『琴音歳時記』
Update:2000.10.09





「如月」

 いつもと同じ時間。
 いつもと同じ通学路。
 飽きることなく繰り返される退屈で、平穏な毎日。
 学校指定のコートと、そして色とりどりのマフラーに身を包む生徒たちが、冬の朝の陽射しの下で思い思いの表情を浮かべながら、視界の中を三々五々学校へ向かって歩いていた。
 すーはー、すーはー……。
 足の動きに合わせて吐き出される息が、そのたびに空気の冷たさに反応して白く濁る。
 それは冬の白さ。
 例えば春が新緑の緑色に、夏が抜けるような空の青色に、そして秋が枯葉の茶色に象徴されるように、どの季節にもそれぞれの季節だけが織りなすことのできる色合いというものがある。
 そしてわたしが思い抱く冬の色は、白だった。
 吐き出す息の白さ。
 雪の白さ。
 ガラス細工の如き空の最中に浮かぶ、雲の白さ。
 凛とした空気の感触そのままに、無垢でいて、そして未だ何ものにも汚されたことのない純白。
 誰もが凍てつくような寒さに身を縮め、暖かな春の到来を待ち望む季節。
 でもわたしはそんな冬が、一年の中で一番好きだった。
 何故ならそれは、わたしの心だったから。
 その呪われた能力がために誰からも忌み嫌われ、だからこそ世界の全てを否応なしに拒絶し続けたわたしの心。
 誰からも望まれることのない存在。
 たとえわたし自身が望んだものでなかったにしても、そこにあったのは何ものも存在しえない、空虚な白さだった。
 でも――。
 内心で、ぼんやりと思考を巡らせるわたし。
 でもその思いも視界の端に、曲がり角から人影が姿を現したのを捉えた途端、打ち切られる。
 ……あっ。
 声にならない声をあげてしまう、わたし。
 同時にどきりと心臓の鼓動が高鳴るのを感じながら、無意識のうちに歩調を早めて彼のもとへと駆け寄っていった。
 少しずつ大きくなってゆく姿。
 吐き出される息が霧散する前にその中に飛び込み、彼の姿だけを瞳に捉えながら走る続けるわたし。
「おはようございます、藤田さん」
 背中にかけられたわたしのその声に足を止めた藤田さんは、その場でくるりと身を翻すと、
「おはよう、琴音ちゃん」
 にっこりと笑みを浮かべながら、挨拶を返してくれる。
 大好きな人がわたしに見せてくれたその表情に、目を細めながら笑みを返すわたし。
 足を止めたままだった藤田さんは、わたしが彼と肩を並べるのを待ってから再び歩き出す。
「新しい超能力、調子いいみたいだな」
「はいっ」
 冗談混じりの藤田さんの言葉に、微笑みながら応えるわたし。
「今日も寒いですね」
 そう言いながら吐き出された息は、さっきと同じで真っ白だった。
「ああ。こう寒いと、毎朝起きるのが辛くて仕方がないぜ」
 頷きながら言葉を紡ぐ藤田さんの息も白く濁って、一瞬だけ彼の顔が見えなくなってしまう。
 そんな彼の横顔に向かって、小さく頷きながらわたしは、
「はい、そうですね。わたしも、お布団の中から出るまでが一苦労です」
「そう言うときはだな、コタツで寝ると朝が楽ちんだぞ」
「コタツ……ですか?」
 小首を傾げながら訊ね返す。
 すると藤田さんは、横目でわたしを見やりながら得心したように大きく一度頷いてみせると、
「あれがまた気持ちいいんだ。足元がぽかぽかしてるせいで、夜とかついそのまま寝ちまうんだよ」
「でもコタツで寝ると、風邪をひきやすいって言いますよ?」
「そうなんだよなぁ。コタツで寝てるとのどが渇いて夜中に目が覚めたりするんだけど、そういう時って大抵手遅れなんだよな」
「今年の風邪はすごく熱が出るらしいですから、気を付けてくださいね」
 わたしは口許に手を当て、横合いから彼の顔を見上げながら少し落とし気味の声音で言葉を紡ぐ。
 無意識のうちに、きっと心配げな表情を浮かべてしまったのだろう。
 そんなわたしを安心させるように、わずかに目を細めながら穏やかな笑みを浮かべた藤田さんは、そしてわたしの頭を軽く撫でてくれる。
「ああ。心配してくれてありがとな、琴音ちゃん」
