| 正式名 | 立石寺 |
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| 住所 | 山形市山寺 |
山寺駅は駅員1~2名の小さな駅。昼間は食事中の為、駅員不在となる。改札を出る手前に普通サイズのコインロッカーがあるが、改札を出ると少し大きなサイズ(\400~500)しかない。これは注意書きを出しておいて欲しかった。尚、駅のトイレの上は展望台になっており、鬱蒼とした山寺境内が一望できる。案内に従い、山寺に向う。途中、岩場の露出した立石川の河原に降りて見た。流石に水は冷たかった。
土産物屋が並ぶ通りを抜け、石段を上ると、根本中堂(重文)の前に出る。山上にはトイレがないとの事だが、如法院(奥之院)近くの土産物屋の脇にトイレがあった。薄暗い内陣の中には2つの千二百年不滅の法灯がある。比叡山から灯を分けて貰ったものだが、信長の焼き打ちの後、再興の際には、逆に、山寺から比叡山に灯を分けたとの事。本尊薬師如来は50年に一度の開帳の為、未公開。その前には日光・月光菩薩、十二神将が安置されていた。日光・月光は像高1.6m程。足以外、金箔は良く残っており、状態は良い方。少し上がった眉と目。目は薄目を開けた感じで、何か高所から見下ろしているような表情。スラリとした体系のせいか、何処となく女性的な顔立ちだった。尚、意図的なのか、損傷なのか、丸い光背が少し左右に傾いていた。十二神将は像高1m程。彩色は所々落ちているが、状態は概ね良い方。顔、肉体のデフォルメはやや抑え気味。大陸的な感じで、奈良時代のもののように思えるが、玉眼が入っていた(後補?)。
中堂左隣りの日枝神社の境内を抜け、秘宝館の前に出る。神社の境内には樹齢1100年のイチョウがあったが、寸胴切りされたような樹形で、樹齢程の大きさはなかった。秘宝館には仏像14点、石碑、経文等が展示されていた。仏像は像高20~60cmの小さなもの。印象に残っているのは、慈覚大師が中国から持ち帰った石の観世音菩薩立像。赤茶の筋が何本も入った少し茶色がかった白い石で、1400年程前のもの。浅い円弧の眉、目尻が少し上がった細い目、大きな鼻。目を開けて瞑想しているような穏かな表情だった。
秘宝館を出て、芭蕉と曾良の銅像(最近の作)の前を通り過ぎ、境内の奥、山門で受付を済ませ、登山道に入る。拝観の栞に拠れば、如法院迄の石段は八百余段との事。参道脇の岩の上等に石仏が多数祭られている。少し上ると、目の前に巨石、弥陀洞が現れる。弥陀洞は凝灰岩を阿弥陀如来の形(高さ4.8m)に穿ったもの。その先は仁王門。仁王像は運慶の弟子達の作。状態は良い部類。体が赤く彩色されている為か、まとまり感はあるが、躍動感には欠ける感じだった。尚、仁王門の右側の崖には横穴があり、古い人骨が収められているらしい。しかし、どうやって収めたのだろう?
仁王門奥の石段を上り、左脇に入り、開山堂、五大堂に向う。開山堂は扉が閉まっており、外観のみ。その左側の崖の上にある赤い納経堂は立ち入り禁止。1987年に解体修理されているとの事。五大堂は事実上展望台。山側の壁の連子窓の奥に、もう1つ連子窓があり、その奥に五大明王が祭られているらしいのだが(五大堂だから)、暗くて良く解らない。堂内の長押の上には、何故か、ビッシリと名刺が差さっている。五大堂からは山間に沿うように伸びる平野が一望できた。
石段の参道に戻り、如法院に向う。途中、左脇にある三重塔(重文)に立ち寄る。拝観の栞では三重塔となっているが、実際は高さ248.5cmの三重小塔。内部を刳り貫いた巨石の中に安置されている。格子のガラス戸越しの拝観だが、内部に灯りがなく、映り込みがあり、良く見えない。彩色の朱が鮮やかだったので、近年、修復したものと思われる。虫の死骸が散見され、保存環境はあまり良くないように思える。如法院には、慈覚大師が中国留学時に持ち歩いていた釈迦如来、多宝如来が安置されている筈なのだが、丸い鏡(法鏡)が安置されているのみ。解説に拠れば、釈迦如来は4年に一度(閏年)、11/28の公開との事。多宝如来の詳細は不明だが、その時開帳されるのかも知れない。如法院の左隣は大仏殿。現代の作と思われる像高5m程の大仏が安置されていた。