古都訪問記 > 岩手 > 中尊寺

中尊寺

公式サイト連絡が必要な為、未掲載
住所西磐井郡平泉町

2003/08/14(Thu) 曇り

毛越寺を出て、R4を北上、中尊寺の入口に辿り着く。入口の奥には2.2m程の石碑、弁慶の墓があった。杉木立の参道に入り、月見坂を上る。本堂迄560m、金色堂迄800mとの事。

本堂の手前、月見坂の脇に入り、弁慶堂に向う。途中、義経、静御前、弁慶の顔出しボード(人物等が描かれ、顔の部分だけ穴が開けられた記念撮影用の板)があった。この手のものは、未だに健在らしい。弁慶堂の2m程奥には、像高2m程の弁慶像が安置されていた。両手で薙刀を掴み、杖のように立て、7つ道具を背負ったスタイル。埃を被り、彩色が少し剥落しているが、状態は良い部類。それ以外では、像高1.2m程の義経坐像、仏像十数対、義経主従が背負った笈等が展示されていたが、義経坐像は新しく、近年修復されたものと思われる。仏像の中には弁慶作と書かれた山伏のような木像があった。

本堂の10m程奥には像高30~40cmの阿弥陀如来が安置されていた。やや浅めの1/4円の眉。静かに閉じた目。真顔のまま、静かに目を閉じたような表情。その両脇に法灯。延暦寺から分灯されたもので、最澄が灯して以来、消えた事のない不滅の法灯との事。

本堂を出て、薬師堂、大日堂を過ぎ、2000年建築の讃衡蔵(宝物館)の前に出る。讃衡蔵・金色堂の共通拝観券を購入、讃衡蔵に入ると、最初、像高265cmの薬師如来坐像(重文)、阿弥陀如来坐像(重文)、266cmの薬師如来坐像(重文)等の大物が展示されていた。何れも4m程奥に展示されており、非常に見易い。薬師如来坐像は平安末期の作。解説に補修未完のまま、今日に至ったとの事。その為か、髪は螺髪がなく、白いが、その他の部分は全て黒い。衣の裾には彩色の跡が僅かに見られる。色落ちが斑になっていない為、表情は読み取り易い。logのグラフのような眉。少し下向きの円弧の目。伏目で薄目のような感じだった。阿弥陀如来坐像、薬師如来坐像も平安末期の作。概ね、薬師如来同様の表情だった。

この3体以外の仏像は、像高174cmの千手観音菩薩(重文)等3体。千手観音菩薩は桧一材で頭体部を彫り出し、腰から下裾迄を抉って蓋板を付けた異例の構造との事だが、外観上は解らなかった。眉は少しくの字形で、口は少し開いている。何か、薄目で小言を言っているような表情。全ての手、持物は後補との事。仏像以外では、香炉等の仏具(十数点)、金色堂にあった金箔押木棺と数珠の欠片等の副葬品、中尊寺に伝わる古実式三番(さんば)の資料が展示され、古実式三番の解説ビデオも上映されていた。尚、紺紙金銀字交書一切経(中尊寺経)の本物(国宝)は展示されておらず、レプリカが展示されていた。

讃衡蔵を出て、金色堂(国宝)の覆堂に入る。金色堂は幅3m程のアクリル板の5m程奥に安置されている。映り込みはあるが、あまり気にならない。タイミングを見て、約3分の解説が流れる。金色堂の屋根は木の瓦で、天辺のみ金箔が張られている。内側の壁は、長押から上、扉の周りの木のみ、金箔が張られている。何れの金箔もくすみが少なく、鮮やか。縁側の床の金箔からは、床材の木目が読み取れる。巻柱、須弥壇等に施された夜光貝の螺鈿は極楽の草花を表したものとの事。こちらも非常に鮮やか。須弥壇には、阿弥陀三尊、六地蔵、持国天、増長天が安置されている。像高は30~50cm。下半身に剥落が目立つものもあったが、概ね金箔は良く残っており、状態は良かった。

尚、外に出てから気付いたのだが、覆堂は金色堂と相似形になっていた。解説に拠れば、現在の覆堂は1963年の建築。現在の覆堂の奥に旧覆堂(重文)があった。新覆堂建築の際、移築されたもので、芭蕉が訪れたのは、旧覆堂との事だった。

古都訪問記 > 岩手 > 中尊寺