| 公式サイト | 兼六園ホームページ |
|---|---|
| 住所 | 金沢市兼六町1-4 |
真弓坂口から入園。最初は瓢池。右奥に高さ2.5m程の小滝があるが、池の水は緑に濁っている。池には中島が2つ。中央左側の小さな中島は、大振りの護岸石組の為、池の中に石組が浮かんでいるように見える。ちょっと瀟洒な風景。池の左側には、橋でつながった中島。海石塔が設けられているが、解説がない為、詳細不明。火袋により笠が1、2、3枚に配分されている。その脇に樹高6~7mの薄ピンクの枝垂れ桜。見頃だったが、枝が少なめで、花を付けていない枝もあり、ちょっと寂しい姿だった。
池の右奥には翠滝。1774年(安永3年)の追加。1段目は30~40cm、2段目は3.5~4m程。敷き詰められた石の上に落ち、分かれて池に流れ込んでいる。滝の左脇に山形の石組。何の意匠かは不明。滝の周囲の上部は土が露出しているが、下部は草に覆われ、落ち着いた雰囲気だった。池の左側には茶室、夕顔亭。藁葺き屋根の建物。外観のみ。その手前に竹根石手水鉢。直径、高さ30~40cmの切り株のような形。竹の化石と思われていた為、その名があるが、実際は椰子類の茎と根の化石との事だった。
松涛坂を上ると、日本最古の噴水。19世紀中頃の作、高さ約3.5m。噴水の右脇に進むと、黄門橋。反った石を2枚重ねた橋。解説がない為、由来等は不明。噴水の背後等のエリアは苔生し、曲水両側の野積みの石積みも少し苔生し、侘びた雰囲気だった。

奥に進むと、霞ヶ池。その手前に虹橋、徽軫(ことじ)灯篭。虹橋は反った石橋。琴の形の為、別名、琴橋。徽軫灯篭は琴の糸を支える琴柱の形との事。面白い意匠。霞ヶ池の奥には蓬莱島。球を切り取ったような端正な円形の島。松等が林立している。岸に1つ大きな石が配されている。別名、亀甲島。石は亀の頭らしい。霞ヶ池の右脇は眺望台。手前の斜面に桜があり、遠景しか見えないが、市街地の他、卯立山、医王山が見渡せる。曲水沿いに上流に進むと、雁行橋。11枚の赤戸室石を使用との事。柵の奥の為、外観のみ。雁行橋手前の曲水の中の平らな石、橋の奥の雪見灯篭、少し反った石橋との組み合わせが瀟洒だった。
雁行橋の先、曲水の対岸には七福神山。別名、福寿山。築山の手前に七福神を模った石を配したとの事だが、石は9つ。どれが七福神に相当するのだろうか? 七福神山の向い側には乙葉松。13代藩主斉泰の侍女乙葉が献上したもの。主幹が4本に分かれ、錨形の樹形をしていた為、錨松とも呼ばれていたとの事だが、分かれた主幹の3本は、平成15年に枯死。3本は根元から切られ、現在は1本が残るのみだった。
乙葉松の奥、橋の手前には樹高5m程の兼六園熊谷桜。山桜。扇形の端正な樹形。ピンクの花が丁度見頃。橋の奥には兼六園菊桜(天記)。花弁は三百数十枚、濃い紅から薄紅に変わり、満開時は殆ど白との事。初代は1970年(昭和45年)に枯死。現在は樹高4m程の二代目が2本。花期が4/E~5/Mの為、計十数輪が咲いているのみ。確かに蕾から花になるに連れ、色が変化していた。菊桜の奥は根上松。樹高14~15m。高い盛り土に植えた後、徐々に土を取り除いたもの。根の隙間から反対側が見える。支柱に支えられていたが、鋭角の扇形の端正な樹形だった。根上松の左脇には明治紀念之碑。石積みの高さ6.5mの台座の上に像高5.5mの日本武尊像が安置されている。台座には蛇、ナメクジ、蛙形の石があり、三すくみにより、動くに動けない為、どんな地震が来ても、崩れないと言われているらしい。
梅林の中、舟之御亭(おちん)。舟の上部のみを利用した為、双胴船のような形になっている。梅林が終わっていた為、殺伐としていたが、脇を流れる曲水の水音が長閑だった。最後は時雨亭。2000年の再現。外観のみ。脇の庭園は、斜面の前に楕円形の池を配したレイアウト。池は小振りの護岸石組。斜面には雪見灯篭と石組が配されている。池の周囲は苔生しており、侘びた雰囲気。敷地内に入れない為、それ以上の詳細は不明。亭内からじっくり見てみたい庭園だった。