厳島神社
厳島神社の発祥は古代信仰にはじまります。神社の古名「伊都伎(岐)嶋」が表す通り、「神霊を斎(いつ)き祀る島」に由来するのであろうと云われています。後に伊都伎(岐)嶋神が宗像信仰と習合することからも知られています。 また瀬戸内水軍を傘下に収めた平家によって厳島神社が崇敬を受ける前提にもなっています。祭神は市杵島姫命・田心姫命・湍津姫命の宗像三神です。近世では国常立尊(くにのとこたちのみこと)・天照大神・素盞嗚尊(すさのおのみこと)が祀られるようになりました。
古代の厳島神社
仁安3年(1186)の神主佐伯景弘の解状によると、推古天皇の即位元年(559)、厳島の住人佐伯鞍職(さえきのくらもと)が神託によって宮殿の創立を朝廷の勅許を得て、厳島の三笠浜の地に創建したと云われ、代々鞍職の子孫が神主をつとめていたと云うことです。佐伯氏は大化前代に佐伯郡の管掌者であった佐伯値(さえきのあたい)の後裔と云われ、佐伯郡一帯に権勢を振るった大族であります。
平家と厳島神社
清盛が高野山へ参詣して供養を行っているとき、80有余歳の白髪の老僧が現れ、そのは橋に聞き入った清盛は霊験を得て、厳島の崇敬の一念を発したと云われています。 また安芸国の知行国主として瀬戸内海の富と水軍の力を実感した清盛が、内海一帯の政治的基盤を固めるにあたって、海上守護神たる厳島明神の加護を必要としたこよに始まるのです。
清盛の在任中、清盛の政治的・信仰的基盤を現地で支えたのが、在庁官人の佐伯氏であったようです。やがて清盛は太宰大弐へと昇進・保元・平治の戦いを勝利へと導き、家門の繁栄へと至ったその栄達を厳島明神の加護によるものと称し、その信仰を深めて行きました。社殿の造営・神社への寄進となり、一門の納経となっていったのです。 清盛への信頼を示すため、後白河法皇・高倉天皇の社参となり、厳島は名実ともに平家文化の隆盛を示す象徴的存在として全国にしれ渡るようになったのです。
平清盛が権勢を誇った豪華絢爛に社殿を建て直したと云われる厳島神社は、そのままの通り見事なまで水に浮く神殿は観る人を魅了させています。現在は世界遺産として登録されています。境内の宝物殿には清盛が綴ったと云われる「平家納経」が奉納されています。雅やかに舞を披露したといわれる御神殿は、平家の栄華が偲ばれます。
平清盛が始めた高舞台の「楽所(がくところ)」の演目は蘭陵王(らんりょうおう)・万歳楽(まんざいらく)など多岐のわたっています。高舞台は現在国宝ですが、九面の舞楽面は重要文化財の指定を受けています。