『いちばん遠い恋』
Update:2007.04.05





「夏 -海と彼女と水着とスイカ-」

 Scene5 PM1:08

 浜辺まで帰り着いたのは、それから一時間半ほど後の事だった。
 へろへろになりながらもどうにか泳ぎ続け、岸が見えてくるにつれて浅くなってきた底の砂地につま先に触れた時には、ほっと安心できた。
「ふぃー」
 首が出る辺りまでたどり着いたところで泳ぐのを止めて立ち止まり、そのまま腕の振りだけで水をかき分けながら浜辺に向かって歩いていく。
 岸まで二百メートルほどの辺りで、ようやく見知った姿を見出す事ができた。
 みまりさんと暮林君だ。
 どうやら腰まで浸かるくらいの浅瀬で、ビーチボールで遊んでいるみたいだ。
 小春に無理矢理体育会系イベントを強要された僕と比べて、そのいかにも海水浴に来たっぽい優雅な過ごし方に羨ましさを覚えてしまう。
 先に僕の存在に気付いたのは、みまりさんだった。
「おや、勇太郎さん。おかえり」
「ただいま……です」
「随分とお疲れみたいやね」
 そう言いながら彼女は、手にしていたビーチボールをこっちにぽんと放り投げてくる。
 ちょっとお手玉しながらそれを受け取った僕は、そのままボールを浮き代わりにしてひと休みする事にした。
 あー、自分の力で浮かなくていいって楽だなぁ。
 小さく鳴り響く波の音を耳に響かせながら、思わずそんな事を呟いてしまう。
 照りつける陽光。
 程よく冷えた海水。
 そして耳許でさわめく潮騒。
 遠泳の疲れもあって、ふっと意識が飛びそうになるくらい穏やかな雰囲気だった。
 このまま寝ちゃいそう……なんて事を思った次の瞬間、両手でしっかりと抱えていたはずのボールが、何の前触れもなく宙に向かって飛び上がっていった。
「わぷっ!」
 体重を預けていた事もあって、突然支えを失った僕の身体は、そのまま頭から水中に突っ込んでしまう。
 同時に、思いっきり海水を飲んでしまった。
「みゃはははは」
 海水越しに、少し歪んだ小春の笑い声が耳を叩く。
「ぷはっ。こ、小春ーっ!」
「ゴメンゴメン。でも想像通りのリアクションだったから……ぷぷぷ……」
 ダメだ、全然反省の色がない。
 よっぽど楽しかったのか、頭だけ覗かせた僕の背中に抱きついてくる。
 って、胸が思い切り当たってるし……むぅ、見た目からしてそうだったけれど、背中に押し付けられてきている感触はかなりの物だった。
 凛子のより、もう一回り大きいかな?
 って、そうじゃなくて!
「お前、途中で『おっさきー』とか言って僕を置いてとっとと先に行っちゃった癖に、どうして後から現れるんだよ」
「みゃはは。それはね、先に行ったと見せかけておいて実は勇太郎の後をつけてたから」
「は?」
「だって、途中で勇太郎が溺れたりしたら大変じゃん」
 そう思うなら、最初から後をつけるなんて回りくどい事しなけりゃいいのに。
「おかえり、小春さん。急に現れるから、びっくりしたわ」
 次にどんな文句を言ってやろうかと考えているうちに、みまりさんがこっちに近付いてきていた。
「どやった? さすがにあの距離は、ちょう疲れたやろ」
「みはは。ちょうどいいウォーミングアップになりました」
 さすが小春、僕と違ってあれだけの距離を泳いでも疲れた素振りひとつ見せない。
 この無尽蔵の体力は一体どこから来るんだろう……感心半分、呆れ半分くらいの思いでそんな事を思ったりもしてしまう。
「あーでも、ちょっとお腹が空いたかも」
 そう言った途端、計った様に小春のお腹がぐーと鳴った。
「ぷっ」
「……何よ?」
「いやいや、別に。小春らしいなぁ、って思っただけだよ」
「むっかーっ! 勇太郎に言われると、滅茶苦茶ムカつく」
