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臥龍山荘

住所大洲市大洲411-2

2005/05/06(Fri) 曇り

黒門の奥、右側に臥龍山荘の石垣が見える。鉢のような丸い石がはめ込まれているが、解説がない為、詳細は不明。臥龍山荘内には解説のテープ、CDが五箇所設置されている。

最初は茅葺きの臥龍院。玄関の右奥は霞月の間。大徳寺王林院の茶席、霞月の席を模したもの。利休鼠の襖の引手はコウモリ形。中川浄益の作で、「浄益」の小さな刻印が入っている。霞棚のある床も利休鼠。右側の丸窓からは隣の仏間のロウソクの灯りが入り、丸窓は月、利休鼠の床、襖は薄暮を示しており、天井も以前は利休鼠の和紙だったとの事(現在は雁皮)。霞棚の奥に富士山の掛軸が掛かっており、霞がかった富士を示しているものと思われるが、個人的には、ちょっと演出が過ぎるように思われる。襖の左側の欄間の一部が塗り残されており、芯の竹組みが見える。荒れた農家の侘び、寂びを示したとの事だが、塗り残しが端正な為、侘び、寂びとは別の純粋なデザインのように見えた。霞棚の左側の縁側は0.8×3.5m程の仙台松の一枚板。溝が彫ってある為、一枚板には見えない。茶室の為、派手にならないようにわざと彫ったとの事。

隣の清吹の間は夏向けの部屋。天井を高くし、風が通るようになっており、床には籐が敷かれている。天井は二重になっており、鼠対策として、柴栗のイガが敷かれているとの事。神棚の下の落とし掛けには捩れ、緩やかに反ったイチイが用いられており、ちょっと面白い曲線。障子の奥の桜の花筏(春)の透かし彫りが障子に映り、落ち着いた雰囲気。障子を開けると、右奥に大洲城が見える。付け書院左側の欄間にも水玉(夏)、菊水(秋)、セツワソウ(冬)といった水に因んだ透かし彫りがあり、涼を表していた。

壱是の間は書院座敷。桂離宮の様式が取り入れられているとの事。床板は化石化した3000年前の屋久杉。畳は1枚/日しか作れなかった非常に目の細かいもので、作成後100年以上経過した為、1996年(平成8年)に畳表を裏返したとの事。畳を外すと能舞台になり、音響効果の為、床下の四隅に備前焼の壷が3個置かれているらしい。縁側の栂材には高麗釘が打たれているが、実際は鎹留めで、高麗釘は飾りとの事だった。

臥龍院を出て、庭園に向う。途中の茶室、知止庵は元浴室。外観のみ。庭園は神戸の庭師、植徳の作。富士山、肱川が借景との事だが、鬱蒼とした木立に遮られ、借景の効果は低いように思われる。丸い富士山は頂上部分のみ、ツツジのピンクに染まっており、ちょっと変わった風景。庭園の木立は吉野の桜、龍田山の楓等。苔の中、飛び石の経路が通っているが、大阪の淀屋辰五郎の庭から運んだ手毬石、灘の酒米を撞く水車で使われていた臼石等、色んな石が使われているらしい。苔も珍しいものがあり、特に、牡丹苔は生育に100年かかる品種。湿度が高い為、この地では60~70年で生育するとの事。詳しい解説なかった為、どれが手毬石で、どれが牡丹苔なのかは解らなかった。

終点の不老庵は高さ7mの崖から半分食み出た懸け造り。肱川に反射した月の明りが集める為、天井は竹を編んだ船形の天井になっている(穹窿状竹網代張り一枚天井)。不老庵の外側、生きた槙の木が、そのまま柱として使われている。捨て柱と呼ばれる技巧。捨て柱側の縁側は途中で切れており、立入禁止。外に出て、回り込んだ方が良く見える。寸胴切りされているせいか、創建当初から伸びも、太りもしていないとの事だった。

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