自閉症等の発達障害のお子さんをお持ちの


お父様、お母様、御家族の方へ


 「横浜・自閉症情報」のホームページを作ってから、この「現存する療育方法についての考察(私見)」のページに対して、何人かの方々にご意見を頂きました。それは、私と同じように自閉症のお子さんをお持ちの御両親からのご意見であったり、福祉や療育を実践していらっしゃる専門家の方々のご意見であったりします。極端に否定的な意見というのはないのですが、皆さんそれぞれに御自分のポリシーがあり、私の意見とは部分的に異なっています。それは当然の事で私自身それほど自信のある意見を持っているわけではなく、素人が独学で知りうる情報の範囲での判断や、1、2冊本を読んだだけでまとめてしまったようないいかげんさで書いた部分もありますので、当然のことだと思っております。
 なぜ、このページについてだけは、皆さんからのご意見を頂く事が多いのか? 実はページを掲載する当初から予測していた事でした。それはこのページがある意味で危険性を持っているからです。「私見」とことわりをいれたのもその危険性を少しでも回避したかったからです。

 人は自らが老いていく事に対しては、ある程度覚悟ができていますし、その老いが突然やってくることもあまりありません。しかし、障害児を持つ親は子どもが障害を持って生まれてくる事など予測しようもなく、突然の出来事(診断の告知)に混乱します。
 障害児の親は「ショック期」→「否定期」→「拒否期」→「攻撃期」→「自己嫌悪期」→「溺愛期」→「受容期」といった経過をたどるそうです。これが一般化できるものなのかはわかりませんが、自分自身を振り返ってみると確かに当てはまる部分があります。全ての人が「受容期」にたどり着くわけではなく、「真の受容」というのができるには10年、20年、それ以上かかると言われたこともあります。私自身はどうかといえば客観的に見て、まだ「攻撃期」と「自己嫌悪期」と「溺愛期」の狭間を行ったりきたりしているようです。まだまだ精進が足りません。

 少なくとも親は受容期にたどり着くまで心が傷ついた状態にあります。そういった状況で「これはこうするのが正しい!」「いやそれは子どものためにならない。」などと頭でっかちになり、日常を訓練の場としてしか考えられなくなってしまうと、最終的な目的であるはずの「子どもの健やかな成長」「子ども自身の幸福」はどっかへ行ってしまい、手段であるはずの訓練と療育それ自体が目的と化してしまいます。
 心が傷ついた両親によって育てられる不幸。それは自らが障害を持って生まれてきた事以上に不幸であり、二重の意味で不幸を背負う事になってしまうのではないでしょうか?
 実はこれは、先日私自身に対して言われた言葉です。「分かっているんなら、こんな療育法や訓練法について羅列するような事をホームページでむやみにやって、親を混乱させるもんじゃない!」と言われるかもしれません。
 しかし、私としては「子どもの障害について、その親が思い悩むことはある時期においては避けられない」事だと思っています。そしてどうせある時期、思い悩むのであれば、それぞれが自分なりに納得できる様になるまでは悩みぬくしかなく、そしてその時期をできるだけはやく通り過ぎたい/過ぎて欲しいと思います。そして少しでも早く明るい家庭環境に戻って、その中で子どもを育てたい/育てて欲しい。
 そして、できるだけ早めにそれぞれの親御さん(や私自身)がそれなりの納得ができるようになるために、極力透過的に情報を(共有/)提供し、その情報集めのために費やされる時間と労力を最小限のものにしたい。言葉の使い方が少し違うだけの診断名を得るためにドクターショッピングに付き合わされる子どもの不幸が避けられればと考えています。
 「現存する療育・・・」のページは、私自身の頭の中での混乱が今のところどのように整理されているかという例でしかありません。それ以上ではなくそれ以下でもない。そこに正解があるわけではなく、これから障害と向き合いながら子どもを育てようとされている方へ対しての正しい道を示しているわけではありません。「考え方、納得の仕方の参考」ととっていただければ幸いです。
 また、「横浜はこんなに色々な種類の中から療育方法が選べるのか!」と勘違いされる方もいらっしゃるかも知れませんが、ここにあげられている療育方法は例を挙げただけです。横浜市の場合、地域の療育センターが指導する療育方法と地域の訓練会が指導する療育方法の二つの選択肢があるだけです。

 ドット社「いのちが育まれるとき」という本のあとがきに「約束を違えないために」というタイトルで聖マリアンナ医科大学小児科・川崎市北部地域療育センターの江川文誠氏が書かれた文章がありますので、無許可ながら一部引用させていただきます。

(略)
・・・・お父さん、お母さんには、「この子を大切にしていこう」と約束した日があるに違いありません。しかし、その約束もまた、自分たちの家族関係、健康状態、経済状態が変化すれば、いつか守りきれなくなるかもしれないのです。
 人間は、基本的にとても弱い存在です。いつでも「仮の受容」から子どもの存在を拒否したり、否定したり、自分が死ぬときにはこの子を連れていこうと真剣に考えたりする存在なのです。私たちの中には、いつでも敵になりうる「私」が隠れているのです。戦いというのは、実は私たち自身の内なる戦いでもあるのです。
 子どもを大切にするという約束を違えないために、自分の心に錨を下ろさなければなりません。・・・・・
(略)


 多分、療育や訓練の専門家の方々はそれぞれの療育方法や訓練法について自信を持って実践していらっしゃると思います。そのため、こういったさまざまな療育方法について一覧表のように紹介する事はできないでしょうし、それぞれの療育方法について名前をあげて批評したりすることはいろいろな理由からできないことだと思います。
 だから、私がやったんだと威張るつもりはありませんが、専門家が我々に与えてくれる情報がエッセンスとすれば、我々はなぜそういう結論になるのかという、そのエッセンスにいたる過程や周辺にある情報も欲しい。いや、全てを知りたいと言った方がいいかもしれません。
 「障害児の親が子どもの障害について学ぶこと自体は決して悪い事ではない」という事は、専門家の方もご理解いただけることであると確信します。
 しかし、それと同時に我々障害児の親は、「何のための療育なのか?」「誰のための訓練なのか?」ということを我々はいつも考えておかなければいけません。我々があの日誓った、約束を違えないために・・・・・。




 「現存する・・・」のページは、すでに障害に対して御自身なりの納得が得られている方には、多分まったく無意味なものです。もし余計な混乱を生じさせてしまったとしたら、申し訳有りませんでした。お詫び申し上げます。
(注)このHPは既に閉じられていますが Yoshinob様に甘えて私(塩入)がこのページだけ勝手にコピーしたものです。