| 住所 | 酒田市日吉町2-7-12 |
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石段を上った先、本堂の左前には粟嶋観音堂。文政年間、8代目住職の鉄門海上人が、新潟粟嶋の難産に苦しむ女性の平癒を祈願した際、お礼に送られたもの。女性のお守り。ナツナの葉に豆腐を乗せ供養する風習があるらしい。何故、豆腐なのだろう? 5m程奥に像高25~30cmの観音像が安置されていたが、頭の上の髻が解る程度。その他、不動明王等が安置されていた。本堂の本尊は大日如来だが、丑年のみの開帳。10m程奥に像高二十数cmの座像が安置されていたが、暗くて、それ以上の詳細は不明。向拝の尾垂木の上には像高50cm程の力士像。ちょっとカラス天狗のような顔だった。
本堂の右前は鉄筋の即身仏堂。入口奥のスペースには忠海上人使用の仏具等三十数点が展示されていた。その左奥の部屋には忠海上人、円明海上人の即身仏。それぞれ厨子の中に安置されていたが、正面がガラスになっており、近くから拝観できる為、非常に見易かった。忠海上人は像高70cm、円明海上人は60cm程。最初、係の方(=受付の方)が説明を行う。忠海上人は8年、円明海上人は5年の修行の後、湯殿山仙人沢に篭り、木食修行を行い、即身仏となったとの事。最後に土中の石室に入り、鐘(ハンドベル)を鳴らしながら読経するのだが、空気穴の竹筒から、その鐘の音が聞こえなくなると、亡くなった証し。その後、一旦、掘り起こし、体が崩れている場合は適宜組み直して、埋め戻し、3年3ヶ月後に掘り起こすとの事。組み直しの結果なのか、何れも座禅(あぐら?)を組んだ座像だったが、それなりに背筋は伸びていた。湯殿山中には体内のバクテリアを減らし、腐敗し難くさせる温泉(≠湯殿山温泉)があるらしいが、それでも腐敗し、即身仏になれなかった者や、忘れられ、掘り起こされなかった者も多かったらしい。忘れられたというのは、かなり可哀想…。
忠海上人はコールタールを塗ったような黒い顔。粘土をヘラで切ったような細い目。鼻は少し欠け、潰れている。口は少し開き、下の疎らな歯が出ている。円明海上人も同様。口はおちょぼ口で、上下の疎らな歯が見える。向って右に傾いている為、苦しそうに見えた。以前、新潟大医学部が補修。塩害対策として、表面に膠が塗られている。即身仏の着物は、丑年に衣替えするとの事。空海が丑年に湯殿山を開山したという伝説に拠るものらしい。2台の厨子の上は折上格天井の絵天井。花鳥図が描かれているが、それ程古いものではないと思われる。即身仏以外では、鉄鉢、木食修行の際、口にした食物等が展示されていた。