39歳

◆これまでになく

39歳になった。20代以降は、誕生日なんて忘れることも少なくなかったが、40歳目前のせいなのだろう。これまでになく感慨深いものがある。

慌ただしい時期である。終業式、卒業式、人事異動・・・。一年で一番のイベントといっていい。別れの季節である。せつなく、胸にくる季節である。このホームページが多分におセンチに流れやすいところがあるとすれば、それは、誕生日がそうだから、というのが大きいと思う。

忙しさ、慌ただしさゆえに、周囲からは僕の誕生日など簡単に忘れ去られるような存在なのだが、今回は、誕生日ついでに、かねがね、ホームページで述べようとした、僕らの世代について書いてみる。

◆丙午

まず、僕は1967年(昭和42年)3月26日生まれで、早生まれとなるのだが、1967年(昭和42年)という生まれ年よりも、1966(昭和41)年度、という年度単位での仲間意識の方が強い。いわゆる同学年、同い年。これは学校生活を共にする日本の制度上、たいていの人がそうだろうと思う。

この1966年(昭和41年)が非常にユニークな年で、「丙午(ひのえうま)」と呼ばれる60年に一度の年次にあたる。この年に生まれた女は気性が激しく、男(夫)を攻撃する(殺す)、災いをもたらす、という迷信から、前後の年に比べて極端に出生数が少ない、人口ピラミッドで突然、くぼんでいる年齢である。

小学1年のことだった──。月ごとに誕生祝いができるよう、誕生月別にクラス全員の名前が教室の後ろに張り出されていた。1〜3月の早生まれの子が非常に多かった。子供心にもはっきり不思議だと思えるくらいに。担任の女の先生が言われたのをはっきりと覚えている。「皆さんの年は、やっぱり、1〜3月生まれが多いのね。フフフ・・・」と。当時、その「フフフ・・・」の微笑の意味が分かろうはずもないのだが、お父さんお母さんも考えた、計算したわけである。迷信といってしまえばそれまでだが、やはり、40年前のことであるから、気にせずにいられなかったのだろう。僕ら早生まれ組は、禁を解かれ、まさに堰を切ったようにこの世に生まれてきた、わけだ。

ひのえうま年度(という言葉があるわけではないが、便宜的にここではそう呼ぶ)は、前後の年度に比べて人数の少ない恩恵を受けてきた。少子化の進む今でこそ高校、大学への全入は珍しくないが、当時の高校受験で志願者定員割れは異例の出来事。在学中ずっと「競争率1.0倍の難関を突破した君らは・・・」と皮肉られたものである。競争による淘汰がなかったせいか、学業や運動(部活)面でもぱっとせず、一つ下の学年の優秀さばかりが目立った。

◆我が世代

世の有名どころで、ひのえうま年度(1966年度、昭和41年度)生まれにどういった人物がいるか。――芸能人では石川秀美、江角マキコ、国生さゆり、斎藤由貴、鈴木保奈美、高井麻己子、堀ちえみ、安田成美・・・。とんねるずの妻2人やおにゃんこのスターもいたり、なのが懐かしき時代を象徴している。男では高嶋政伸、永瀬正敏、東山紀之。音楽界で永井真理子、渡辺美里。スポーツ分野では、益子直美(バレー)、小谷実可子(シンクロ)、鈴木大地(水泳)、三浦知良(サッカー)。マラソンでは有森裕子、川嶋伸二や弘山勉(晴美のダンナさん)など。オリンピックで活躍した選手も多い。それから、変わったところでは秋篠宮紀子様。いずれも非常に個性的な面面である。

これらを見ても、ひのえうまの忌避されるのが迷信に過ぎない、むしろ、魅力的ないい女性ばかりであることがよく分かる。何より、紀子さまが示すとおり、皇室にこれ以上なく自然に受け入れられ、見事におさまっているくらいであるから。

この中で個人的に我らが同い年世代の代表者を上げるなら、カズ&紀子さま、かな(あくまで個人的に・・・)。

カズも早生まれ(昭和42年2月26日生)。僕のちょうど4週間前。そのカッコ良さ、発するオーラ、カリスマ性、魅力・・・しびれるばかりである。矢沢の永ちゃんに同世代のおやじが熱狂するように、僕もアスリートとして絶大に崇拝しているのが同学年のカズである。技術的には、今の代表組の主力である中田、俊輔、小野・・・といった一回りも下の若い選手らに劣るのは否めないのだろう。それでも彼らにはない男らしさが光る。先日、少し、記したが、サッカーを専門とする、ある有名なスポーツライターを僕が支持しないのは、以前の著作で若い選手にだけおもねり、すりよる一方で、カズのことをぼろくそにけなしていたからである(僕もその本は思い切り蹴飛ばして捨て去ったが)。スターゆえに、批判の矢面に立つことも多い、周囲の雑音も大きいけれど、Jリーグ草創期から今なお現役でプレーするフィジカルの強さ、我がスタイルを貫くカズを僕は支持する。同じように、レッズの福田も好きだった。プロ野球では、同じく昨シーズンで引退したカープの野村謙二郎もそう。彼らの泥臭いけれど、無骨で真っ直ぐなスタイルに共感を覚える。

それだけに引退が惜しくてたまらない。福田や野村はかなり頑張った、現役を全うした方だが、それでも、アスリートはいつか引退の時がくる。カズもいつまで頑張ってくれるだろう。先に挙げたスポーツ選手らが今では指導者、解説者として活躍しているのを見ても、最大のアスリートが最後まで一線に踏みとどまっている姿が一層、輝いている。

◆県庁陸上部も

ローカルな話題になるが、県庁陸上部もこの学年は豊作の年である。

木本、田中、西村、宮崎、山家、山田・・・(敬称略。間違ってたらすみません)。入庁年次はまちまちながら、陸上部に残るこれまでの活躍、実績はいずれも輝かしい。周回遅れのスタートとなった僕がこれまで頑張ってこれたのも、こうした同学年部員の良き目標があったからである。

皆、来年度はついに40歳の大台に乗る。走る人間にとって、40歳は大きな区切り。多くの大会が40歳で年代別部門を区切っていて、最激戦区の30歳代を脱すると年代別の順位が高まる(入賞の可能性もうんと高まる)から、たいていのランナーは喜ぶ。僕はやっと39歳になったばかりであと1年先の話だが、その点、同い年でも、田中君など誕生月が早いから、すぐに40歳。彼が今、意欲満々なのが手に取るごとく僕には分かる。羨ましい限りである。

誕生日が遅い分、同い年の仲間より「若い」時間が長くて喜んでいられたのは、せいぜい10代まで。『ランナーズ』も昨年からフルマラソンの1歳刻みランキングを発表するようになった。マラソンシーズンの秋冬前に生まれたかった。今では早く、年をとりたい。

ともあれ、40歳前の最後の一年。30歳を前にした29歳のときも年齢を強く意識した。10年前、29歳の夏、19歳の時に読んだ村上春樹を再読したり、30歳直前に20代最後の記念にフルマラソンに挑戦した、あの頃の心境を今もよく覚えている。あれからもう10年、という時の早さが信じられない。一つの節目を前にすると、思うところが大きいようである。十年一昔、というように、この一年は僕も、我が身を振り返ることも多いだろう(記憶力が老化しないことを願いつつ)。40歳を気持ちよく迎えられるように、30代を締めくくれる一年にしたい。