算数道場テーゼ集

算数道場の問題解説編で毎回算達先生が語る珍言・迷言集です。曲解を恐れて解説をつけたので,極めて安全かつ役にたつと思います。なお,これらのテーゼが実際に使用された文脈とこの解説は必ずしも一致しないことをお断りしておきます。それでは,過去へ少しずつ逆上ることにします。ウーム,解説不能の言辞が,...


第59回(2000/September/11〜21)

大洋も一滴の集まり

解説:


第58回(2000/September/1〜10)

愚者はすぐに教えたがり,賢者はいつも学びたがる。

解説:教育実習を3回も経験した人は少ないと思う。実は,僕はその一人なのだ。小・中・高を経験したくってその必要もないのに無理に実習をした。某都立高校で授業実習をした。僕もみなと同じように一人前に愚者の一人だったから,授業でアルベール・カミュはすばらしい,さらに思い切ってヘルマン・ヘッセも素敵だとやったもんだ。(その頃,ガングロはもちろんコギャルはいなかった)。僕にとって,後者は冒険だったが数人の女生徒がやっぱりそうよねとあいづちを打ったのを見たときは正直言って胸が高鳴った。そのとき,僕は歓喜に打ち震えた声で,「こうして僕が教壇の上でオブジェとなっていることが既に不条理なんだ。」なんてやったもんだ。かくして僕にはたくさんの落ち度があったので生徒からの人気は絶大なものだった。落ち度のない教師なんてクソッタレだ。
 哲学研究室では夜毎に酒盛りがされていた。僕は哲学科の学生ではなかったけれど酒の臭いに誘われてゼミとその後の酒宴には毎週参加していた。もちろんパーリー語のゼミなんかチンプンカンプンだ。「釈迦でさえ弟子の龍樹に劣る,いわんやキリストや孔子をや」なんて調子だ。ある朝,かの哲学科の先生は,授業へ急ぐ僕を呼び止めて,「授業に出る前にガソリンを補給しなさい」といって湯飲みに一杯酒を飲ませてくれた。それから,先生はお手製のパーリー語のテキストを僕にそっと手渡した。とうとう僕は観念した。パーリー語学ぼう。
 


第57回(2000/August/21〜31)

目盛りが先か,棒が先か。もちろん棒が先だ。

解説:はじめ,神は人に長さを示された。そして,人はそれを1本の棒に刻みつけた。こうして原初の定規がはじまったと思っていたのは,戦後メートル法によって育てられた民族の錯覚か。1メートルの棒を10等分し,これを10センチとし,10センチをさらに10等分してこれを1センチとする。なんとややこしい作業であることか。これは万人に可能な作業ではない。そうではなく,おそらく,はじめ神は人に1本の棒を与えたのだろう。その棒には目盛りはなかった。そしてこの棒1本分の長さを仮に1ボーンとすれば,身の丈5ボーンの男などと測ることができた。それでは,1ボーンよりも短きものはどうやって測ることができるだろうか。人に可能な測り方はこうだ。棒を長さの等しい革紐などにうつし,この紐を半分に折って2分の1ボーン,さらに半分にして4分の1ボーン,さらに半分にして8分の1ボーンなどとすれば,ながさ4分の1と8分の3ボーンのヤジリなどと計測することが可能だ。
 私がこのことを如実に知ったのはごく最近のことでしかない。アメリカ合衆国から届けられた工作キットの箱を開けたときのことだった。図面のいたるところに,8分の1インチとか16分の1インチなどと記され,はたまた,1インチと32分の3インチに切れなどとあるではないか。なんと大雑把な寸法感覚よと思ったのはメートル法に毒されているせいか。これでスペースシャトルが飛んでいるし,わが国にも充満しているプリンターなどという代物は64分の1インチの正確さで文字を打ち出している。ともあれ,わが国の定規では計測不可能であると考えて,工作用のインチ尺をも取り寄せてみると,確かに大目盛りと大目盛りの間の小目盛りはその区間を10等分していなかった。定規には32分の1インチなどの円形の穴や,32分の3インチなどの各種の幅に切り刻まれた溝までついている。この高価な定規には,当然のごとく,両端には目盛りがついていなかった。


第56回(2000/August/1〜20)

