開成館





開成館明治7年に区役所として建築され、安積開拓の核となる。「福島県開拓掛」の事務所が
置かれた建物で、後に郡役所・県立農学校・桑野村役場などの公用にも使用された。
当時の人々はこの擬洋風建築に驚き、感心した。



  
安積開拓入植者住宅(旧小山家)は明治15年松山から牛庭原に移住した
愛媛松山開墾15戸の1戸で、当時の住宅の形を今に残すものです。

  
開成社、久留米・鳥取・高知・二本松・棚倉などの各開墾社総代に対して供奉の参議大木喬任を
通じて開墾の労を賞する言葉があった。この日行在所には郡山の宗形弥兵衛宅が当てられている

  
行在所の建礼は政府から県を通じて規格が指定され、地元で用意したが、
年によって大きさが若干異なっている。

  
安積開拓官舎―旧立岩一郎邸は開成館と同じ時期に建てられた職員官舎3棟のうちの1棟です。


開成館の二階廊下明治9年の明治天皇東北行幸
に際し行在所として、
14年には昼食会場として
使用され、昭和
8年に国の史跡に指定された。
戦後、指定が解かれ、市営住宅に使用される
などで荒廃した時期もあり、
35年に重要文化財
に指定され、
41年に補修・復元され、安積開拓
にまつわる資料などの展示施設となりました



  


  
                
明治天皇の開成館行幸明治14105日、北海道・東北巡幸の帰路、
再び福島県桑野村の開成館に行幸、昼食をとった。明治
9年の時には開拓の途上
であったが、この時は多くの移住者が住む村落を形成していた。

 
著 児玉源之丞

明治
14104日、
帰路に原路を行く。
清水町松川の二駅で
休息する。
二本松駅の以前立ち
寄った所で昼食にする。
主人が出迎えてねぎらい、
まず、天皇のお体の
安泰を祝った。
さらにこうも言った。
風の烈しい、
炎天下の山海を長く
旅されました。
肌が焼け、やつれるのは
当然でしょう。
別人の様になられました。
 
三里ほど行き、午後二時に本宮駅に宿をとる。駅の南口から右折すると、若松に到達する。
大体十四里ほどである。・・・・・天皇は明け方を待つと出立された。

105日、霧が立ち込めて暗い。これは晴れる兆しである一里ほどで高倉駅につき休息する。
二里半で郡山駅に到達した。・・・桑野村へ向かう

「開拓者の心」の碑

宮本百合子文学碑

どうぞ憎まないでおくれ 私はきっと今に何か捕まえる 
どんなに小さいものでもお互いに喜ぶことの 
出きるものを見つける どうぞそれまえで待ってておくれ 
達者で働いておくれ!私の悲しい親友よ! 
私は泣きながらでも勉強する。一勝懸命に励む 
そして今死のうというときにでもよいから、
ほんとうに打ちとけた、心置きない私とお前達がほほえみあうことが
出来たらどんなに嬉しかろう!どんなにお天道様はおよろこびなさるか!
私の大好きな私を育ててくださるお天道様はどんなに
「よしよし」といってくださるか! 
宮本百合子 処女作・「貧しき人々の群」より