。「金魚鉢」はフォーク調だが、詞に毒があることでは「どうちゅいむに」に劣らない。「金魚鉢には金魚がいない、金魚鉢にはぼうふらばかり・・・・金魚って、ほんとにふしぎだな」
 第三位 沢田研二 「憎みきれないろくでなし」 哲学的歌詞!

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     『男たちの旅路』大批判  テレビをむつかしく見よう    池田

 NHKが土曜ドラマで放送している『男たちの旅路』は、よくできたドラマではあるが、よいドラマではない。このドラマには、中年のガードマンと、若年のガードマンが登場する。中年のガードマン(鶴田浩二)は特攻隊生き残りである。過去のある彼と、現在の青年たち(水谷豊、柴俊夫、桃井かおり)の考えのちがいが、行動のちがいが、ドラマの底流になる。その対立がドラマを作っているのか、というと、それがそうではないのだ。あるのは見せかけの対立であって、真の対立ではない。鶴田浩二扮するガードマンだけが、青年たちに(そして視聴者に)説教する権利を与えられているのである。青年たちは最後には、考えぶかげな顔をして、だまりこんでしまうのである。私たちはドラマを見ているのではなく、説教を聞いているようなものである。このドラマの内には、自由がない。大変不自由な構造のドラマである。 


学級通信 第13号 SPINNING WHEEL 1978年2月4日 小田原城内高校 1年9組

      学級作文より 抜粋
  
       ラグビー      荒川一子(仮名)

 「ピーッ!」
 「ノーサイド」
 その瞬間、男たちの泥だらけの顔から笑みがこぼれる。フィフティーンが一つになり、無心に戦う姿に私は今、夢中なのです。ラグビーのルールなどなにも知らなかった私が、どうしてこんなに夢中になったのか、自分でも不思議なくらいなんですが、スクラム・タックル・トライ、ラグビーのすべてに、男たちが賭ける情熱が感じられ、いつのまにか、その世界に入り込んでいるのです。
 お正月に放映された大学ラグビーでは、すっかり明大のファンになってしまいました。今日も明大対トヨタ自工の日本選手権を見て、負けてしまったけれど、その若さあふれるタックルにはおそろしいほどの気迫を感じさせる明大フィフティーンでした。
 きっと彼らにとってラグビーは青春そのものなのだろうと思います。だから彼らがラグビーに夢中になっている姿は美しいのだと思うのです。そしてこの私も今年で十七才。青春のまっただなかにいるのです。
       吾亦紅       内田弘江(仮名)

 ある雑誌を広げて読んでいると、こんなことが書いてあった。--
 ふとなにげなく、本当になにげなく足を止めたら、ペタンコグツの足もとに、小さな小さな紫がかった赤い花が、ボッチリと咲いていました。冬の路地裏。「吾亦紅」の花です。われもこう、われもこう・・・・ミルクキャラメルしゃぶるように、その花の名を何度も何度も転がしてみました。私にはなぜか“我も恋う”・・・・私だって恋してるんだと聞こえます。冬枯れの路地裏に咲いた吾亦紅の小さい花も“我も恋う”とひそかに恋しているのでしょうか。吾亦紅は、ええ、たぶん片想いです。なんとなくそんな気がするのです。華麗な紅バラのようには、吾亦紅は愛されることには慣れていないのです。愛されなくてもいい。愛されるより愛したいと願う、いじらしい花なのです。・・・・略
 吾亦紅は、待つことを知っている花なのです。待つことのせつなさ、待つことの淋しさ、待つことの辛さ、待つことの不安を知っている花なのです。そして、待つことの甘美さをも知ってしまった花なのです。
        一年待つのも辛くない
        あなたが必ず来て下さるのなら
        一秒待つのも辛いこと
        来るあてのないひとならば
 そんな詩がありましたっけ。ただひたすらとりとめもなく待つのではなく、自らの意志で待つのであれば、待つこともまた女の明確な意志表示なのではないでしょうか。待つ方も苦しく不安なら、きっと待たせる方も苦しく不安なのです。ちょうど、約束を破られた方も辛ければ、破った方は、もっと心痛いように。あなたは“待つ私”を選びますか? それとも“待たせる私”を選びますか?・・・・略
 遠い昔の思い出です。いつかあの人に言ったことがありましたっけ。「あなたって優しい人ね」。するとあの人は、「優しさに気づく人は、もっと優しい人なんだよ」って。そんな風に答える人は、もっともっと優しい人なのに・・・。----  

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        メモ ランダム  池田

 *ジョルジョ・シムノン「メグレ警視のクリスマス」『EQ』第1号より
 メグレはまた眠った。が、深い眠りではなかった。長い時間でもなかった。しかし、その間にはっきりではないが、感動的な夢を見た。あとでその夢がどんなものだったか思い出せなかったが、それが感動的な夢であり、感動として残っていることはたしかだった。

