『千鶴日記』
Update:1998.03.11





第3章「楓」

 窓から差し込む冬の日差し。
 それを全身で浴びながら俺は、千鶴さんの過ぎ去って久しい過去に目を落とし続けた。
 たまに本から顔を上げては、ぼんやりと自分の中に残る当時の記憶を掘り起こし、そしてまた日記へと目を戻す……そんな行動を繰り返しながら時間だけが緩やかに流れてゆく。
 本当なら俺は、夏休みの間中ずっとこっちにいるはずだった。
 にも関わらず、あの忌まわしい水門での事件から数日後、俺は親父に引きずられるように隆山を後にしていた。
 一言も理由の説明のないまま、ただここを去るとだけ告げた親父。
 理不尽以外の何ものでもないその宣告は、俺でなくとも感情的な反発を覚えさせるに十分すぎるものだった。
 それは、ひとりっ子だった俺が生まれて初めて手に入れることのできた、単なる友だちではない「姉と妹」という一種血を分けた存在から引き離されてしまうことに対する、子供なりの憤りだったのかもしれない。
 たとえどんなに仲の良い友人でも、日が暮れてしまえば彼らは親兄弟の待つそれぞれの家へと帰ってゆく。
 そして生まれてこの方ずっとひとりっ子だった俺は、それ故に家の中で残された一日の時間をひとりで過ごさなくてはならなかった。
 もちろん家には親父もお袋もいた。
 だから家に帰ったからといって、別段孤独感に苛まれるわけでもなかったが、それでも親はあくまで親であり友人とはなりえなかった。
 口にこそしなかったがきっと心のどこかで俺はずっと、歳の近い肉親――それが弟でも妹でも構わなかった――を求めていたのだろう。
 そして俺は、彼女たちと出会った。
 自らが心の奥底で渇望し続けて止まなかった存在を、ようやくのことで手に入れることができたのだ。
 いつだって「こーいちおにいちゃーん」と俺の名を呼びながら、後ろをついてくる甘えん坊の初音ちゃん。
 物静かに、でも初音ちゃんと一緒に俺の後をとことこと追いかけてくる楓ちゃん。
 言葉遣いの乱暴さとその行動の活発さ故、当時は一見してとても女とは思えなかったが、でもだからこそ一番気の合う相棒と成り得た梓。
 そして唯一、姉とも言える年上の存在だった千鶴さん。
 彼女たちのそんな当時の面影を追ううちに、ふとあの夏の別れの日の情景が脳裏に思い浮かんできてしまった。
 寂しくも、悲しい思い出。
 あの時玄関口に立ち並ぶ千鶴さんを始めとする四姉妹は、それぞれに思い思いの表情を浮かべながらその場に佇んでいた。
 まるで納得がいかないように、どこか不機嫌そうな様子の梓。
 本心から名残惜しそうな表情を浮かべる楓ちゃんと、半分べそをかきながら「こーいちおにいちゃーん」と声を震わせ、繰り返し俺の名を口にし続ける初音ちゃん。
 そしてそんな彼女たちの傍らには、微笑みを浮かべながらも瞳にどこか寂しげな色を見え隠れさせている千鶴さんがいた。
 無論いまなら、あの時親父が千鶴さんたちが住むこの地から強引にでも俺を引き離そうとした、その理由は想像できる。
 そう、親父たちは恐れていたのだ。
 ひとたび目覚めはしたものの、俺の中で再び眠りについた『鬼』が、この地に留まり続けることで再度その目覚めが促されることを。
 柏木の一族は、かつてこの地に根を下ろした異界の存在の末裔だった。
 そして長い長い歳月を重ね、人間社会に溶け込んでいったのだ。
 柏木家にはいまもって、数百年の歳月を経てなおその能力を失うことなく保たれ続けている『鬼』の血が流れていた。
 無論俺や彼女たちにも、その血を源泉とする能力は受け継がれていた。
 千鶴さんから聞いた話では『鬼』の能力にもやはり男女差はあるらしく、女性の場合は外見は変化することなく単純に肉体的な能力が高まる――そうは言っても超人的なレベル、という但し書きがつくのだが――だけらしい。
 しかし男の場合は見た目の変化も顕著で、文字通り猛獣そのものの容姿へと変貌を遂げてしまう。
 恐らくはその外見の変化が心の裡に潜む好戦性をも高めてしまうのだろう、女性の『鬼』に比してひどく血を好む性癖が露わになってしまうのだ。
 俺自身そうだったが、この『鬼』の本能とも言うべき部分は人間としての心を食い尽くさんばかりに凶暴で、なおかつ絶え間ない殺伐の意志を貪欲に保ち続けていた。
 そして人としての心が、その本能に抗しきれなかった時……。
 傍らに積み上げられた何冊もの日記の中から俺は、一冊を取り出す。
 無造作にパラパラとページをめくりながら、やがて求める日付を見出すとそこにじっと目を落とした。

