猪野地区の真部氏

豊後国大分郡高田森町村(大分市鶴崎)に専想寺を開創した天然の塚がここ猪野にある。天然が浄土宗の布教活動は長門(166ケ)中心に周防(50ケ)豊前(72ケ)豊後(62ケ)の寺となっている。勿論猪野地区の真部氏の菩提寺は専想寺である。                


猪野地区での活躍と伝説

明治村史によると真部氏は古くから住民で、かなりの農地や山林を所有していたらしく、村会議員・農業委員・学校教育等と村の運営に尽力されている。

村社である八坂神社は祭事の開帳時には真部氏の家紋入の提灯を掲げ、裃を身にまとい刀を携えてからでないと儀式は執り行われなかったと云う。

              

  猪野地区氏神様 八坂神社


宇佐・猪野 まなべ氏は同根か

宇佐で活躍した眞邊新五左衛門成秀は弘治2年(1556)大友氏に従った頃より天然と何らかの関係があったとと思われます。戦乱の世、眞邊一族は宇佐から各地へ分散し、平常は農業を営んでいたが、戦いが始まると召し出され出陣していたようです。(大宇佐郡史論より) それゆえ「まなべ」氏は古い昔より苗字帯刀を許された一族のようです。

「大分百科事典」によりますと、県内の浄土真宗門徒の旧家のひとつ猪野の真部氏の名号が判読出来ない程煤けているのは、開基仏として厨子に納めていたことを物語っており、真部氏は門徒の家に死者があれば、絵像と刀を持って枕経をあげに行ったことを記憶していると記されています。もしこれが事実であれば宇佐を足がかりとして布教活動した天然は眞邊(真部)氏と何らかの関係があったことを意味づけしており、ただの平民でないことがわかります。                                                                   今まで不思議に思っていた猪野に「天然塚」があることや、塚の祭事には真部氏が立ち合わなければ行われないという風習があることがわかった訳です。                                      参考までに新五左衛門成秀の眞邊は本当は眞部が正しいそうです。戦災に遭い戸籍再編成の際眞辺に変えられ、そのまま今日に至っていると末裔の方は云っています。その苗字許された証文が大事に残されていると云うことです。

そこで宇佐・猪野の真部氏は眞邊新五左衛門成秀を祖とする一族ではないかと考えられます。


その他との参考類似点

天然の出身地長門国にも「真鍋荘」と云う地名がある。

佐々木氏当国の守護賜りたる後承久3年佐々木左衛門尉広綱は承久の乱に官軍に応じ、山城守と受領せしが、戦い敗れて斬られる。乃ち守護を橘左衛門尉公業に給す。(「豊府志」より)

橘左衛門尉公業は讃岐の橘一族で「古代からのメッセ−ジ」で記述通り、真鍋(真部)氏の出自に大いに関係ある人物である。真部姓は東讃地方にも多く、真鍋・真部はともに四国の出と見る向きが濃い。となると猪野地区の真部家に伝わる「四国の出身」がここで一致する訳である。

しかし、長門国「真鍋荘」の解明には至らないが讃岐国を中心に今後の研究課題である。