| 住所 | 速見郡日出町1921 |
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日出藩主木下家の菩提寺。本堂の前には大蘇鉄(天記)。樹齢600年以上。1本の主幹から十数本の支幹が伸びている。高さ6.1m、南北幅9.7m、東西8.5mとの事だが、実際、それ位のサイズ。1851年(嘉永4年)、1915年(大正4年)に火災に遭っている。治療の跡なのか、支幹に灰色の樹脂のようなもので固めている部分があった。
次は秘宝殿。十六羅漢図、鷹図、地蔵三尊像、虚空蔵菩薩像等の絵画、梅桃実狙猴彫刻、天竺菩提樹数珠等の工芸品、仏像等が展示されていた。十六羅漢図は狩野常信筆。奇数幅を展示。横シワ、剥落が散見される。衣の太い線が印象的。鷹図は雪舟筆。松の幹に止まり、鋭い眼光で獲物を狙っている図。首がU字形に大きく曲がっている為か、頭部はヘビのようにも見える。地蔵三尊像は伝兆殿司筆。釈迦三尊像の釈迦如来像がいつの頃からか地蔵菩薩像に入れ変わったもの。誰か気付かなかったのだろうか? 普賢、文殊と地蔵の作風は似ている。虚空蔵菩薩像は鎌倉時代の作。法衣の金泥の細い線が緻密で非常に鮮やか。鎌倉時代のものとは思えない程。 梅桃実狙猴彫刻、天竺菩提樹数珠は、梅桃(ゆすらうめ)の実に千匹の猿、数珠の100珠それぞれに5体の菩薩を彫ったもの。中国製。梅桃実狙猴彫刻は本当に千匹いるか否かは不明だが、網状に猿が群れており、非常に緻密だった。その他、面白かったのは虎の頭骨。朝鮮出兵時に捕えた虎の骨。秀吉より拝領。牙歯は十数本。意外と少ない。肉を噛み切り、飲み込むだけの為、少ないとの事だった。

万竜の庭
秘宝殿を抜けると、雪舟作の万竜の庭。土の斜面の手前にT字形の池を配したレイアウト。池岸は草に覆われているが、その切れ間から見る限り、護岸石組に縁取られているものと思われる。Tの下の棒の右岸から四角い石が突き出て、そこから左岸に少し反った切石の石橋が架かっている。切石は長短の2枚。左岸の池中の小石を橋脚にし、そこから短い石が左岸に渡されている。四角い石の両側、左岸の手前に高欄の柱のように石が配されている。瀟洒な姿。橋の右側には三角形の立石。少し離れてみると亀の頭のようにも見える。池の左側には織部灯籠と黒い三角形の石。正面対岸には大木が聳え、その足元に小さな灯籠が配されている。橋の周辺にはスイレンが茂り、濃いピンクの花が2輪咲いていた。
斜面左側には中腹に向かい、石が数個伸びている。その右脇には石から石に渡された石橋。池の橋同様、長短2枚の切石の少し反った橋。大木の背後、少し苔生した石に縁取られた土盛り。中央左側に葉のない棒状の蘇鉄。右端には大降りの石が配され、亀のようにも見えるが、解説がない為、何の意匠なのかは不明。土盛りの背後には四角い大きな石が配され、手前には板状の石が数枚敷かれ、その前に要岩石のような小降りの立石が数個配されている。斜面の中腹には小さな石仏が2体。庭園の左側には位牌堂。死後も庭を楽しめるように庭が見える位置に建てられたとの事。位牌堂から斜面を真横に見ると、石は概ね6段に並んでおり、その上段に石仏が見える。何らかの意図があったのかも知れない。斜面の奥は木立。何処か軽やか。やや土が目立つが、全体的に柔らかな雰囲気の落ち着いた庭園だった。
庭園と位牌堂の間の経路を抜けると、木下家墓所。北政所ねねの母、朝日の方の墓等があった。