                  §

十一月二十六日

 父が死んだ……そして母も。
 わたしたち姉妹を残して。

                  §

 その日の記述は、それだけだった。
 千鶴さんの父親――俺から見れば伯父になる――は、柏木の血を引く男としてやはり『鬼』に身体と精神を侵されていた。
 そしてその制御に失敗したと判断した伯父貴は、一族の系譜に連なる先祖たちが過去同様の状況下でそうしてきたように、自ら死を選んだ――妻である千鶴さんの母親を道連れに、自動車事故を装って。
 もうひとりの自分とも言える『鬼』からの誘惑を頑なに拒み続けることの困難さは、この身をもって同様の経験をしてきたが故に、俺は十分すぎるほど知っていた。
 そして襲い来る狂気を克服することができるかどうかが、当人の努力とは関係なく生まれた瞬間に決まってしまっていることも。
 その意味で伯父貴は『鬼』としての意識を自らの心の裡に自覚した時点で、死を半ば運命づけられていたと言っても過言ではなかった。
 人として死ぬか、それとも『鬼』と化し、遠からず人としての精神までをも圧殺されてしまうかの、そのどちらかしか選択の余地はなかったのだ。
 だから伯父貴は、死を選んだ。
 最後まで妻にとっての夫、娘たちにとっての父として――即ち人としての生を全うすることを選んだのだ。
 でもそれはあくまで伯父貴にとっての思いであり、残された人間にとっては何の関係もないことだった。
 ある日突然に両親を同時に失い、そして頼るべき者を見出すこともできないまま、彼らの残した財産を狙う魑魅魍魎たちのただ中に取り残されてしまった千鶴さんたち。
 そんな中で彼女は一家の家長として、妹たちを守るという重責を担わされる羽目に陥ってしまった。
 柏木の、呪われた血の秘密と一緒に。