「……はい」
 胸の奥に、柔らかく染み込んでいく彼のその一言。
 自分が藤田さんの側にいることができる嬉しさと、彼がわたしという存在を受け入れてくれているという安心感が、わたしの身体を包み込む。
 不意に、瞳がじんわりとにじみ始めていた。
 そう……それは歓喜の思い。
 そして、安堵の思い。
 まるで心の奥底からにじみ出てきているかのように視界は滲み続け、目頭が熱くなり続けていた。
「琴音ちゃん……?」
 俯いたまま黙り込んでしまったわたしのことを気遣うように、わたしの名を口にする藤田さん。
「な、なんでもありませんっ!」
 慌てて目頭を制服の袖で拭いながら、そして彼に向かって笑顔を浮かべようとしたその時だった。
 視界を右から左に、白く小さな何かがふわりと横切る。
「えっ?」
 雲ひとつない冬の凛とした青空を背景に、数え切れないほどの純白のかけらが舞い踊っていた。
 まるで花びらが風に流されているかのような、軽やかで不規則な動き。
 そして手のひらへと舞い降りてきたそのひとひらに感じた冷たさで、それが何だったのかをわたしは知る。
「……雪?」
 頭上を降り仰ぎながら、ぽつりと呟く。
 曇っているわけでもないのに、まるで空のただ中からわいて出てきたように視界を埋め尽くす、小雪が織りなす輪舞。
 青と白の、明瞭なコントラスト。
 まるで夢でも見ているような心地でその場に立ちつくしたまま、わたしは目の前に広がる、どこか幻想的な光景を見つめ続けた。
「すごく……綺麗です」
「ああ。これって風花だな」
「かざはな……ですか?」
 彼の口から不意に紡がれた聞き慣れない言葉に、ようやく我を取り戻したわたしは彼の方へと視線を向ける。
「きっと、山の方から運ばれてきたんだな」
「あの……かざはなって何ですか?」
 空を見上げたまま、どこか合点がいったように頷く藤田さん。
 でも彼の言葉の意味が理解できなかったわたしは、視線はそのままに小首を傾げながら訊ねる。
 わたしのその問いかけに、藤田さんは視線を戻しながら、
「今日みたいによく晴れた日にさ、どこか別の場所から風で吹き送られてきた雪のことを『風花』って言うんだ」
「風の……」
「ま、冬の風物詩ってやつだな」
 そう言って片目をつぶってみせる藤田さんに頷きながら、もう一度空に目を向けるわたし。
「え?」
 わたしの目に映し出されたのは、青く晴れ渡った空だけだった。
 ついいまし方まで、大空を思うがままに舞い散っていたはずの雪片は、まるで幻のように消え失せていた。
 改めて頭上を仰ぎ見ながら、藤田さんが口を開く。
「終わったみたいだな。風花なんて、まあこんなもんだよ」
「そう……ですか」
 楽しい夢を見ていた最中にを無理矢理に起こされた後のような、そんなどこか物足りない思いが胸中を漂う。
 目の前をどうやらそれが最後らしい風花のひとひらが、ゆっくりゆっくりとわたしの許へと舞い降りてくる。
 手を伸ばし、それを受け止める。
 一瞬だけ手の中で無垢なその身を晒した雪片は、わたしの中に溶けていくように消えていった。
 握り締めた手を、そのまま胸に押し当てる。
 夢はいつか覚める。
 歌はいつか終わる。
 そして、藤田さんを想うわたしの心は……。
 わたしは目をぎゅっと閉じたまま言葉なく、何かに祈るようにその場に佇み続けた。
「琴音ちゃん、そろそろ急がないと遅れるぜ」
 どれくらい経った頃だろう、ちょっと困ったような藤田さんの穏やかな声音が耳朶をくすぐる。
 ゆっくりと目を見開く。
 そして傍らでわたしの言葉を待つ藤田さんに、にっこりと微笑みながら、
「はい!」
 いつもと同じ時間。
 いつもと同じ通学路。
 でもわたしにとってそれは、決して同じことの繰り返しじゃない。
 何故ならそこには、藤田さんがいてくれるから。
 何よりも大切で……誰よりも大好きな人の、新しい笑顔と毎日巡り会うことができるから。
翌月に続く

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