越智・河野氏の本拠地大三島
日本書紀によれば、この神はもと薩摩半島の南端にいたことになっている。天孫降臨の折、瓊々杵命(ににぎのみこと)はここで大山祇(おおやまづみ)神の娘、木花咲耶媛(このはなさくやひめ)という美しい娘にあうことになっています。
「書神記」によれば「三島賀茂社者来従百済垂跡摂津国 号三島(中略)仁徳天皇顕伊予 基跡大山祇神也」とあって、その出自は九州南部ではなく、百済となっています。
大三島と越智氏
河野系図によると、和銅年間(702)に河野氏の祖小千玉興(おちたまおき)が摂津三島江から奉請してきたことになっています。
また「三島宮御鎮座本縁」によりますと、この地方を支配していた小千国造の尊崇を受けて、大宝元年(701)現在の位置に鎮座したとも言われております。いづれにしても海猟や航海の要所として活動の拠点ちであったことは間違いないと思います。そぢて重要なことは祭神として大山祇神社を祭られていることです。
宗像大社と越智・河野氏
神社の境内には宗像社があります。祭神は市杵島姫命(いちきしまひめ)でありますから、九州の筑前宗像大社の系統に属する海神であったことを著しています。 筑前大島(宗像大社の中津宮)には越智氏・河野氏・真鍋氏が居住しておりますが、弘安の役の時、ここ大三島を拠点に越智氏・河野氏が三島水軍を率いて筑前に進発したことによります。おそらく真鍋氏もともに従軍したのではないかと思われますが、定かなことはわかりません。