 *トールキン『指環物語2 旅の仲間(下)』(評論社文庫) 130頁より
 「旅の道が暗くなった時に別れを告げる者は信義にもとる輩よ」とギムリが言いました。
 「そうであるかもしれぬ」と、エルロンドが言いました。「しかし、日の暮れるのを見たことがない者には、必ず暗闇を歩いてみせると誓わせぬがよい。」
 「けれど、誓いによって、揺れ動く勇気が強められるかもしれません」」とギムリが言いました。
 「あるいはその勇気を砕くかもしれぬ。」と、エルロンドが言いました。「あまり先のことは考えられるな! しかし、今は元気よく旅立たれよ! さらばつつがなく、エルフ人とすべての自由の民の祝福が御身らの上にあらんことを。星々の光が御身らの面を照らさんことを!」

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        TV批評 『欽ちゃんのどこまでやるの』(水曜日、テレビ朝日)  テレビをむつかしく見よう  池田

 萩本欽一と真屋順子のコンビのホーム・コント「欽どこ」を見ていると、ほっとする。ギャグ然としたギャグではなく、どの夫婦にも、ふつうにありそうな、日常的なギャグを、ゆうぜんと連発しているこの番組には、テレビを日常化する精神があふれている。テレビが珍しく、テレビに出たり、テレビを利用することが、なにか特別な大事件であるような扱いではなく、そして、テレビ・スターがスターであるような扱いでもなく、テレビというものは、きわめてあたりまえのものなのだという扱いをしている。テレビの中にテレビがあって(ふだんは「欽どこ」というタイトルだけが映っている)、夫婦が持った疑問に電話一本で答えてくれるのである。「番組の途中ですが、いつもの夫婦の質問にお答します」と始まって、“いないいないばあ”の仕方や、うわさの伝わる速度などを教えてくれるのである。
 テレビをあがめている私たちとの意識のずれが、おかしさを誘う。そして、このきわめて日常的な番組は、私たちの日常の中にも、テレビでやっているようなコントがふくまれていることを示しているのである。日常の中にも素材があることを。
 味覚糖のアンメーションも楽しい。


学級通信 第14号 SPINNING WHEEL 1978年2月14日 小田原城内高校 1年9組


      学級作文より 抜粋
  
       今日感じたこと     遠藤このみ(仮名)

 (1)今日のLHRで、先生が、宇宙についての話をして下さった。私も、多少なりとも興味がある。私がそれに興味を感じたきっかけはSFのスペースオペラというきわめて単純な理由だった。まだ小学校五、六年生だったと思う。中学に入学して、一年の冬にちょうど月食があったので、希望者だけ、学校に集まり、星と月の観察をすることになった。夜おそかったけれど。私も希望して、学校に備えてある天体望遠鏡をみせてもらった。よく晴れていて、土星・木星などがはっきり見え、たいへんおもしろかった。しかし、興味はもつけれど、あまり熱心に調べないので、今のところ何を言われてもさっぱりわからない。そのうちに、習うことになると思う。自分の知識に少しでもつけ加わるように、やっていこうと思う。
 
 (2)今日、節分だった。このごろは昔ながらの行事も少なくなってきているが、やはり、それらには伝統的なよいものがあると思うので、続けていったほうがよいと感じている。私の住んでいる町も、町のお祭りや、どんど焼きなどがある。町ぐるみでやる行事もまた楽しいものである。昔ながらの行事は大切にしたいものだ。
 
 (3)ここ二〜三日は、冷たい風が吹く寒い日が続いている。受験シーズンにかさなって、インフルエンザもはやっているようだ。城内の一年生は元気がよいということだが、体には気をつけたいものだ。また、日本海側は大雪だそうで、大変なようだ。が、こちらにも、少しめぐんでほしい気持ちもしている。  (2月3日)

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      LHRの記録(3)  「記録ノート」より

 11月4日(金) 遠足について(班編成)  学習カード記入(県一テスト)
 11月18日(金) 女子と大学(テープ使用)   歌『忘れな草をあなたに』
 11月25日(金) 進路調査票提出、指導要録用住所氏名記入  歌『誰よりも君を愛す』(昭和35年)
 12月16日(金) ゲーム(人ぬき、言葉送り、拍手で集まろう)
 12月23日(金) 冬休み中の生活心得、二学期の反省  歌『北上夜曲』(昭和36年)
 1月13日(金)  新年会(ぴったしカンカン、フルーツバスケット)  歌『遠くへ行きたい』『いつでも夢を』(昭和37年)
 1月20日(金)  来年度年間行事について(城内祭・朝会)  
 1月27日(金) かぜについての注意、進学、選択について。 池田「探検部のこと」 歌『失恋レストラン』(昭和52年)
 2月3日(金) 視聴覚室  西井斉先生講演「星について」
 2月10日(金) 高校生の自殺について(学年統一テーマで討議)  歌『武田節』
  
