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内子町八日市護国伝統的建造物群保存地区

住所喜多郡内子町

2005/05/06(Fri) 雨

洋風の伊予銀行内子支店前のY字路を右側に進むと、石積みの土台の土塀に囲まれた高橋邸。玄関右側の部屋には大正期の五月人形等が展示されていた。左側の部屋の箪笥の戸棚の扉には月岡雪鼎の花鳥図。取っ手の脇に引っ掻き傷が見られ、左の扉は縦に2本ひび割れが走っているが、絵図は概ね無事。庭園はちょっと鬱蒼としており、圧迫感がある。散策するというより、座敷から個々の樹木を楽しむような庭園だった。

大村家
大村家

Y字路の左側を進むと、伝建地区。古い町並は町家資料館から町並保存センター迄の500m程の区間。虫籠窓、格子窓、蔀戸等の古い家屋は50軒程。町家資料館は1793年(寛政5年)建造の小さな町家。1階は帳場の様子等が再現され、箱階段の上の2階は物置、座敷になっている。2階を物置に使っている(つし)内子の町家の中では珍しい造りとの事。資料館の前の坂を上ると桝形。その先は僅かに右に曲がったメインストリート。大村家(重文)は2階の虫籠窓の奥の戸が外れかけており、白壁は黄色くくすみ、ちょっと廃屋のような外観。その隣の本芳我家(重文)は保存修理中(2003/11/17~2006/09/30)。工事シートに覆われており、鳥衾、鏝絵の懸魚等は見られなかった。右脇の砂利のスペースの奥は柵に囲まれた庭園。階段状の斜面には刈込み、植込みが密集し、その奥に玉石を積み重ねたようなヒバが林立し、扇形の木が聳えている。ちょっと幾何学的な造形だった。

中芳我家は鶴亀庭園を公開中。壁に貼られていた系図に拠れば、現在、本芳我家から沖、東、下、南、上、秀、東京、油、文、中、西芳我家、芳我医院が分家しているらしい。白い土塀に囲まれた庭園の左側には亀島。黒松を背負った築山の手前に亀の頭を示す石が配されている。右側には2個の大きな立石が配され、その間から切石が2本並走し、その先端に赤茶色の壷が乗っている。それぞれ、鶴の羽、首、頭を表しているものと思われる。縁側の手前には、小石を固めた縁石と石に囲まれた池があり、錦鯉が泳いでいる。土塀の手前にはヒバ等の樹木が散在。ネコ形の鉄板の置物が置かれている等、一般家庭の庭だったが、清楚な雰囲気の庭だった。

中芳我家の奥は上芳我邸(重文)。1、2階の細かい格子窓が印象的。向いの内子中学の体育館も白壁の建物になっていた。受付の右奥は釜場。蝋作りの工程の解説、道具、ハゼの実、蝋花が展示されていた。どういう関連なのか、土蔵、蝋絞り小屋の前には川島猛の作品が展示されていた。蝋搾り小屋は、ハゼの実を粉にするこなし場、それを蒸す釜場、蒸した粉を搾る搾り場から構成されている。それらの作業は山間部で行われ、その後の白く精練する作業は平野部で行われたとの事。蝋搾り小屋左奥の精蝋用具展示棟では蝋作りの工程のビデオ、作業の様子を示す1/12の模型、蝋皿(出荷時の整形の型)、水打ち桶等の漂白の道具等が展示されていた。最後は主屋は特に展示物なし。小さな中庭には植込みが密集。ツツジ、シラン、芍薬、白いアヤメが咲いていた。箱階段の上の2階は他の伝建地区の写真が展示されている程度。3階にも上がれたが、唯の空き部屋だった。

町並の最奥、町並保存センターの1階は大工道具等、2階には町並保存条例の内容、保存対策事業の流れ、内子町の8軒の改修事例の解説が展示されていた。改修事例には改修前後の写真、費用、所有者のコメント等が記載されており、中には「湿気が多くなった」等の否定的なコメントもあり、非常に興味深い。それらの中には改修前は黄漆喰でなかったものもあり(もっと昔は黄漆喰だった?)、実際、古い家屋の中には、壁が比較的新しかったものも散見された。

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