なんだって鶴と亀に見えなくちゃぁ。

解説:鶴亀算は,日本がうんだ世界に誇れる極めて有効性の高い計算方法である。その応用性も広く,2量を扱う計算ならほとんどどんな問題でも解決することができる。これがどうして,学校の教科書に,「第3章つるかめ算」というように,独立させてとりあげられないんだろうか。それは,つるかめ算が,個数の問題,速さの問題,食塩水の問題,はたま面積の問題などありとあらゆる問題を解決することができるため一章にまとめきれないからであろうか。しかし,つるかめ算をもっと活用してほしいものだ。
 江戸時代,代々の将軍様は毎年鶴狩りにでかけ,射殺した鶴を天皇に奉納したという。どんな料理で食したのであろうか。といって,鶴は霊鳥とされていたから,決して乱獲されたわけではない。
 中国地方に出かけて,ツルを食したいと言えば,それは無理だと断られ,その替わりツルの子どもをどうぞと出されるかもしれない。ツルとは,代々1本の蔓のように伸ばして受け継げられてきた和牛のことなのである。
 江戸の町中にも,鶴が飛来してきて,鶴が営巣したという。これを鶴の巣ごもりと呼んだが,鶴は決して高いところに巣を構えない。大きくて白っぽい鳥は何だって鶴に見えたらしい。
 鶴は千年生きるという。昔々,平安時代の末期頃,源義朝が一羽の鶴の脚に金の札をつけて空に放したという。それから600年後の江戸時代に,彦根城の殿様がこれを捕らえたと伝えられている。本当だとすると,鶴は少なくとも600年は生きることの証明になっているのだが,君は信じるかね。

 


第55回(2000/July/21〜31)

なんじ自身の時計を信じなさい。

解説:新宿将棋道場になんじのおじさんという名物男がいた。無論,この男と対戦したことがある。奴は,こちらが一手指すたびに,扇子で扇ぎながら,「なんじはその手できたか」などと大声で叫ぶ。つまり,一局が終了するまでに少なくとも50回は「汝」を聞かされるわけだ。たいていの者は,勝敗に係わらず,身心消耗する。中には,「今,午後4時50分です。」などと,ボケる吾人もいるが,ある日,私は,かの男がナンジと発声した瞬間をとらえて,「あなたはキリシタンなのですか」とたずねたことがある。いわく,「なんじは時計を所持せるかな。」「はい,もっています。」「汝の時計は何時を指しているかな。」「はい,たぶん4時55分ころと思います。」「ウムム,汝は汝自身の時計を信じないのか。汝の時はいずこの時計が刻むのか。神は誰にも正確な時計を与えなかったのだぞ。」無論,この男はキリシタンなどではない。
 さて,8時間の睡眠は,どんな速い時計にも,どんな遅い時計にも平等な安息を保障するだろう。人がその時計を信じる限りは。


第54回(2000/July/11〜20)

下の方にあれば,すなわちそれを底辺という。

解説:どっちが上でどっちが下なのかはっきり言えない非重力系の評論家がこの国に蔓延してしまった。彼らはマスコミで意見を求められると決まって「善悪は別として」の言い訳を挿入する。善と悪はそれほどまでにきわどいものだったのかと聞く者達は思い知らされる。かくして,彼ら評論家がマスコミに登場するたびにこの国では,善行と悪行が融合し見分けがつかなくなる。むしろ善行をたたえ,悪行を非難することは急進主義者のレッテルを貼られ言論界からの追放のリスクを冒さずして行えない暴挙となる。既に暗夜行路。
 その点,算数は気楽なものだ。一枚の平面には上も下もない。上方と下方には平等な確率がある。なぜならそこに人情が介在しないからだ。


第53回(2000/July/1〜10)

グラフが折れているのは,そこで何かが起こっているからだ。

解説:この世の森羅万象は互いに何かと関数関係になっている。時空を超越し,そのもの自身が内包する乱数や規律によって排他的に存在し得るのは神のみだ。ところで,私が小学校2年の夏休みのテーマ宿題は毎朝咲いている朝顔の花の数を数えて折れ線グラフにするものだった。その日の天気なども記録していたので,科学的な資料としての価値は一級品だったろう。なにしろ小学2年生では折れ線グラフは習っていないので金賞をいただいたのは妥当なせんだ。当然,この作品のアイデアを提起したのは母親だった。今でもはっきりと覚えている。夏休み終了間際になって,観察しそこなった朝顔の花の数や,記録しそこなったその日の天候。僕は,母がこしらえた横長の方眼紙に向かって一気に書き込んだ。最も気をつけなければならないことは,グラフが単調に一直線にならないことだ。折れ線グラフで一番大切なことは,適度に折れ曲がっていることなのだ。


第52回(2000/Jun/21〜30)

ゆび折り数えられるうちが華。

解説:数を数えるときに指を使用してもよいということ。いや,むしろ指を使用することを推奨したい。そうしなければ,子どもは何でも計算できるものと思い込んでしまう。『5で割ると3あまり,4で割ると1あまる数のうち小さい方から数えて2番目の数は何』という問題で,計算方法が分からなかったので答えませんでしたという子どもがいる。この子には指の使い方を十分に教えるべきだ。