 LHRもあと数回。話し合いに積極的に参加しよう。

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     ≪レポート(3) 自殺について≫ 2月10日LHRにて (「記録ノート」より 発言者の意見のみ)
 一 自殺についてどう思うか(低年齢層の自殺)
 「まだ若いのにもったいない。もっと苦しんでいる人がいる」「今の世の中がわるい」「自殺について考えたことはない」
 二 自殺する人に対してどう思うか
 「まわりの人が、そのような環境を作ってはいけない」「自殺する前にもっと考えるべきだ」「勇気がある」
 三 自殺することにあこがれたことがあるか
 「あまり真剣に考えたことはない」
 四 資料の「受験控え自殺について」(女子中学生)について
 「自分の意志が弱い。もう少し考えた方がいい。遺書の内容はわからないが」「死ぬ前は現実にないようなことを遺書に書くから恐ろしい」
 五 資料の「生きる自信なくした」(小学五年生)について
 「考え方が幼い。意志が弱い」「東京と小田原では異なるだろう。小学五年生のような小さな子が思いつめてしまうような環境が悪い」「死ぬということは勇気のいることだ。その勇気を生きることに使えばよい。この子は生きることが楽だと思っているから、少しつまづくと、そこから逃げようとする。意志が弱い」「自殺する年齢が低いのは、親が“勉強、勉強”というからである」
 六 自殺を防止するには
 「相談にのってあげる。見捨てないこと」「相談にのってあげるのもいいけれど、自分でそれを抑制すること」「死ぬ勇気があれば、生きればよい」「内気な人が多いので、親が相談相手になってあげる。親が子供に関心を持つ」「自殺するのは自分が甘ったれている証拠。自分につよくなろう」
 七 自殺する人に対して
 「自分がしたいと思ってやったことなら、自分で責任をもちなさい」「もっと強くなりなさい」「死んで花実が咲くものか」「もう少し生きていれば、いいことがあるかもしれないから、おむかえがくるまで生きていましょう」
 八 どんな自殺をしますか
 「火山の噴火口にとびこむ」「エッフェル塔からとびおりる」「踏切で電車にとびこむ(父親の電車にとびこめば後始末料三千円がもらえる)」

             自殺について 断章   池田

 自殺者の心を完全に理解することはできない。心の中がすべて自分のこと、自分の悩みでいっぱいになってしまって、他のことを考えることはdけいなくなってしまうのだろう。
 「死ぬのがこわい」というのは、決して臆病な考え方ではない。「死」を想像することのできるヒトが、本来持っている当たり前の感情なのだ。
 自殺者の悩みを、私たちが生きるスプリング・ボードにしていかなければならない。人間に残される最後の自由が自殺だという考えがある。だとすれば、今私たちは、何となく生きているのではなく、生きることをえらんでいるのだ。そのことを大切にしたい。生きるのは私たちのつとめなのだ。
 小さなことが人を生かす。『ミニ・ミステリ傑作選』(創元推理文庫)のなかの「ある老人の死」を読んでみよう。


学級通信 第15号 SPINNING WHEEL 1978年3月1日 小田原城内高校 1年9組


      学級作文より 
  
       さよならの詩     浦 しいみ(仮名)

 姉の卒業文集を読んだのはもうずっと前のことだけど、その中の一つに今でも頭に残っている大好きな詩がありました。
   
     フランスでは上手にさよならが
     言えるようになって
     はじめて本当の恋ができるといいます
     さよなら上手になりたいと思いながら
     さよならなんてない国へ
     行きたいとも思うのです

 この人は、失恋でもしたのでしょうか?と疑問を持たせるような詩だけれど、私は、この中に感じられる少女の心がなんとなく分るような気がして好きなのです。
 もうひとつさよならを詩(うた)った好きな詩があります。 

          涙       宇都宮 里志

     さよならのあとの
     ゆらゆらした気持ちが
     少し好きです

     微笑と涙の
     とてもわずかなすきまに
     立ちすくんでいるのも
     そんなとき気づくのです

     いつも涙は
     どっとあふれたりしないことに

     林をながれる霧が
     ながいあいだかかって
     木の葉や幹をぬらすように
   
     さよならのあとの涙が
     わたしをぬらすには
     ながい時間が必要だということに

 とにかく、さよならというのはきらいだけれど、人生にはついてまわるものなのです。(2月15日)
     

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      メモ  ランダム     池田

 *山崎ハコ『真夜中に太陽が見たい』(講談社) 32頁より
 私は声をつかって歌っています。あなたは何をつかって歌っていますか?

 *なだいなだ『教育問答』(中公新書)3頁・7頁より
 --教育のことが心配で、子どもの将来のことを考えると、自信が持てないんです。
  美しい声の持ち主は、力ない声でいった。
 --おやおや、ぼくだって、その点では、ぜんぜん自信などありませんよ。
  ぼくは、そう答えた。本当だからである。ぼくだって自信を持って生きられたらいいだろうと思う。だがある時から自信を持って生きられるのは、幸福な限られた少数者だけだ、ということに気がついた。それから自信なく生きる覚悟をしたのである。
          *      *      *
 そりゃ、完全な自信など、なかなか持てるもんじゃないですけど、今よりは自信が持てるようになります。ぼくだって、比較にはならないだろうけど、医者になりたての頃は、ぜんぜん自信がなかった。十年たって、ようやく、ちょっぴりだけど、まあまあ、なんとかやれるかな、という自信がでました。ぼくは、なんでも、ちょっぴりで満足する方ですから、そのちょぴりの自信に満足して、医者を続けてきたんですよ。

