| 公式サイト | myoryuzi main page |
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| 住所 | 金沢市野町 |
| 注意事項 | 拝観は予約制 |
犀星の道を抜け、W坂(石伐坂)を上り、妙立寺に向かう。W坂は横から見るとW形になっている為、そう呼ばれているのだが、ここに限らず、折り返すタイプの坂は、全て、そういう形になっていると思うのだが…。予約した時間の10分前に、案内が流れ、堂内に入る。
最初は本堂。賽銭箱は床下収納に格子戸を付けたような感じなのだが、賽銭箱を外すと深さ2~3mの落し穴になるとの事。賽銭箱分の面積しかないので、実戦向きとは思えないが…。本尊の両側には、武士用と庶民用の2つの参拝の間があり、鴨居に、それぞれ、十六菊の紋と、それをひし形に崩した紋が入っていた。武士用の参拝の間の上、中2階には、8畳程の隠し拝殿があり、突然の不幸・不吉な事があった際、藩主が寺を訪れ、拝殿前の障子戸を少し開け、そこから参拝したとの事。参拝中の庶民を追い出すのは宗教上好ましくないとの理由から、そのようなスタイルを取ったらしいのだが、当時、そこ迄、庶民に優しかったのだろうか?(通常の参拝は事前連絡があり、庶民は出入禁止) また、武士用の参拝の間の襖は、一部がスノコ張りになっており、警護の者が奥の間から様子を窺っていたとの事(武者隠し)。
拝観者が二十数名だった為、2グループに分けて、本尊の裏側の物置に向かう。物置前の床にある2枚の蓋を開けると外に脱出できる隠し階段が現れる。片方の蓋の上を物置の引き戸が走っている為、戸を閉めると蓋が開けられない。これは外部からの進入を防ぐ為との事。奥に進み、井戸の前に出る。深さが通常の2倍程(約25m)あり、その途中に金沢城に続くと言われている横穴があるとの事。但し、その為には犀川の下を通る事になるのだが、当時の技術では、それは困難な為、どうも伝説らしい。尚、井筒は戸室石(戸室山の石)を刳り貫いたもの。戸室石は金沢城の石垣にも使われ、一部の許された者しか使えなかったとの事。更に奥に進み、中2階(?)に向かう階段の裏側に出る。蹴り上げの部分が障子張りになっており、外敵を発見、攻撃し易い構造になっているが、下にある下男部屋の明り取りも兼ねているとの事。
本堂の階段から中2階に上る。階段脇の梁にアーチ状に曲がった木が使われており(重みを分散)、優美な感じ。尚、階段手前の床の蓋を開けると、下男の部屋に続く階段が現れる。落し穴にもなり、その場合、下男が槍等で止めを刺す手筈だったらしい。奥に進むと、先程の蹴り上げに障子が張られた階段の上に出る。その前に二枚戸(引き戸)があり、左側は外、右は2階への入口になっている。片方を開けると、片方を塞いでしまう構造の為、入口を隠したり、中に隠れたりできるとの事。二枚戸を後にし、太鼓橋(渡り廊下)を渡り、武者溜りに入る。太鼓橋は下にある井戸を川に見立てたもので、その穏やかな曲線が印象的。武者溜りの押し入れには隠し戸があったが、そこから茶室(3階)や望楼(物見台)に抜けられるとの事。それ以外にも、正面玄関、謁見の間等、計5つの出入り口があった筈なのだが、詳しい位置を思い出せない。それ以前に、現在位置すら把握できない状態になっていた。
隠し階段ではない普通の階段を使い、3階の茶室に入る。槍や刀を振り回せないように天上が低くなっているとの事だが、個人的には、2階建ての建物に4階7層をはめ込んだしわ寄せのように思える。天井を弓形にして、高く見せようとしているのも苦肉の策なのだろう。壁には富士山形の刳り貫きがあり、山裾が群青、山頂が白に彩色され、その上に違い棚が設けられていた。尚、下にある井戸の水面迄、約36mもある為、滑車+歯車2枚を使って水を汲み上げていたとの事。階段を下り、最後に謁見の間、大名(だいめい)茶室に入る。途中、4畳の間があったが、中から戸が開けられない事、寺の中心にある事、また、畳の数が4=死である事から、最期に火を放ち、自害する為の部屋ではないかと言われているとの事。謁見の間には、250年前の内掛けや大聖寺藩から送られた蓮の香炉等が展示されていた。
拝観は約40分で、質疑応答の為の時間はない(都度聞くしかない)。尚、妙立寺は幕府と本土決戦になった際の本営との事だが、わざわざ、内部に攻め込んでくれるとは思えない。包囲され、火を放たれるだけだと思う。学術的な事は知らないが、個人的には、訳ありの男女の逢瀬の場といった話の方がしっくり来る感じだった。