 そのまま小春は、僕の頭を水の中に押し込もうとしてきた。
 慌てて小春の魔の手から逃れた物の、既に体力の限界に達していた僕はそのまま水の中に倒れかけてしまう。
「まぁまぁ。そんな事で喧嘩したらあかんて。ほら勇太郎さん、掴まり」
 差し出されたみまりさんの手に掴まって、どうにか水面に顔を出し続ける。
「すみません、みまりさん」
「ええって。それにしても、小春さんと違て勇太郎さんは大分お疲れやね」
「はは……今日だけで、一年分の距離を泳いだ気分です」
 ため息混じりに本心を吐露すると、みまりさんは苦笑しながら、
「男の子なんやから、もっと体力つけんとあかんよ」
「面目ないです」
 いい機会だから、ランニングでも始めるかなぁ。
 神社を往復するくらいでちょうどいい距離だろうし、そうしたらみまりさんとももっと会う機会が増……って、凛子がいるのに何を考えてるんだ僕は。
「皆さん、そろそろお昼にしても良い頃合いじゃないでしょうか」
 それまで僕たちの会話を横で聞いていた暮林君が、タイミングを計る様に爽やかな調子で口を挟んできた。
 空を見上げる。
 頭上でさんさんと輝いている太陽の位置からして、ちょうどお昼時らしい。
「そやね。そしたら、みんなで食べに行こか」
 全員一致で賛成と相成ったので、僕たちは一度水から上がる事にした。
 と言っても僕の場合、多少休みはした物の未だに体力は回復してなかったので、みまりさんの肩を借りてひーこら言いながら戻ってきたんだけれど。
「勇太郎さん、一人で歩けるか?」
 頬がくっつきそうな距離から、みまりさんが問いかけてくる。
「え? あ……は、はい」
 慌てて答えにならない答えを口にした僕だったけれど、その反応をみまりさんは、僕がまともに返事ができないくらい疲れてるんだろうと、好意的に解釈してくれたらしい。
「無理せんでええて。このまま連れてったるから」
 そう言って微かに目を細めると、僕を支える様に背中に手を回したままゆっくりとした歩調で歩き続けた。
「……あ」
「ん、どした?」
「い、いえ。何でもないです」
 その時になって、僕はようやく気付いた。
 水に入っていた時はあんまり自覚がなかったけれど、ぴったりと身体を寄り添わせているせいで、意図せずみまりさんの胸から太ももまでが僕の身体に密着する形になっていた。
 もしかしてこれって、傍目には結構きわどいシチュエーションじゃないだろうか。
 小春の遠泳に付き合わされたのはとんだ災難だったけれど、最後にこんな役得があるなら悪くなかったかも――。
 砂浜にたどり着いたところで僕は、みまりさんから身体を離す。
 名残惜しさを感じつつもそうしたのは、体力が回復した事以上に、他の海水浴客の視線が気になったからだった。
「も、もう大丈夫ですから、みまりさん」
「そう?」
「じゃあ僕、凛子に声かけてから海の家に行きますよ」
「ほな先行って、二人の分の席も取っとくわ」
 軽く手を振りながら海の家へと歩き始めたみまりさんたちにそう告げた僕は、凛子が一人待つパラソルの許に向かった。
「おーい、凛子。そろそろお昼にするぞー」
 ビーチマットの上で何やら地面に視線を落としていた凛子は、僕の声に「……ん」と生返事を返すばかり。
 何してるんだ……?
 凛子の反応の悪さに視線を落としてみると、そこには一台のモバイルPCがあった。
 海まで来てもネットから離れられないとは、さすが……ってそう言えば、温泉に行った時も似たような事があったっけ。
 あの時はさんざん苦労した挙げ句、結局通信環境が確保できずショックの余り倒れ伏していたけれど、どうやら今日は携帯を使って無事ネット接続できたらしい。
 ……あれ?
 そのPC、どこかで見た記憶が――って、僕のじゃないか!