 *山田宏一『友よ映画よ』(話の特集) 182頁より
 映画を作っている側の気分が画面ににじみ出てくるような映画。シナリオよりも、ストーリーよりも、ドラマよりも、監督やキャメラマンや俳優たちの生活感覚、生きる歓びを大事にするルノワールの映画作りこそ、<ヌーヴェル・ヴァーグ>の方法であり、精神であった。
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 ▼生徒会誌「ますかがみ」の89頁、鎌田美佐子の「日本のおばあさんとアメリカのおばあさん」を、必ず読もう!この文章の簡潔さと、そこに盛られている思想は学ぶべきものがある。前段に描かれる日本のおばあさん(というより鎌田のおばあさん)の姿に、』私は心うたれる。私にもおばあさんがいた。そのおばあさんにふれて、19歳の時につづった文章がある。それはこの次にでも紹介しよう。その当時、考えていたこと、今考えていることと、鎌田の講演の内容が、共鳴しあうように思えるのだ。
 
 ▼1月9日、3年1組の大木保奈美(仮名)が亡くなった。あまりにも突然、あまりにもあっけない死だった。2年の時には生物部だったし、友人の川口美里(仮名)といっしょに、時々話にも来たから、よく知っていた。信じられなかった。一瞬気が遠くなるような感じがした。なにも考えられなかった。小さな過去の出来事が頭の中いっぱいを占めた。すわっていると、次々にいろんな彼女が思い出されてくるのだった。こんなふうに書いている今も。
 (校内で亡くなった彼女の死体を発見したのは私だった。)
 11日ごろだったと思う。本田先生がギターをかかえて生物準備室へ来られた。大木のたあめに、そして最後の最後まで大木のことを心配し、学校中を探し続けた友人、川口のために、歌を作ったという。未完成だったが、本田先生が口ずさんで、私が採譜した。そのあと、手直ししたり、歌詞の不足分を西井先生が補ったりして歌のかたちにした。私の妻が伴奏をつけ、いくらか手直しをした。原型を尊重して改変は一部にとどめておいたそうである。その歌を紹介する。
 意をくんでほしい。
    

         勉強をするとはどういうことだろう     池田

 勉強について、最近、なるほどと思ったのは、船川豊先生のことばである。それは、こんな言葉だった。
 「教師は、勉強は面白いものだということを教えるのではなく、好きであれ嫌いであれ、勉強はしなければならない大切なものだということを教えるべきだ」(2月2日)
 もちろん、これは授業が面白くなくても当然だという意味ではない。また、勉強が大切であることを知ったうえで、興味のもてる授業があれば、それほどよいことはないのである。
 私はときどき、なにをどのように教えたら、生徒がよりよく理解できるようになるかということを考えてにる。「面白く勉強させるにはどうすればいいのだろう」という疑問を発したときに、船川先生がこの言葉を言われたのだった。
 面白いからするのではない、大切だからするのだ。
 面白い、面白くないという、感情のレベルから考え始めるくせのついている私には、ショックな言葉だった。感情は一時的なものである。その時々の感情で勉強をとらえるのではなく、持続するものとしてとらえなければならないのだ。つまり、勉強は、生涯つづけるべきものなのである。
 より広く、より多面的なものの考え方ができるようになるために。自分の世界を広げるために。
 面白くするにはどうするかということもあわせて、私自身が勉強の大切さをよく理解し、勉強しつづけていなければ、生徒に勉強の大切さが伝わることもないだろう。
 雑談や冗談にのみ面白さを見い出すのではなく、自分の内の“知の世界”に面白さを見い出すべきだろう。


学級通信 第16号 SPINNING WHEEL 1978年3月13日 小田原城内高校 1年9組


      学級作文より
  
       詩        熊沢いちえ(仮名)

 私は、詩が好きなんです。今回は何も書くことがなかったので、日ごろ、雑誌や詩集から書き写しておいた詩を書くことにしました。(主に恋の詩)
 みなさんは恋をしたことがありますか? 私は・・・!?

          嘘つき

      必ず幸せが来るって
      信じてたのに
      何もなかったの
      どうしようかな
      この四つ葉のクローバー
      きっと彼に逢えるって
      信じてたのに
      逢えなかったの
      もう読まないわ
      この星占い・・・
      願いがかなうからって
      信じてたのに
      見えなかったわ
      もう空は見ない
      流れ星なんてないもの


          死

      砂の足跡
      波が消す
      愛の軌跡を
      風が消す
      ・・・・・・
      私の中の思い出を
      眠りがしずかに
      消していく


         通りゃんせ

      通りゃんせ   通りゃんせ
      誰もが通る  青春の門
      幾多の苦しみ  幾多の涙
      かえらぬ輝き  明日への扉
      愛と失望の道標(みちしるべ)---

      迷いの日々を通りゃんせ

      通りゃんせ   通りゃんせ
      いつかは通る  分岐点(わかれみち)
      ひとりの道を  通りゃんせ----


          白い道

      冷たくかじかんだ手を
      あなたと私
      離すことなく・・・・
      白い息をはきながら
      ふたりで歩いた白い道
      誰もいない夜の道に
      ふたりだけの足跡を残しながら
      指先に伝わるあなたと私の
      小さなぬくもりをにがさないようにと
      かじかんだ手を
      離すことなく・・・・・
      どこまでも  どこまでも
      あなたと歩き続けたい白い道

 二十歳の時の文章を転載する。わかりにくいところもあるが、そのままにしておく。老婆は私のおばあさんで、数年前に亡くなった。これを書いた時は存命していた。つげ忠男は漫画家である。(1978年3月6日記)

