WRC-COLUMN #2



WRカー誕生までの歴史 その2


案の定長くなりました
もうちょっとお付き合いを・・・(o*。_。)oペコッ


日本車全盛の時代の到来(グループA)

いきなり余談ですが、この頃はNHK-BSでWRCをやっていたのでよく観ていました

グループAは、WORDコーナーにも書きましたが、12ヶ月で5000台以上(のちに2500台に緩和)生産されている車でなければホモロゲーションが取れませんでした

当初はオペル、BMWなど様々な欧米メーカーも参戦していたのですが、当時の欧米メーカーの経営状態は決して余裕のあるものではなく、その中で高性能4WD車を5000台以上生産することは大きな負担でした
また、それだけの大きな負担を背負ってWRCに参戦して活躍しても、当時の欧米では高性能4WD車は売れるとは限らず、リスクを背負わなければWRCに参戦できなくなったのです
そういった背景から、欧米メーカーが次々とWRCから撤退していきました
グループB時代はトップを争っていたアウディも去っていきます

その90年代に一気に伸びてきたのがトヨタを筆頭とする日本車です
当時の日本はまさにバブルの真っ最中
三菱、スバル、日産だけでなくマツダも参戦しました
意外に思われるかもしれませんがマツダは323(日本名ファミリア)にて3勝をあげてます


SUBARU LEGACYMAZDA 323

しかし、グループAへの移行期から、グループBの時と同様にグループAへの変更にいち早く対応し、最も活躍したのはグループBの時と同じく、ランチアでした

1987年からデルタHFを投入し開幕戦を勝利すると13戦中9戦で優勝し、Wタイトルを手にします
そしてデルタはインテグラーレ、インテグラーレ16Vと進化し続け、1992年まで6年連続メイクスタイトルという偉業を成し遂げます
ちなみに最後の頃のデルタは正式にはランチア・デルタ・HFインテグラーレ・エボルツォーネという長ったらしい名前でした
ドライバーズタイトルもJ.カンクネンとM.ビアシオンで87〜89年まで取り、まさにタイトル独占状態でした

それにまったをかけたのがトヨタです
1990年にカルロス・サインツがセリカGT-FOUR ST165でドライバーズタイトルを取ったのです
その速さは既にランチアを超えたとまで言われました
89年〜92年まではランチア、トヨタが上位を独占しました
1991年にはNEWマシンST185を投入しますが、メイクスタイトルには今一歩のところで及ばず、苦汁をなめていました

しかしランチアも会社の経営悪化から資金が回せなくなり、遂に1993年にWRCから撤退してしまいます

残されたのはトヨタ、スバル、三菱、フォードだけになってしまいました

その1993年にトヨタは念願のメイクス・ドライバーズのWタイトルを奪取
翌1994年もWタイトルをとりました
しかし1994年途中から投入したST205が不振で1995年はなかなか勝てず、ようやく1勝をあげるもその後ターボにレギュレーション違反が発覚
同年の全ポイント剥奪と2年間のワークス活動禁止という厳しい沙汰が下され、トヨタもWRCより一時撤退せざるを得なくなります

代わって1995年のWタイトルを獲得したのは、スバル・インプレッサでした
インプレッサは1993年の1000湖で2位に入るという衝撃のデビューをし、1994年は3勝を上げるなどその速さは本物でした
そしてスバルは翌1996年もメイクスタイトルを保持
WRカー規定初年度の1997年もメイクスタイトルをとり、3年連続メイクスタイトルという素晴らしい成績を残しました

打倒日本車(キットカーの登場)

前述のような理由から、欧米メーカーが次々とWRCから徹底していきました
しかし世界中の自動車メーカーの殆どは2L以下の自然吸気エンジンを持つ2輪駆動のクルマは生産しているので、これらのメーカーのために世界的なラリーのステータスを与える目的で1993年シーズンからWRCと並催される形で制定されたのが「FIA Cup for Manufaturers of 2-Litre Cars」というメイクスポイントでカップ勝者を決めるカテゴリーが作られました
そこで使われる競技車両は2L以下の自然吸気エンジンを持つ2輪駆動車で、FIAグループA(1995年からはグループNも可能)の車両公認を取得した車両が対象となります
これが2L以下の車両規定、つまりフォーミュラーを持つということでFIA内の略称で「FORMULA 2」、略して「F2」と通称されました

キットカー規定はそのF2規定から派生したグループA公認車両の亜流として誕生しました

グループAと異なる点は
・ベース車は連続する12ヶ月間に25000台生産実績のあるボディ・シルエット、ボディ素材、ホイールベースを持つファミリーであればよい
※ただし、メーカーは上記のものはキットとして20台分(95年12月までは50台)をグループAの追加ホモロゲとして公認を受け、適切な価格で販売しなければならない
・ベースエンジンもファミリーのもので2500基以上生産された物、でピストン、カムシャフト、コンロッド、クランクシャフトは上記ベースエンジンのものと材質を変更しないという条件で変更可能
・エンジンブロックは上記2500基のものを使用し、クラス別の排気量の上限(2000cc)に近づけるためのボーリングやスリービング、クランクシャフトによるストローク変更は可能
・インテークマニホールドとエキゾーストマニホールドは材質形状ともに変更可能
・それに伴うスロットルバルブの数や駆動方式、電装系、フューエルインジェクターは数容量ともに変更可能
・バンパーの変更、ボンネット開口部の追加、フェンダー拡大などが制限付きではあるが可能