「凛子。それって、僕のPC?」
「うん、そう。ボクも一応、自分の持ってきてあるんだけど、潮風に晒すのって機械にあんまり良くないから、兄ちゃんのをちょっと借りた」
 しれっと、何事もなかった風にそう言ってのける凛子。
「借りた……って、自分の持ってきてるなら、そっち使えばいいじゃないか」
「メールチェックしてるだけだから、もう終わるよ。はい、終了」
 カタカタと素早くキーボードを叩きながらそう呟いた凛子は、やがてぱたんとディスプレイを閉じる。
 そして顔を上げると、微かに目を細めながら、
「兄ちゃんだって、使う為にこれ持ってきたんでしょ。なら細かい事は言いっこなし」
 差し出されたPCを受け取りながら、返答に詰まる僕。
「あれ? でもそう言や、兄ちゃんが出先にPCを持ってくるなんて珍しいね。いつだったかもボクに『いくら僕だって、こんな旅先にまでパソコンは持ってこないよ』なーんて偉そうに言ってた癖に」
「う……」
「あ。もしかして、この夏空の下でエロゲーでもやろうとしてた?」
「そんな物入れてないって……これには」
 言ってから、しまったと思った。
 まんまと誘導尋問に引っ掛かってしまった僕だったけれど、凛子はそれ以上何も言わずにくすりと小さく笑みをこぼして見せた。
「じゃあ、こっちには入ってるのかな?」
 そう言って右手で持って見せたのは、ポータブルタイプのHDDだった。
 PCと一緒に、僕が持ってきた物だ。
「わっ。何でそれを!」
 聞くまでもなかった。
 今、凛子が手にしているHDDは、PCと同じ防水ケースに入れてあったのだからPCが見つかった時点で見つからないはずがない。
 僕がどんな言い訳をするのか待っているのか、凛子はじっとこっちを見つめてくるばかり。
 でも、言葉以上にその眼差しが語っていた。
『ボクに隠し事したって無駄だよ』
 と、そう。
 何秒か、この状況をどう乗り切るべきか頭の中で忙しく計算をしてみたけれど、どうやっても凛子の追求から逃れる術を見出す事ができなかった僕は、ため息をつきながら受け取ったばかりのPCの電源を入れ直した。
「いいか、他のみんなには絶対に内緒だぞ」
「心配ご無用。ボクの口が固いの、兄ちゃんは良く知ってるでしょ」
 起動画面が表示された後、ログイン画面にIDとパスワードを入力する。
 その後、凛子から受け取ったポータブルHDDを外部端子で接続してから、デスクトップに置いてあるアイコンのひとつを起動させた。
 最後にディスプレイの上端にあるビデオチャット用の可動式カメラの角度を、僕たちの姿が写り込む位置に調整してから、ソフトの起動を待った。
 時間にして五秒ほど後、画面に姿を現したのは――。
「勇太郎殿、お呼び頂けるのをお待ち申し上げておりました」
 コナさんだった。
 普段使っているPCと比べて画面サイズが小さかったから、それに合わせてコナさんの身体もかなり小さくなっていたけれど、それ以外はいつも通りの彼女だった。
「この度は、私の自儘をお聞き入れくださり、恐悦至極に存じます」
「起動が遅くなってゴメン」
「…………」
「いえいえ。こうしてご同道させていただけただけで、感謝の念に絶えません」
「あはは。コナさんにはいつもお世話になってるからね。大した事じゃないし、そんな気にしなくていいよ」
「…………」
「では早速――おや? 勇太郎殿の横にいらっしゃるのは、何方で御座いますかな?」
「ああ。そういやコナさんは、彼女と会うのは初めてだよね。僕の妹、凛子だよ」
「…………」
「おお、貴方が凛子殿ですか。お噂はかねがね勇太郎殿よりお伺いしておりました。お初にお目にかかります。私、コナと申します。今後とも、どうぞよろしくお願いします」
 そうコナさんは、時代がかった口調とは裏腹なファンシーな肢体を画面上に浮かばせながら器用にぺこりとお辞儀をして見せた。
「……ふーん」
 そこで初めて、無言で画面をじっと凝視していた凛子が口を開いた。
 ちらりと一瞬だけ僕の方に視線を向けたかと思うと、少し感心したような様子で、
「この子、兄ちゃんが作ったAI? ボイスセンサーと、あとモーションセンサーも内蔵してるのかな。会話の継続性と反応性にも不自然な部分がないし、兄ちゃんにしては良くできてる方じゃない」
「え? あ……」
 そこでようやく、凛子が勘違いをしてる事に気が付く。
 そう言えばコナさん、自分の名前しか口にしてなかったな。
 多分、彼女なりに気を使ってわざと自己紹介を端折ったんだろうけれど、凛子だって「こころナビ」のユーザーなんだから別に隠し立てする必要はないだろう。