    沈黙のなかへ    池田博明 

 ここに、ひとりの老婆がいる。座敷のまんなかに、背を丸めて力なく正座し、枯れた腕を所在なげにもものうえに投げ出している。どこを見るでもない。どこを見ないでもない。昼日中、陽の光が部屋をくまなく照らす時も、陽が落ちて、白色の光を放つ蛍光灯をつけるまでの、ほんのわずかな薄暗い時も、同じ様にすわっている。時折、その沈黙の輪の中に僕が踏みこむと、首だけをゆっくりまわして、おもむろに目を上げ、前歯の欠けた口をわずかに開いて、「エヘヘ」と笑う。それでも僕がただ黙って立っていると、老婆は顔中のしわを、また唇に集めてむっつりと口をつぐみ、目を伏せて、元の姿勢に戻ってしまう。
 僕らが隣の部屋で「やはり北海道のとうもろこしは味がいいね」などと話していると、突然、老婆が語り出す。
 「あの毛でなあ、おら、わらじなぞつくったもんだぜ」
 「へえ。わらじを。毛で」
 「む」ゆっくり、うなずく。
 「へえ。とうもろこしの、あれでねェ」
 「ん。とうもろこし…」もう話すことがない。
 時には、とんちんかんなことを急に言いだす。写真やカメラの話をしている時に、ずっと聞くともなし聞かぬともなしでいた老婆が、
 「南のおっつぁなぞ、よぐ、おらいさ来てったもんだぜ」と言う。そしてすぐまた黙る。僕らには、こんな連想がどうして働いたものか、わからない。
「ふうん」と生返事をして、ごまかしてしまう。
 坐っていない時は、ねている。ねていない時は、坐っている。
 どのように生きてきたのか。自らそれを雄弁に語ることはない。僕からみれば、脈絡のない偶然的な言葉が、時折語られるにすぎない。
 「おまえは、やさしい子だんだも。エヘヘッ」
 僕が?やさしい?沈黙の深みに沈んでいた切れ切れの思い出が、ある時、老婆の目に見えてくる。それを拾いあげた言葉が、しばしば僕をどぎまぎさせる。
 「おまえば連っで病院さ行った時、階段ば、たったと走ってあがって行くんだも。危ねえから走んななて言っても、おまえの弟なぞ、さっぱり聞かねでなあ。んだげんど、おまえは少しあがって、おれの姿が見えなくなっと、そこで止まって待ってるもんだけ。して、また、おれの姿が見えてくっと、たったとあがってゆくもんだけ」
 それは、ほんの些細な、過去の一瞬の思い出にすぎない。老婆はそのちっぽけな一点にしがみついて、僕をやさしい子だと断じるのだ。僕は問う、<僕は、いまもやさしい子だろうか?>
 この沈黙の深みにはまって、もはや喋ろうとも喋るまいともしない老婆に対して、ぬくもるような愛情を持ってはいないし、持った記憶もない。そもそも、僕はだれかひとを愛したことなどあるのか?
 この老婆が娘だった頃は、わがままだったという。自分の思いどおりに、ことを運ばせようとする。武士の娘だぞという矜持が切札だった。村の調停役になったこともある調和型の夫とは気が合わず、喧嘩が絶えない。その夫が中風で倒れた時、看病しようとしたが、なにかというとその手際のまずさを夫にどやされる。こわくて、夫にほとんど手をふれることができなかった。病の床について八年のち、夫は亡くなる。老婆は、くりごとが多かったらしい。家のこと、嫁のこと、子のこと。今でも老婆はときおりくりごとを言っては、たしなめられる。しかし、老婆がくらなかった事柄のひとつ。それは、自分のこと。 老婆が自ら自分のことを語らぬ以上、僕は僕の目や耳から始まって皮膚感覚までを動員して、好奇心の網を完璧にすべきだろうか。しかし、老婆の沈黙からは、実は次々にたぐりだせるようなものはないのだ。沈黙の背後には、おそらく何もないのだ。老婆は何も隠してはいないのだ。僕はただ黙って同じ様に坐ればよいのである。老婆は「エヘへ」と笑う。そして、それだけだ。年老いた人は、なぜあのように一点を見つめて黙っていられるのか?或る日、僕は道のわきの樹木のそばに 、心もちそっくり返って立っている老婆を見た。不動だった。またたきさえしていなかった。その動かない目が、唯一、その老婆が石像でないことの証しでさえあったのだが。
 そしてまた、ここにひとりの老婆がいる。それは、つげ忠男の描いた『きなこ屋のばあさん』の内にいる。タイトル頁には、そのきなこ屋のばあさんの眠っているような起きているような顔が、深い陰影をもって画かれている。「見ようによって…薄笑いをうかべているようでもあるし…深い…悲しみの顔とも受取れる。陰影によっては起こっている風でもある」そんな顔で、店の前に出した座布団をしいた木箱の上に正座している。作中の<僕>は、会社の帰りにいつも駄菓子を買うので、すっかり顔なじみになるが、ばあさんの愛想は特別良いわけでもない。<僕>は向いに下宿しているのだ。
 ばあさんは何も言わぬ。それで、下宿屋のおばさんが、きなこ屋のてんまつを話してくれる。古い店だが、新しい菓子が出てきて、じいさん創案のきなこ菓子は売れなくなり、店を引き継いだ長男夫婦が今様の菓子類に切りかえた。だが、表通りに大きな店ができ、路地裏のきなこ屋は左前になる。そして、ここ三年は、じいさんの肺炎死、長男の交通事故死、娘を残しての嫁の駆けおちと続く。実にきちんとした不幸なのだ。あまりに整然たる不幸物語をスラスラ聞かされて、<僕>は、おかしくなってしまう。絵にかいたみたいだ。
 或る日、<僕>は、ばあさんと珍しく実に楽しく話す。ばあさんは機嫌よく話してくれた。漢字が下手なこと(読めない、の意)、漢方薬の詳しい知識―それは、じいさんの看病と結びついている、じいさんの風邪(実は肺炎)が治らなかったことはないのだが、結局、じみょうだったと思うこと、あたしも、もう観念してること、散々良い思いもしてきたこと。
 <僕>は、「大丈夫、ばあさんはまだまだ…」と感じたが、十日後、ばあさんは、店番の木箱に坐ったまま逝ってしまった。いつ息を引き取ったのか気付いた者はいなかった。いつもの居眠りとしか思われなかったのだろう。下宿屋のおばさんのところへ、孫の小学校三年生位の国子ちゃんが、ただ泣きながら来た。おばさんは事態を察した。極楽往生。葬式は町会で済ませたのである。
 下宿屋のおばさんはしみじみこう言う。「でもねえ、こうも思うのよ…きなこ屋の不幸も今度こそ終わりだって… おばあちゃんがきっとあの家の不運を全部、持ってったわよ… 国子ちゃんの事を考えてさあ…」
 しかし、はたしてそうなのだろうか。
 今日は随分 風の強い日だが、「国子ちゃんは何を考えているのだろうか…」「今日も店をあけている」ラスト頁の下半分には、母親そっくりだという国子ちゃんが正面を向いている。風の吹きすさぶ中に、である。
 国子ちゃんもまた眠っているのだろうか、起きているのだろうか。そして、「何を考えているのだろうか」
 ラスト頁に至って、ここに描かれた国子ちゃんの顔は、みごとにタイトル頁のばあさんの顔と照応するのである。
 僕が言いたいのは、国子ちゃんの未来が、ばあさんの顔に象徴されるとか、国子ちゃんも、これから人生の荒波をかぶるのだとか、そんなことではない。その沈黙のありようなのだ。そしてまた、ばあさんや国子ちゃんが「何を考えているのだろうか」と問わずにいられない、そのような<僕>の存在のありようなのだ。