 ぐぅーーーっ……。

 その時、唐突に腹が鳴りだす。
「……落ち込んでても、身体は正直ってか」
 日記へ落としていた視線を腹の方へと向けて口許をわずかに歪めた俺は、そのまま顔を上げると今度は時計を見やる。
 文字盤の針は、いつの間にか昼をとうに過ぎていることを示していた。
 そのことを確認した途端「ぐぅー」と、胃袋が再度催促するように高い音を発する。
「はいはい、判ったよ。ったく、我ながら恥ずかしいヤツだな」
 俺は椅子代わりの段ボールから立ち上がると、無遠慮にエネルギーの補給を要求し続ける胃袋相手に悪態をつきながら居間に向かった。
 そろそろ梓が昼飯の用意をしてる頃合いだろう、そう思ったからだ。
 しかし俺のそんな淡い期待は、すぐに裏切られる。
 買い物にでも出かけてしてしまったのか居間にも台所にも梓の姿はなく、当然ながら俺の昼飯の準備もされていなかった。
 その事実を前に、俺の腹はまたもや情けない鳴き声を発する。
「畜生。梓のヤツ、メシの用意もしないで一体どこ行っちまったんだ?」
 ぶつぶつ悪態をつきながら、それでも俺は何か食べられそうなものを捜し求めては台所をあちこちと漁ってみた。
 しかしそこに見出したのは野菜やら肉やらといった、料理という手順を経ることなしにはとてもじゃないが口には入れられそうにない食材の数々だった。
「おいおい、勘弁してくれよぉ」
 天井を仰ぎ見ながら、思わずため息をもらしてしまう。
 学生時代にひとり暮らしをしていたとはいえ、生来のグータラである俺は自慢じゃないが未だかつて自分で料理などしたことはない。
 そんな俺に鮮度満点の食材だけ与えたところで、宝の持ち腐れでしかなかった。
「……どうしたんですか?」
 こうなったら生の大根でもかじりながら梓の帰りを待つしかないか……腕組みをしながら真顔で、しかし何とも間抜けな考えに耽る俺に向かって背後からかけられる声。
 振り返ると、そこにいたのは楓ちゃんだった。
「ん? あっと、楓ちゃんか。いやね、腹が減ったからそろそろ昼飯かなって思ったら、肝心の梓がいなくてさぁ」
「梓姉さん……いないんですか?」
「ああ。しかもメシの用意、してないみたいなんだよ」
 そう言って俺は、少し恨めしそうな眼差しで目の前の野菜と肉を見つめる。
 瑞々しい色合いを放つそれは、俺にとっては所詮「飯の素となるもの」であって「飯そのもの」ではなかった。
「そうですか……」
 言葉少なにそう返事をしてから、楓ちゃんはちょっと考え込むような素振りを浮かべる。
 そしてやや置いてから、
「あの……それでしたら、わたしが……作りましょうか?」
「え? 楓ちゃんが、お昼を?」
「はい。あの……梓姉さんほど上手じゃありませんけど……簡単なものでしたら……」
 少し恥ずかしそうに、彼女はそう言ったきり俺から目をそらしてしまう。
 普段から人並み以上に内気な楓ちゃんが、自分からそんなことを言い出すなんて本当に珍しいことだ。
 それだけに彼女の申し出は、正直言って嬉しかった。
「楓ちゃんの手料理かぁ。うん、じゃあお願いしようかな」
「は、はい……。それじゃあ、居間で待っていてください、耕一さん」
「うん、分かった」
 傍らのテーブルに放り出されたままの、梓のものらしいエプロンを手にとった楓ちゃんはそれを身につけると、俺と入れ替わるように山とある食材の前に立つ。
 彼女の邪魔にならないよう、俺はそっと居間に向かった。