 数秒ほど思案してそう判断した僕は、まず凛子に向かって、
「ほら、凛子。前に話さなかったっけ。僕の『こころナビ』は、凛子のと違ってナビゲーターが付いてくるんだって」
「そういや、そんな事言ってたっけ。じゃ、もしかしてこの子が……?」
「勇太郎殿、よろしいのですか?」
 いきなりネタバレしてしまった僕を気遣ってか、慌てて口を挟んでくるコナさん。
 でもそんな彼女に、気遣いは無用とばかりに軽く手を振った僕は、
「平気だって。実は、凛子も『こころナビ』のユーザーなんだよ。以前IRISで、蘭煌って子に会ってるでしょ。あの子が凛子のラウンダー」
「ほう、そうで御座いましたか」
「ボクの方は、この子に見覚えはないけれどね」
 納得した色を浮かべるコナさんとは対照的に、不審げに眉を寄せる凛子。
「コナさんはあくまで『こころナビ』の補助機能らしいから、他のラウンダーに対しては常時不可視モードになってるんじゃないかな?」
「仰る通りで御座います。必要とあらば可視化できますが、デフォルトの設定は不可視となっております故」
「ふん、そういう事ね……ちょっと変わって、兄ちゃん」
 そう言うや否や、返事も待たずに僕の手からPCを取り上げた凛子は、
「会って早々で何だけど、キミに幾つか聞きたい事があるんだ……いいかな?」
 そう、至って真面目な表情でコナさんに向かって口を開いた。
「はい。お答えできる事でしたら、何なりとどうぞ」
「ボクのところに来た『こころナビ』は蘭煌との人格融合型だったけれど、キミみたいな従属人格型の『こころナビ』は他にも存在するの?」
「申し訳ありません、その質問につきましてはお答えしかねます。私コナは、あくまで勇太郎殿に付き従っているサポートプログラムに過ぎません。他の『こころナビ』の仕様については、知る術を持ち合わせておりませんので」
「じゃあ『こころナビ』の制作者についての情報は持ってる?」
「御座いませぬ。既に申し上げました通り、私は『こころナビ』というブラウザに付随する一介のプログラムに過ぎず、それ以上でもそれ以下の存在ではございません由」
「キミの目的は?」
「目的、ですか。そうですな……私の目的は、当初はマスターに快適なラウンドを行っていただく為の補助で御座いましたが、現在は勇太郎殿の恋人作りのお手伝いが私の中でのファーストプライオリティとなっております」
「恋人? 兄ちゃんの?」
「はい」
 画面の中でコナさんが頷いた次の瞬間、凛子の冷ややかな視線が僕に向く。
『……どういう事?』
『いやほら、凛子と付き合ってる事は誰にも秘密だから、コナさんは僕が今もフリーだと思ってるんだよ』
『ふーん』
『ホントだって』
『ま、いいけどね。ボク以外の娘に手を出して、二股三股するのも兄ちゃんの自由だし』
『そんな事しないって!』
 と、目と目で会話をした――様な気がした。
 それにしても、どうして凛子は急にコナさんにあんな事を問い質したりしたのだろう。
 凛子が以前から『こころナビ』の改造に手を染めてるのは知っていたけれど、その辺りと何か関係があるのだろうか。
「キミの本体は、兄ちゃんのPCの中にいるの?」
「本日はこちらにご同道させていただく為、携帯型HDDの方に仮住まいさせていただいておりますが、普段は僭越ながら勇太郎殿のPCの中に住まわせていただいております」
「って事は、今はこっちがマスターなんだ」
「はい。自宅に残してありますデータは、現在スレイブ状態となっております。帰宅次第、同期化を行いマスター・スレイブの交替を行う予定です」
 もしかしなくてもそれって、更にデータ容量が増えるって意味なのかなぁ……コナさんの返答を耳にしながら僕は、近いうちにまた追加ディスクを買いに行かないとダメらしい事に気付かされた。
 当然と言えば当然の結果だったけれど、僕のPCの中でコナさんが占有するデータ領域は日を追って増えていく一方だった。
 彼女曰く「これでもデータの最適化は、常に行っているのですが」って事だったけれど、それでも彼女専用にあてがった五百ギガのHDDが既にパンク一歩手前の状態だったりする訳で、この調子じゃ後半年もしたら一テラ到達も夢じゃない気がした。
「じゃあ次は――」
「勇太郎さーん! 凛子さーん!」
 凛子が次の質問を口にしかけた時、不意に遠くから僕たちの名を呼ぶ声がした。
 見れば海の家のある辺りで、こっちに向かって大きく手を振る女性の姿が見て取れた。
 あの長い髪は……みまりさんだ。