 僕は次のような菊地浅次郎の言葉を引用するだけで足りるかもしれない。
 「つげ忠男は、生活者の沈黙にはどれほどに多くの語るべきことがひそんでいるか、を告げる、と。(略) 「語るべき」などという形容詞が発せられたとたん、沈黙は裏切られてしまっているのだ。つげ忠男の作品群は、この裏切りをこそ みせつけているのではないか。
 中年男の生活の日常を描きこめば描きこむほど、つげ忠男においてそうして描くことによって実は深く裏切られていく沈黙が、重くのしかかってくるにちがいない。つげの絵が粗くささくれだち、登場人物が口ごもって脈絡のすっきりしない独白を呟くのは、いわば当然のなりゆきなのである。…(略)…つげの作品の力の真の姿は、まずは迫ってくるその力と同じだけ、それと逆向きに働く力なのだ。…(略)…わたしたちが目にする作品の表面は、(作品がわたしたちから遠ざかり、作者自体、作品そのものからも遠ざかろうとしている)そうした遠ざかる力の場なのだ。
 なぜ遠ざかるのか。沈黙を裏切った表現が、つげ忠男の表現への衝動、かれのまさに描こうとした主題そのものと、あいいれないからである。それほどに生活者の沈黙は重いはずなのだと言う以外ない。」(菊地浅次郎「裏切られゆく沈黙」)

 沈黙の奥をまさぐったり、表現しようとしてみても、おそらくは得るところ少ないだろう。僕に必要なのは、恐るべきカランとした空洞のような、底知れぬ沈黙と、あえて対峙する勇気ではないだろうか。

 僕は僕を、もしそのような世代があるとすれば“饒舌な世代”に属する人間であると規定する。現実に僕が饒舌であるかないかは、問題ではない。おしゃべりの衝動にたえず駆られるかどうかが問題である。サミュエル・ベケットの『残り火』のヘンリーのように「(いらいらして)続けてくれ、続けてくれ!みんなどうして、いつも、話をしかけてやめてしまうんだ?」「もっと、もっと頼む!(懇願するように)やめないでくれ、エイダ、ひと言しゃべるごとに一秒助かるんだ」と、話を求めてうめいている人間であることが、その資格である。