                  §

「……お待たせしました」
 お盆に料理を乗せて、台所から姿を見せた楓ちゃん。
 そして食卓を前にする俺の横に膝をつきながら、料理の乗った皿を静かに置く。
 彼女が作ってくれたのは、チャーハンだった。
 醤油色に炒められたご飯の間に細かく千切りにされた肉や野菜、それに卵焼きが見え隠れしている。
 点々と緑に映えるのは、チャーハンにはお約束のグリーンピースだった。
 目の前で湯気立つ料理を前に俺は、一度その匂いを嗅いでみる。
 醤油の香ばしい香りが、とめどなく空腹感に苛まれる食欲を一層刺激してくれた。
 俺は楓ちゃんが座るのを待ってから、おもむろに「いただきまーす」と手にしたレンゲを皿に向かって振り下ろす。
 一口、二口、三口……俺はまるで親の仇を討つように、無言でただひたすらチャーハンを胃袋の中に流し込み続けた。
 その間、楓ちゃんはじっとそんな俺の様子を見つめ続けている。
 俺が彼女のその視線に気づいたのは、腹の方もようやく落ち着きを取り戻してきた、皿の上を七割方空にした頃だった。
「ん? どうしたの、楓ちゃん?」
 レンゲを動かす手を止めて、俺は訊ねる。
「えっと、あの……いかがですか?」
 彼女らしいちょっと遠慮気味で、恥ずかしそうな声。
 それが、いま食べているチャーハンが美味しいかどうかを聞いているらしいことをすぐに察した俺は、
「うん、美味しいよ」
「本当ですか?」
「もちろん。こんなことで嘘なんてつかないよ、俺」
「そうですか……」
 俺の言葉にほっと、そして嬉しそうに相好を崩す楓ちゃん。
 滅多に見ることのない彼女のその笑みに見とれてしまった俺は、思わず手にしたレンゲを取
りこぼしそうになってしまう。
 そんな俺の不躾な視線に気付いたのだろう、楓ちゃんは可愛らしい仕草で小首を傾げながら俺を見つめ返してきた。
「そ、そう言えば楓ちゃんの手料理って俺初めて食べた気がするけど、これってやっぱり梓から習ったの?」
 俺は誤魔化すように慌てて、止めていた手を再度動かしてはチャーハンを頬張りながら、それだけを口にする。
 そんな俺に、楓ちゃんは相変わらずの小さな声で、
「はい。学校に、お弁当を作っていったり……してますから」
「ふーん、そうなんだ。でも、お弁当以外には何か作らないの?」
「ええ……家ではいつも、家事は梓姉さんがひとりで全部やってくれていましたから。あ、でも……」
 そこで、何かを思い出そうとするように小首を傾げる楓ちゃん。
「ん?」
「……ずっと昔、叔父さまにも作ったことがあります」
「おじさまって……俺の親父に?」
「はい」
「そっか」
 俺はレンゲを皿に置き、そして傍らのコップを手に取ると水を一口飲む。
 そして脳裏に、いまは亡き親父の面影を描き出した。
 親父も柏木の呪われた血を引く者としてこの世に生を受け、その定めに従って死んでいったひとりだった。
 千鶴さんたちの両親の死後、親父は俺とお袋の前から姿を消した。
 後ろ盾を失った彼女たちの保護者となるために、そして柏木家がオーナーとなっている「鶴来屋」の支配人としての務めを果たすために。
 まだ子供で、そうせざるを得なかった事情を理解できなかった当時の俺は、単純に親父が俺たち母子を捨てたんだとひとり勝手に誤解し、そして親父のことを怨んだ。
 でも俺は、何も知らなかった。
 親父の来訪によって、千鶴さんの傷つき疲れた心がどれほど癒されたか、そして救われたのかを。
 千鶴さんの父親――実の兄の死によって、次は自分の番であることを知った親父が、家族を柏木の『鬼』の血の因縁に巻き込まないよう、どれだけの苦渋を抱きながら俺たち母子の前から姿を消したのかを。
 そして、さっき読んだばかりの日記の一文を俺は思い出した。

                  §

二月四日

 今日、賢治叔父さまが来てくださった。
 そしてこれからもずっと、わたしたちのためにこの家に居続けてくださる。
 嬉しい、本当に嬉しい。


二月六日

 叔父さまのお陰で、妹たちの顔にもようやく笑顔が戻ってきた。
 父と母が死んでから家族の誰からも笑顔が消えて久しく、だからこそわたしにはそのことが素直に嬉しい。
 この何ヶ月かでわたしは、人という生き物がどれだけ醜く汚い存在になれるものなのかを、嫌というほど見せられてきた。
 でもそれも、叔父さまがいらしてくださってからは、すっかりなりを潜めた。
 どれほど感謝しても、感謝しきれないくらいだと思う。
 叔父さま、ありがとうございます。


三月十二日

 以前から疑問に思っていたことがある。
 わたしたちは、叔父さまのお陰で暗闇の淵から救われた。
 でも叔父さまは、もしかするとわたしたちのためにご自分の家族を犠牲にされているのではないかと、そう思うのだ。
 妹たちが寝入った後、わたしは思い切って叔父さまにそのことを聞いてみた。
 叔父さまは、奥さまには事情を説明されていらしたみたいだったけれど、でも耕一くんには何も話していないようだった。
 わたしがそのことを心配すると、叔父さまは少し寂しそうな顔をしながら、
「大丈夫。いつか、きっとアイツも分かってくれるさ」
 ただそう仰るばかりだった。
 耕一くんと出会ったあの夏から、気が付けばもう一年以上の時間が経っている。
 時の流れは早いと思うけれど、それでも彼はまだ中学生。
 叔父さまのことを、誤解していなければいいのだけれど……。

