宗像大社 厳島神社


JR鹿児島本線博多・小倉間に東郷(とうごう)と言う小さな駅があります。この駅よりバスで神湊(こうのみなと)波止場行きに乗ると、ひなびた田園風景の広がる釣川沿いにでます。釣川は宗像郡の最大な河川で、郡の東南から西北へ流れ、宗像大社の横を通って玄海灘に注ぎます。宗像大社前で下車すると、目の前に風格ある聖域を感じる宗像大社こと正式名辺津宮(へつみや)と言われるご本殿が鎮座しています。祭神は田心姫(たごりひめ)・湍津姫(たぎつひめ)・市杵島姫(いちきしまひめの三女神です。宗像大社の田心姫は沖津宮(沖の島)・湍津姫は中津宮(大島)の三宮からなります。

宗像三神は海神として厚く信仰されていましたが、やがて大陸との交渉の発展とともに「海北道中(うみきたのみちなか)、号(なづ)けて道主貴(みちぬしのむち)と曰(もう)す。」(神代紀)と特筆されるように、もはや一地方の神々ではなくなり、国家的な祭祀の対称となっていったのです。

ここ宗像大社の辺津宮には市杵島姫が祭神となっています。心字池を渡り神門をくぐり抜けると、もう面前に拝殿があります。辺津宮は海濱(へつみや)とも表記していたらしく、ここまで深く海が入り込んでいたようです。御神殿に神勅(しんちょく)が掲げてあり

神勅 奉助天孫而 為天孫所祭 

この意味は天照大神の御教え」であり、御親の神、天照大神は国造りの前に宗像の神に「歴代天皇をお助けするとともに歴代の天皇から篤いお祭りを受けられよ」と示されたと言うことです。

また市杵島姫は広島県安芸郡にあります厳島神社の祭神でもあります。やはり海と深い関係をあらわしています。イチキシマがイツクシマとなったとの説もあるようです。

         宗像大社ご本殿                          ご案内板

 

中津宮 筑前大島

神湊(こうのみなと)から高速船で約20分の所に筑前大島があります。島は東西3.2キロ、南北1.7キロ、周囲15キロ、人工約1300人の漁港の海浜にせまった丘陵上に、湍津姫を祀る中津宮が本土の辺津宮と向かい合うようにして鎮座しています。

    海上から見た中津宮(鳥居が見える所)                   筑前大島

鳥居をくぐると、うっそうと生い茂った樹木の木洩れ日を浴びた急な石段があり、その横には案内板が立っています。この中津宮の縁を説明してています。石段を登り詰めると太陽の日が燦々と御神殿を輝かせており思わずひれ伏す荘厳さです。やはり天皇家の菊の御紋が威厳を放っているのでしょうか。永禄九年(1567)大宮司氏貞の造営と伝えられ、その後17世紀と18世紀に改造、また拝殿は嘉永六年(1853)に改造されていると言うことです。

              御神殿                            案内板

境内には修復奉納金者名がかかげてあり、まず驚いたことに河野・越智・真鍋・福原の名が掲げてあるのです。河野・越智の両氏は愛媛県今治市の沖にあります大三島の大山祇命神社の崇拝者であり、この島を拠点に源氏方の水軍として活躍した一族なのですが、なぜ筑前大島に存在するのでしょうか。

ここから本論に入りますが、その前に忘れてはならない大切な田心姫こと沖津宮(沖の島)をお話しなければなりません。

 

沖津宮 沖ノ島

沖ノ島は神湊から約57キロ、博多港から77キロにあり玄海灘の真只中にあります。沖津宮の祭神は先にも説明しました通り田心姫ですが、別名不言島(ものいわずしま)とも言われ、島のことは絶対口外してはならず一木一草と言えども島外へ運び出せば厄(わざわい)を招くとされています。今日でも女人禁制一般の男性も島に着くと、まず海水につかり厳冬のさなかでも禊ぎをしなければならないのです。沖ノ島は海の正倉院とも言われる程、豪華な出土品が目を奪うばかりです。朝廷との深い関わりを持つ儀式が執り行われたとれる祭事跡も残されていると言うことです。

           沖ノ島                 左上三角縁神獣鏡 右上金銅製銀杏 ******************************************* 左下金銅製龍頭  右下金銅製指輪 全て国宝

                                

以上三女神が鎮座する宮を紹介しましたが、天皇家と深い関係にあることがおわかり戴けたかと思います。649年宗像郡は神郡となり、郡全体が宗像社に寄進されました。豪族宗像氏は平家とも関わりがあり真鍋氏の歴史探求にも避けては通れない展開を見せてくれます。

大変お待たせ致しましたではご案内致しましょう。