 沈黙の極北は死だろう。生者は語り、死者は黙す。そしてまた、生きている間も語らず、遂には死者となって黙し続けた人々を思いやる時、僕らは、僕らがいかにそのような沈黙の声を聞くことが少なかったかということに対して、ほとんど戦慄とさえいっていい感情を持たないだろうか。彼らは語るべきものを持たなかったのだろうか。おそらくそうではあるまい。
 「たったひとつの死にも 
  多くの時と多くの場所と
  さらに多くのものがかかっている
  多くのそれらを
  一時に石の竃で燃やさなければならない
  それらの炎の中で
  どうして人間がすこしも苦しまずに死ねようか?
  (後略)    」(鮎川信夫『父の死』)

 「人として生まれ、人として生き、人として死んだ」といった墓碑銘が、僕らを感動させるのは、どういう意味合いにおいてであるか。ひとりの人間の描いた軌跡を、そのほんのわずかな白いチョークの一本の線を、実に他愛もなく消してしまうのは、僕ら生者である。そのかすかな白線を無意味にするのは、僕らひとりびとりであり、同時に、意味あらしめるのも、僕ら生者であり、ひとりびとりである。このことを認めないことには、「死者の怒りを共有することによって悼む」(大江健三郎『沖縄ノート』)という言葉は全く意味を持たないだろう。沈黙もまたしかり。
         (1971年10月12日から17日に記す)
[補論]
 僕は、死者の前に深く頭をたれよ、と主張したいのではない。死者をあがめよとも言わぬ。
 死者といい死体というも、もはや物体だ。血の通わない冷たい無機物だ。死んでしまえば、ころがっている石っころと同じといっても過言ではない。死者にはもはや顔がない。もう話せない。もう言い直しができない。生者にある具体的な個人固有の「歴史」が、その人の生きてきた重みが、死んだ途端、失われてしまう。大江健三郎の『死者の奢り』に描かれるように、死者は、アルコール槽の中を上下し、カギで引っかけられ、足の親指に番号札をつけられ、裸のセクスをあらわにして横たえられ、投げられ、浮き沈みする。
 物だ。彼らに生者の存在を穿つ死者の奢りを見てとるのは必境、生者のわざに他ならない。鮎川信夫の詩もそうだ。焼かれたって死者は苦痛の叫びなどあげはしない。焼かれて叫び声をあげるのは生者だ。しかし、きっと死者も苦痛のうめきを発するだろうと感ぜざるをえない、これは生者のなせるわざである。

 死よりも生が大事。これは死の厳粛さによって 生をねじまげよう、落としめようとする力に対する警告である。当然のことだが、僕はしばしば忘れてしまう。
 次のディラン・トマスの 詩は、まさに生者に向けて放たれたものである。
 「あのやさしい夜のなかへ静かにはいってゆかないでください、
  老人は日の暮れに燃えあがり怒号するものなのです。
  怒ってください、怒ってください、光の死んでゆくのを。
 (Dylan Thomas;Do not go gentle into that good night)
                (1971年10月22日記)
   参考文献
 つげ忠男『つげ忠男特集@(ガロ臨時増刊)』青林堂 1971年5月号
 ベケット『ベケット戯曲全集 1』白水社 1967年
 『現代詩鑑賞講座11 戦後の詩人たち』角川書店 1969年
 なだいなだ『お医者さん』中公新書 1970年
 ディラン・トマス『世界詩人全集オーデン・スペンダー・トマス』新潮社

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          NHK「みんなのうた」  テレビをむつかしく見よう

 みんなのうたは昭和36年4月3日から始まった。それから17年、いろんなうたを放送してきた。静かなヒット曲が数々生まれている。「おお牧場は緑」を始めとして。注目すべきことは当初からアニメーションが大胆に創作されたことである。意欲的なアニメーターが、作品を広く公開できる場は、当時はあまりなかったし、現在もない。そんななかで「みんなのうた」はアニメを活用し、多くの人々がそれを見たというのは画期的なことである。時々、教育テレビや総合テレビで放送される世界のアニメーションの他に、芸術的で斬新なアニメーションが放送されるのは、「みんなのうた」だけである。ブラック・ユーモアのある久里洋二のアニメ、知的センスのある和田誠のアニメ、詩情ある月岡貞夫のアニメ等など、傑作が静かに放送されているのである。
 2月〜3月に放送されている作品の内で、『かなかなかな』(榎本富士夫作詞、飯田隆作曲、由紀さおり歌)は林静一のアニメが絶妙である。一篇のコントになっている。林静一は「ガロ」出身の漫画家である。