                  §

 両親の死を境に、千鶴さんの日記は時の流れを止めていた。
 どれだけページをめくっても、そこにはただ無味乾燥な白紙が延々と続くばかりだった。
 そして再びそこに千鶴さんの文字を見出すことができるようになったのは、親父が千鶴さんたちのために俺とお袋に別れを告げ、ここに来てからのことだった。
 その間、彼女たちの身に何があったのかを、日記から窺うことはできない。
 でも時折、思い出したように断片的に語られるその過去は、当時が決して楽しい日々ではなかったことを否応なしに感じさせてくれた。
 当然だ。
 長女である千鶴さんですら、まだ中学生。
 そんな彼女たちが、柏木本家の持つ資産を巡って繰り広げられる大人たちの薄汚いゲームのただ中に放り込まれてしまったのだ。
 いつか千鶴さんが辛そうに口にしていたが、それは文字通りの「針のムシロ」以外の何ものでもなかったに違いない。
 そして親父こそが、彼女たちをそんな境遇から救い出したのだった。
 人が、その望むすべてのものを手に入れることは難しい。
 俺たち母子と千鶴さんたち四姉妹……親父はその選択に悩み苦しみ、そして結局俺たちを信じ、愛するからこそ後者を選んだ。
 どちらかが正しく、どちらかが誤っているわけではない。
 いまなら俺も、そんな親父の当時の心の裡を理解することができた。
 でもその親父も、既にこの世の人ではない。
 真実を知ったとき、それを伝えるべき相手は……いつだっていなくなってしまっている。
 それが悲しく、そして悔しかった。
「……耕一さん?」
 その声に我に返ると、楓ちゃんがどこか心配そうな様子で俺のことを見つめていた。
「ごめんごめん。何でもないよ、うん」
「そうですか……」
 俺は慌てて米粒ひとつ残さず皿を綺麗にすると、両手を合わせてごちそうさまをする。
「ごちそうになったことだし、手伝うよ」
 食器を片そうとする楓ちゃんの動きを抑えて、俺は言葉を紡ぐ。
「え、でも……」
「いいからいいから」
 そう言って俺は、彼女に代わって食器を手にするとそのまま台所に向かう。
 鼻歌を歌いつつ水の張られた洗い桶の中に食器を浸し、俺は蛇口に手をかけた。
 そして水面に映し出された自分の顔を見て、ふとその手を止めてしまう。
 永遠に続くかのようにも思える、穏やかで平和な日々。
 昨日は今日へ、そして今日は明日へと変わることなくただ連綿と続いてゆく、日常という名の人々の営み。
 でも変化はある日、何の前触れもなく唐突に訪れるのだ。
 そして千鶴さんもあの時、きっといま俺の脳裏を占めているのと同様な思いに駆られたに違いないと、そう確信していた。

                  §

四月二十八日

 それは、突然だった。
 今日は月に一度の、叔父さまがわたしたちに手料理を振る舞ってくれる日で、わたしも妹たちも、毎月その日が来るのを心待ちにしている。
 そして今日の食事もとても楽しいものだった。
 でもそれも、あの瞬間が訪れるまで。
 食事の後、洗い物をしていた叔父さまが突然頭を押さえ、倒れてしまったのだ。
 幸い、すぐに意識を取り戻した叔父さまは「ちょっとめまいがしただけ」とそう仰る。
 でもわたしは聞いてしまった。
 叔父さまが倒れたときにもらした、かすかなうめき声を。
 そう、叔父さまは確かにあの時「……鬼どもめ」そう呟いたのだ。
 それは死んだ父が生前、発作に襲われる度に口にしていたのと全く同じものだった。

 神さまお願いです。
 わたしたちから、叔父さまを奪わないでください。
 どうかわたしたちの平和な日々を……壊さないでください。
第4章に続く

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