第51回(2000/Jun/11〜20)

前が駄目なら後ろから攻めよ。

解説:前門の虎,後門の狼。
問題の正面から入ろうとしたけれど,前の入り口には虎が徘徊している。虎に対抗できる満足な武器もないのに,しきりに虎の隙をうかがっている。そのうち虎に見つかって食べられてしまうのがおちだ。そういうときには,裏口は誰が見張っているか調べてみよう。虎は怖いけれど,狼ならなんとかなるさ。


第50回(2000/Jun/1〜10)

時間は1本のひもであり,つなぐことも切ることもできる。

解説:宇宙は一本の紐のようなものである。たぶんかなりよじれてからまった紐なんだろうが,そんな天体をハワイの天文台のホームページで見た。こんなによじれてしまっていては,いったん切って解きほぐしてからつなぐしかないだろう。
 目の前に巨大なバスが悠々と泳いでいるとしよう。そんなときに限ってドジなバックスラッシュ。からんだ糸はさっさと切って棄てて,あわててルアーを付け替えなければせっかくの獲物に逃げられてしまう。
 それぞれの時間はそれぞれ1本の紐であり,決して二股に分岐したりはしない。


第49回(2000/May/21〜31)

視点を漂わせること,1本のアネモネのごとし。

解説:アルメニア人はこの花をこよなく愛するという。アルメニアの高原に可憐に花咲く1本のアネモネをよく鑑賞してみよう。アネモネの赤は真っ赤な血の色だ。アルメニアの人々の悲劇に満ちた苦難の歴史を表現しているのかもしれない。ところがはっとまばたきすると,かのアネモネの花の色は一瞬のうちに真っ青な青色に変わった。それはアルメニア人の命の水,セウ”ァン湖の色だ。さらにはっとまばたきすると,かのアネモネの花の色は,はたまたアルメニアワインのピンク色に変わった。さて,視点を漂わせること1本のアネモネのごとし。先程から1本の真っ赤なアネモネと思っていたのが固定観念の始まりだった。実はアネモネの花の色は赤だけではなかった。ちょっと視点を変えれば,赤青ピンクの3本のアネモネを一度に鑑賞することができたのに。アネモネは風に吹かれて揺れている。揺れる度に3本のアネモネが次々と顔を出していたのだ。
 アルメニアはユーラシア大陸の臍に位置する。アルメニアは人類文明の発祥の地なのだ。


第48回(2000/May/11〜20)

ひとつの図形は三文のとくにもならない。

解説:ピタゴラスとその人々は豆を決して食べなかったという。聖なる豆は原子の象徴であり,原子は万物の始原なのであるから,豆は聖なる点であり,決して食すべきものではないのだ。かくして,ピタゴラスは三平方の定理を証明し,愚かなる人々に無理なる数の存在を提示した。そのため,不可解を恐れた人々によってピタゴラスはカルト教団の邪悪な教祖として糾弾され焼き殺された。ひとつの図形は三文のとくにもならないどころか命を縮めることとなった。死後のピタゴラスはニワトリに生まれ変わり,豆をついばみながらコケコッコーと鳴いたという。


第47回(2000/May/1〜10)

長い方が速く,短い方が遅いのだ。

解説:
旅人:長い方が遅く短い方が速いにきまっているのに,このパラドックスはなんだろう。
A君:脚が長い方が速く,短い方が遅いに決まっているじゃん。
旅人:しかし,アキレスは亀に永遠に追いつくことはできなかったじゃないか。
A君:アキレスは亀の直後まで迫ったときに,ひとっ飛びに亀の前方に飛びだせば良かったんじゃん。
旅人:愚か者め。アキレスは,トロイ戦争でアキレス腱を切られてしまったのでジャンプできなかったのだ。
  さて,速さも一本のよじれた紐に過ぎない。よじれた紐は伸ばしてみるまでは長さは分からない。


第46回(2000/April/21〜30)

あいだを数える植木算。

解説:古代エチオピア王の姫アイーダは,草原をへいげいして孤高にそびえ立つ1本のバオバブの木(このー木なんの木気になる木の木)のたもとに独りたたずむ。アイーダは,パセティックで枯れた声で,「バオバブの木が1本!」と叫んだそうな。
 木星探査機ガリレオは,かんなん至極の長旅の途中,1個の小惑星アイダの近くを通りかかった。このとき,ガリレオに搭載したカメラは1枚のセンセーショナルな写真をとらえた。即座にガリレオは地球に情報を送信した。「アイダニイッコノエイセイヲハッケセリ。エイセイニキハミアタラズ。」
 木を見て森を見ず。木を見て木と木のスペースを見ず。100÷20=5と割り算してみても得られる商は木の数にあらず。スペースの数でしかない。これほど虚しい割り算はないと心得るべきである。