 どうやらいつまで経っても追いついて来ない僕たちが心配になって、声をかけてくれたらしかった。
「そういや、お昼だっけ。はい、これ返すね」
 みまりさんに向かって返事代わりに手を振り返す僕を横目に、その場から立ち上がった凛子は、手にしていたPCを僕に返すと傍らに置いてあった麦わら帽子を被り直し、
「行こ、兄ちゃん」
 そう一言、すたすたと海の家に向かって歩き出した。
 慌ててPCを、カメラ部分だけ外を見られる様にしてバッグの中にしまった僕は、
「じゃあコナさん。僕たちお昼食べてくるから、存分に海を堪能してて」
「はい。恐悦至極に存じます」
 それからすぐに、凛子の後を追いかけた。
 僕を待っていてくれたのか、ゆっくりと歩いていた凛子にはすぐに追いつき、肩を並べる事ができた。
「兄ちゃんさ……もしかして、最初から狙ってた?」
 僕が口を開くより早く、麦わら帽子の下からちょっと疑わしそうな様子で言葉を紡ぐ凛子。
「え?」
「彼女とボクを、最初から引き合わせようとしてたんでしょ。その為に、わざわざボクまで海に引っ張り出したんじゃないの?」
「そ、そんな事ないって。コナさんを一緒に連れて来たのは、出がけに彼女から『この目で本物の海を見てみたい』って頼まれたからだよ」
「ふーん……ホントに?」
 左手で麦わら帽子の庇をつまみ上げ、片目だけ僕に視線を向けた凛子は相変わらず懐疑的な様子だった。
「ホントだってば。凛子にバレたのは、完全に計算外だったんだから」
「なーんかさ……兄ちゃんの手のひらの上で踊らされるのって、悔しいんだよね」
 酷い言われ様だ。
 確かに普段、手のひらの上で踊らされまくってるのは僕の方だけれど……。
「ま、いっか」
 防戦一方だった僕に一矢報いて満足したのか、さらりとそう呟いた凛子は、今度は悪戯っぽく目を細めて見せると、
「あ、そうそう。話は変わるけど兄ちゃんさ、PCのセキュリティはもう少しちゃんとしといた方がいいよ」
 脈絡なく話題を切り替えてきた。
 話に付いていけない僕は「え? 何が?」と返すばかり。
「はぁ……やっぱり気付いてないし。相変わらず鈍いなぁ。ボクが兄ちゃんのPCを使ってたのを見て、何の疑問も抱かなかったの?」
「疑問? って、あれ? そういやあのPC、起動時のパスワードもちゃんとセットしてあったはずなのに……なんで?」
 凛子に言われて初めてその事に気付いた僕は、頭の上に幾つもの?マークを生やす。
「誕生日とか家族の名前――そういうすぐに思い付かれる類のキーワードを避けるのって、セキュリティの基本中の基本でしょ」
 確かに、真っ先に気付くべきだった。
 凛子がどうして僕がいない間に、僕のPCを勝手に使う事ができたのかを。
 言うまでもない……起動時のパスワードを、あっさり見破られてしまったからだ。
「兄ちゃんって、意外とロマンチストだね。んー、でも男って女以上にそういう部分があるって言うしね」
 くすりと、小さく笑みをこぼす凛子。
「十二月二十七日」
「……う」
 改めてそう言われると、さすがに恥ずかしさが先だってしまう。
 そう、僕が設定していたパスワードは、ローマ字綴りの彼女の名前プラス彼女が口にした月日の九文字だった。
 それは、僕たち二人にしか意味を持たない日付。
 誰にも決して口外する事のない日付。
 僕が凛子に告白し、恋人同士になれた日付。
 第三者に見破られる事はないだろうと思って設定したのに、その意味を知っている凛子にクラックを試みられたんじゃセキュリティもへったくれもなかった。
「またボクに勝手に入られたくなかったら、パスワード後で変えときなよ。兄ちゃん」
「うーん、絶対大丈夫だと思ったんだけどなぁ」
「あのね……世の中、絶対なんて事はないよ」
「それはまぁそうだろうけど。でもこのパスワードだったら、僕と凛子の世界中で二人しか知らない記念日だから、忘れる事もなくてちょうど良いかと思ったんだよ」
「ぶっ……兄ちゃん、言ってて恥ずかしくない?」
 特に意識して口にしたつもりじゃない言葉だったけれど、どうやら凛子には僕がてらいもなくそこまで言うとは予想してなかったらしい。
 それにどうしてか、ちょっと慌てた感じだった。
「……?」
 思わず首を傾げてしまう僕。
 でも当の凛子は、どうしてか訝しげな眼差しをこっちに向けたと思ったらすぐに小さくため息を漏らした後、
「兄ちゃんってさ……時々、天然だよね」
 見るからに呆れた様子でぽつりと、そう呟いた。
(6)に続く

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