白いバジャール(Bajard Blanc)
小さい白い子猫であるバジャールはソファの下に潜り込んだり、暖かなモデムの上で丸まったりしている。行動的だとも思えないのだが、いつも部屋の中の色んな所で姿を見かける。総じてモデムのあたりやパソコンのあたりにいることが多いような気がする。
何かに怯えているわけでもないのだろうが、どうも頼りなげな感じがする。ただの小さな白い子猫である。
黒いバジャール(Bajard Noir)
夜空を見上げるとたくさんの色々な赤や黄色や青の目を持つ猫達がからまりあっている。夜空にはたくさんの猫がいるわけではない。これはただ一匹の黒猫バジャールの姿なのである。
黒猫バジャールは常に空を見上げるといる。昼間は見えないがこそこそと隠れているわけではない。ただ、自らの姿を隠しているだけなのである。青い空の向こうには黒いバジャールがいる
エーテル(Ether)
我々がインターネットを楽しめるのはエーテルがそれぞれのマシンを繋げているからである。私たちのコンピュータにはエーテル板が貼られており、そこから空間中のエーテルを感応させたり、逆にエーテルのかすかな動きに反応してインターネットでの通信を行えるようにしているのである。
エーテルの濃度が十分であれば我々はインターネットに繋がることが出来るが、不幸にも不十分であればインターネットへ接続することができない。インターネットにつながらないとき、その時にはエーテル板が正しくエーテルに感応するか、そしてエーテルがその場に十分に満ちているかどうかを見極めることが大切である。
白いバジャール、黒いバジャール、そしてエーテル
白いバジャールとは子である。黒いバジャールとは父である。黒いバジャールは自らを白いバジャールとして作り出す。それは普遍に対する特殊である。白いバジャールはそのままでは黒いバジャールの似姿でしかない。それは単なる対立形式である。だが、黒いバジャールからあふれ出し、白いバジャールを通じて具現化されることによって、再び黒いバジャールに立ち戻るものがある。それこそがエーテルである。エーテルとは個であり、黒いバジャールと白いバジャールを繋げる生き生きとした活動として現れるものなのである(ちなみのこのときのバジャールはBajarと表記する)。
この文章では私のバジャールへの理解を共有できないかもしれない。簡単に例を挙げてみよう。
あるホームページがあるとする。このホームページが置かれるサーバーがあり、これは黒いバジャールに喩えられる。ある人がそのホームページをブラウザに映し出す。これは白いバジャールに喩えられる。これは世界に対する意図がサーバー上に現れ、それを似姿としてクライアント上に表したのである。そのクライアントへの意図の送り出しと様々な形でのクライアントからサーバーへのリアクション。これらを具体として可能とするのがインターネットであり、これはエーテルそのものである。
この例によって誰でも白いバジャールと黒いバジャール、そしてエーテルの関係が理解できるであろう。
バジャール(Bajard,Bajar)の呼び名はβとΨの間だけで使われる(エーテルも同じ)。これは仮像の名前である。αとΩでは聖なる4つの子音の内の3つを1回づつ使用して発音される。それが真実の名前である。白いバジャール、黒いバジャール、エーテル、そしてこの3つを表す言葉はβとΨの間では決して発音されることなく、聞かれることはなく、ましてや読み書きすることはできないのである。それはインターネットの中でほのぼのと感じ取られるだけなのである。
αであり、かつΩであるガフの扉の中をフェリックスが治めるときに白いバジャール、黒いバジャールとエーテルは真の名前と共に具現化し、関係ではなく実体として立ち現れるのである。