極北の波涛「オホーツク焼」
窯元の歴史
陶芸家、塩入稔のプロフィール
- 昭和27年、美幌町字田中の開拓農家に男3人兄弟
の末っ子として生まれる。
- 昭和47年、クラブ活動の民芸部で焼き物の魅力に取り付かれ
網走学園高校卒業後もこの道で生きる事を決意し、
岩見沢こぶ志窯に入る。
修業と言えば聞こえは良いが厳しい下積み生活で鍛えられる。
- 昭和49年、秋田県楢岡窯に入る。
ここでは作陶に関する一連の工程を全て一人でこなすため
得ることが多く大いに腕を磨く。
- 昭和51年、美幌町字田中の実家敷地内に築窯、独立する。
- 昭和56年、美幌町字田中の国道沿いに工房
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を新築、移転する。
陶芸家、塩入稔の経歴
- 昭和49年、全道展、初入選
- 昭和51年、伝統工芸新作展、初入選
- 昭和51年、初の個展
- 昭和53年、全道展、奨励賞受賞
- 平成5年、日本陶芸展、初入選
-
家族の紹介
四国は香川県多度津の水田農家で生まれた父親と、
大日本帝国の領土だった台湾の台北市で生まれた母親が、
戦後、北海道の山奥に開拓農家として入植し、
苦労して育てた3人の息子達・・
長男は釧路高専卒業後、地元の電力会社に就職。
次男は家業を継ぎ畑作から酪農に切り替えるも
自由化の嵐には抗し切れず、
赤字がかさみ、
離農の2文字がちらつく。
3男は陶芸家となり、
その道の歴史に残る芸術家になれるのか?
名を残さずとも作品が残れば良い。
作品が残るも売れ残りはちと困る。
家族
にしては誰か足りない?!
実はいまだ独身、
貴族か山賊か、
オホーツクに海賊はいなかったし、
「理想を高く」は陶芸だけにしてって
家族は思っているのだが・・・
2006.3.18 母親 亡
2007.秋 父親 近況(元気だよ!
~\(~.~)/~ カボチャも取れたよ)
実家( 窯元の故郷 )
実家のビート畑(昔はこんなに樹は無かったんだけど!)
実家の畑からは、
防風林の木が高くなり、
斜里岳も藻琴山も見えなくなり、
高い木の無い所から、
透きとおるような晴れた日には撮影できる、
らしい・・
例年の催し
T) 窯業の故郷、江別やきもの市は7月の未だ寒い頃、
JR江別駅前から江別市コミュニティセンターまで、
全道からプロとアマ380人が煉瓦の町に繰り出すイヴェント
U) 放浪窯の栗沢獏、
北窓窯の吉田時彦、
文色窯の山岡将秋、
などの友情出展協力を得て
窯元の前庭で窯元祭開催