などです

FIAによると、ラリーを意識した高性能車を2500台生産しなくてもそのクルマに特殊なレーシングパーツを付けてそのクルマ用のキットとして追加公認を受ければ、より高性能なラリーカーに仕上げることが可能となるということでした
(このアイディアが後にWRカー規定を生むことになります)

ルノー・スポールのパトリック・ランドン氏がキットカーを最高峰とするWRCを夢想してFIAに働き掛けたのが発端ですが、当のルノー・スポールはウィリアムズF1とのジョイントによるエンジン開発に予算が掛けられたこともあって、せっかく開発したクリオMAXIのワークスカーを予算の都合でフランス国外では活動しませんでした(これは他のチームからは裏切りとしてとらえられたようです)
そのこともあって、フルシーズンF2クラスに参戦したのは後にWRカーでWRCに参戦したセアト、ヒュンダイ、シュコダくらいで、他はスポットでの参戦に過ぎませんでした

そのためにキットカーはグループAカーと同等のパフォーマンスを見せることを証明できず、そして97年にはキットカー規定のアイディアを生かし、WRカー規定が誕生します

キットカーが争う相手はWRカーとなりました

そして1997年と98年シーズンのカタロニアやツール・ド・コルスの様なターマックラリーにプジョースポールが306MAXIを持ち込んで、ターマックの名手のジル・パニッツィやフランソワ・デルクールの手によりWRカーのワークスマシンを向こうに回してあわや優勝というパフォーマンスを見せ、さらに99年シーズンになるとシトロエンスポールが更に開発の進んだクサーラ・キットカーが名手フィリップ・ブガルスキのドライブでカタルニアとツール・ド・コルスで並み居るWRカーを抑えて優勝してしまいました

WRカーより300s近く軽く、WRカーよりも50oフェンダーの幅の広い、NAとは言えWRカーと同じくらいの出力のエンジンを持つ2Lクラスのキットカーは専用のタイヤさえあれば4WDターボのWRカーを打ち負かすほどの性能を発揮することが証明されたのです
しかし、皮肉にもそのことがキットカーの運命を決めることになってしまいます
WRカーを持つワークスチーム関係者は、普段は選手権に参加していないスポット参戦のターマック専用フレンチキットカーは不公平だ、キットカーにもエアリストラクターを付けるべきだと主張したのです
(フル参戦しているWRカーは、グラベルラリーでも対応できる基本設計になっていなければならないからである)
そのためFIAは2000年シーズンからは、車両最低重量を960kgから1000kgへ引き上げ、トラクションコントロールを禁止するなどのレギュレーション変更を行い、キットカーに規制を加えることとなった

さらに元々はコスト削減案として作られた規定にもかかわらず、性能が上がるにつれて開発費も高くなっていき、もはや廉価ではなくなったこともあり、このカテゴリーは衰退していくことになります

しかしシトロエンやプジョーがフル参戦した初年度にマニュファクチャラータイトルを手にできたのは、その時代に築いたノウハウのおかげなのは間違いないでしょう

FWDでも高いパフォーマンスを発揮するため、アクティブデフ、トラクションコントロール、サスペンションなどの技術、そして全戦ターマックのフランス選手権参戦で得られたあらゆるターマック路面でのセッティング ターマックでのシトロエン、プジョーのパフォーマンスはキットカーでWRカーを追い回していたときの努力と開発費の賜物といえるでしょう


グループAからWRカーへ

グループAがトップカテゴリーとなった1987年から1992年までマニュファクチャラータイトル6連覇という偉業を成し遂げたランチアが撤退した後は、93、94年トヨタ、95〜97年スバル、98年三菱、99年トヨタ(97年からはWRカー)と日本メーカーが独占

しかし、93年からはトヨタ、スバル、三菱、フォードと、僅か4メーカーしか参戦しなくなり、FIAは対策を考えます さらに95年にトヨタが失格となり、96年の参加禁止の措置にあったため、95年後半〜96年は僅か3メーカーだけの争いとなりました

そこから生まれたのがWRカー規定です
WRカー規定はWORDにも書いてある通りグループAに含まれ、適用されるにはある条件があります
マニュファクチャラー選手権に参加することです(もしくは来年から参戦する!などと表明すること)

グループAと異なる点は
・ベース車は連続する12ヶ月間に25000台生産実績のあるボディ・シルエット、ボディ素材、ホイールベースを持つファミリーであればよい
(これを生かし、2002年に登場したランサーWRカーはランエボZの生産が間に合わないため、ランサーセディアのシャシーを使用してます)
・2500基以上生産されたエンジンならば積み替え可
・エンジンの25°後傾搭載可
・後付けターボ可
・サスペンション方式の変更可
・空力パーツの追加・変更、フェンダー拡大可
などです
(ただしメーカーはそのWRカーを20台以上製作する必要がある)

これによって、プジョー206のようなファミリーカーでもチャンピオンになれるようになったのです

そして何よりもブリフェン張っててカッコええんです


WRカー規定誕生してからプジョー、シトロエン、シュコダ、セアト、ヒュンダイなど多くのメーカーが参加し、再びラリーに活気が戻ることとなるのです

>>COLUMN index