第45回(2000/April/11〜20)

算数は知性の灯火。

解説:


第44回(2000/April/1〜10)

算数は,世界をつなぐ友達の輪。

解説:


第43回(2000/March/21〜31)

算数は自由な発想力を育てる。

解説:


第42回(2000/March/11〜20)

算数に奇問なし。

解説:


第41回(2000/March/1〜10)

立体図形の最短距離の問題は展開図で考えよ。

解説:


第40回(2000/February/21〜29)

線分図の線の長さは伸縮自在でなくちゃぁ。

解説:


第39回(2000/February/11〜20)

算数に王道なし。

解説:


第38回(2000/February/1〜10)

図中にはまればどうどうめぐり。

解説:


第37回(2000/January/21〜31)

数を見れば数におぼれる。

解説:


第36回(2000/January/11〜20)

速度は長さにするとよく見える。

解説:


第35回(2000/January/1〜10)

空を飛べないブタはブタではないという逆転の発想が道を開く。

解説:


第34回(1999/December/21〜31)

君子は走りながらでも中心を見失わない。

解説:


第33回(1999/December/11〜21)

グラフの折れ曲がるところにヒントあり。

解説:


第32回(1999/December/1〜11)

覆水は盆に返らないことはない。

解説:


第31回(1999/November/21〜30)

子供はカオスの中できらめきを見る。

解説:


第30回(1999/November/11〜20)

受験テクニックって楽に解けるってことよ。

解説:


第29回(1999/November/1〜10)

一度方程式を立ててしまえば,算数には帰り難い。

解説:


第28回(1999/October/21〜31)

算数的な発見法は”きめつけ”なんかじゃない。

解説:


第27回(1999/October/11〜20)

不明の量も差を取れば消える。
もう一つ,2つの量は大きさをそろえて考える。

解説:


第26回(1999/October/1〜10)

図は素直な心で見る

解説:


第25回(1999/September/21〜30)

2量の積は面積図で示せ

解説:


第24回(1999/September/11〜20)

解説:問題もないが解説図だけはある。夏休み疲れか,保存していない。


第23回(1999/September/1〜10)

解説:問題だけが残っている。保存するのを忘れたのだ。誰か持っている方がいらしたら連絡ください。


第22回(1999/August/21〜31)

和や差を取れる形にもっていくのが工夫の第1歩。

解説:


第21回(1999/August/11〜20)

曲がった図形も四角い図形に置き換え可能。

解説:


第20回(1999/August/1〜10)

無理な計算が通れば道理引っ込む。

解説:


第19回(1999/July/21〜31)

rの値が無理数になっても,r×rが使える。

解説:


第18回(1999/July/11〜20)

長さと個数では,たてと横の和の勘定が違う。

解説:


第17回(1999/July/1〜10)

部分の量を求めるときは,全体の量×割合で

解説:


第16回(1999/June/21〜30)

割り勘は,費用の全額÷人数=一人分の負担額で清算せよ。

解説:


第15回(1999/June/11〜20)

小銭を付加すれば大銭が返ってくる。

解説:


第14回(1999/June/1〜10)

算数の解答手順は短ければ短いほど美しい。

解説:


第13回(1999/May/21〜31)

算数は右脳で解け。

解説:


第12回(1999/May/11〜20)

連続するある数に1対1に対応している数も必ずしも連続しているとはかぎらない。

解説:


第11回(1999/May/1〜10)

通勤快速の時間と距離の系列は速度によって異なる。

解説:


第10回(1999/April/21〜30)

時計の針の問題は速さの問題として解く。

解説:


第9回(1999/April/11〜20)

テーゼはなかった。書くのを忘れているのだ。

解説:


第8回(1999/April/1〜10)

最後の1本が肝心

解説:


第7回(1999/March/21〜31)

始めと終わりのある量をある幅で割った商は,
単にその幅が存在しうる個数を示すだけである。

解説:


第6回(1999/March/11〜20)

少年老い易すく...

解説:


第5回(1999/March/1〜10)

折り返しの問題は線対称の問題である。

解説:


第4回(1999/February/21〜28)

なし

解説:


第3回(1999/February/11〜20)

ない
解説:


第2回(1999/February/1〜10)

ない
解説:


第1回(1999/January/21〜31)

正面から見て分からない問題は逆さにして見ろ。

解説:このころは,メールの受け取り方も知らなかった。待てど暮らせど来ぬメール。受信箱はいつ見ても空っぽなのだ。最初のメールを受け取ったのは,発信してから一週間後のこと。郵便よりも随分遅いなぁというのが感想でした。


注)回時は問題発表の日付で,テーゼ発表の日付ではない。

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