学級通信 第17号 SPINNING WHEEL 1978年3月25日 小田原城内高校 1年9組

      友だち百人できるかな     池田 博明

 高校生としての最初の一年が終わった。四月からは新年度になる。クラスも変わるだろう。少なくとも半分は新しい友だちになるはずだ。
 友だち百人できるかな。
 全盲の少女、浅井一美ちゃんの感動的な記録『友だち一〇〇人できるかな』(NHK/TV、1975年5月3日放映)、『一美ちゃんの一年・・・続・友だち一〇〇人できるかな』(NHK・TV、1976年5月5日放映)のタイトルのことばを、高校一年生の最後、二年生のスタートに際して送ろう。
 一美の作文≪ちょうれいのあと、先生が空を見てごらんんといった。みんなわ 空を見ながら 白いくもだねっていった。くじらぐもだって いってた人もいた。わたしは みんなのいっていることを、きいてて おもしろい。ゆきのようなきれいな くもなんだと 思って そのくもが みられなくても みんなに そのことばを きいただけで こころに そのしろいくもが ひろがってくるような かんじがしました≫
 心ゆたかな人間でありたい。
 ミヒャエル・エンデに『モモ』という児童文学がある。「時間どろぼうと ぬすまれた時間を人間にとりかえしてくれた女の子のふしぎな物語」という副題。
 主人公モモはこんな女の子だ。
 「小さなモモにできたこと、それはほかでもありません、あいての話を聞くことでした。なあんだ、そんなこと、とみなさんは言うでしょうね。話を聞くなんて、だれにだってできるじゃないかって。
 でもそれはまちがいです。ほんとうに聞くことのできる人は、めったにいないものです。そしてこの点でモモは、それこそほかには例のないすばらしい才能をもっていたのです。
 モモに話を聞いてもらっていると、ばかな人にもきゅうにまともな考えがうかんできます。モモがそういう考えを引き出すようなことを言ったり質問したりした、というわけではないのです。彼女はただじっとすわって、注意深く聞いているだけです。その大きな黒い目は、あいてをじっと見つめています。するとあいてには、じぶんのどこにそんなものがひそんでいたかとおどろくような考えが、すうっとうかびあがってくるのです。・」(岩波少年少女の本、大島かおり訳、22頁より)
 『モモ』はこんなことを考えさせてくれる。
 私たちは、時間を惜しむあまり、かえって時間をむだにしているのではないか。時間を節約して、せかせかと、こせこせと生活している。では、節約した時間はいったいどこへ行ってしまったのだろう。
 心ゆたかな人間でありたい。
 もう一度みんなに対して。
 “友だち 百人できるかな”
          (1978年3月24日)
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 スピニング・ホイールは二年になっても続ける予定です。3月26日の日曜洋画劇場『ひとりぼっちの青春』は傑作。見よう。
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       ≪レポート(4) 清掃終了後の報告について その2≫
 
 7班  4班  1班
11-3月 11-3月 11-3月
22/36
61%
14/37
38%
23/36
64%
 8班  5班  2班
11-3月 11-3月 11-3月
0/37
0%
6/39
15%
3/34
9%
 9班  6班   3班
11-3月 11-3月 11-3月
13/39
33%
13/39
33%
3/43
7%

 分母は、清掃当番に当たった日数、分子は報告回数。11月から3月までの記録。
 土曜日およびテスト中は報告がほとんどなかった。また、外清掃も。

 総合すると、比較的報告率のよいところは、1班(59%)、7班(58%)、4班(57%)。
 他班は、2班 12%、3班 13%、5班 26%、6班 49%、9班 25%。
 8班は、なんと0%。

 清掃当番に当たった回数は73から80回である。

 (2009年の追記
  年間の登校日数が210日として3分の1は清掃当番に当たっていることになる。
  朝のSHRの連絡を日直からすることにしていたので、私が生徒と会うのは
  授業中以外は清掃当番の監督ぐらい。
  学校の清掃関係の方で場所ごとに監督をつけるようになってからは
  自分の方が清掃場所の監督に行くようになる。学級担任は教室の監督だった。
  6校時が終わると監督に行くのである。
  清掃分担の効果的なやり方については後で記した。


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      LHRの記録 (4)   LHR記録ノートより

 2月24日(金) クラブについて(紹介、反省等)   歌『高校3年生』
 3月3日(金)  一年間の反省(池田先生の第一印象、この一年で印象に残ったこと、初めて校門をくぐった時)
       歌『津軽海峡冬景色』
 3月24日(金) お別れ会    歌『神田川』『戦争を知らない子供たち』『精霊流し』
            『22才の別れ』『なごり雪』『青春貴族』
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      学級作文より 
  
       道程    高田紀子(仮名)

 今日で日直の仕事も終わり、もうあと二日で一年が終わるのです。いろいろあったけれど・・・・・しかし、一年九組というクラスはどこかおかしなクラスだと思う。
 まるで奇人変人が集まったようだ・・・・先生からして・・・・人間とは思えない。
 でも、いいクラスだったと思う。すべての面でクラスのわだかまりなどないし、あけっぴろげでとても女の子とは思えない。

       道程    高村光太郎

     僕の前に道はない
     僕の後ろに道はできる。
     ああ、自然よ。
     父よ。
     僕を一人立ちにさせた広大な父よ。
     僕から目を離さないで守る事をせよ。
     常に父の気魂を僕に充たせよ。
     この遠い道程のため
     この遠い道程のため

 これは私の大好きな高村光太郎(親しみをこめてコーチャンと呼んでいるが)の詩のひとつである。
 この詩は今の私たちそのものだと思う。やっぱり、しめくくりはこの詩でなければいけない。コーチャン、万歳!  (3月24日)

 2009年の追記。小田原城内高校が小田原高校と統合されることになり、その閉校の記念式の日、卒業生に解放された校舎の廊下で、声をかけてくれた中島さん、藤原さん、穂坂さん、細川さん、みんな名前も顔を覚えていたのに、突然のことでうろたえてしまい、あまりちゃんと返事ができなくて失礼しました。懐かしかったです。





  『学級通信SPINNING WHEEL』1978年版に続く

  『学級通信SPINNING WHEEL』1979年版に続く

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