明治人の俸給



岩倉具視 (1825〜1883)
 江戸時代の岩倉家は、家領150石の下級公家。
 明治元年、議政官・議定、月俸700両。
 明治2年、大納言、現米年900石(月600両相当)。
 明治4〜16年、右大臣、月俸600円。

福沢諭吉 (1835〜1901)
 江戸時代の福沢家は、中津藩の中小姓格で、家禄13石2人扶持の下級武士。
     (諭吉は福沢家の次男)
 文久元年、幕府の命によりヨーロッパに派遣される。手当て400両。
 元治元年、幕府外国方翻訳局に出仕。禄高150俵、正味100俵。
 (明治元年、慶応義塾の生徒の授業料は月2分、教師の給料は4両。)
 明治2年、中津藩より受けていた6人扶持(玄米年9石)を辞退。

板垣退助 (1837〜1919)
 江戸時代の板垣家は、土佐藩300石の上士。
 明治元年、議政官・参与、月俸600両。
 明治2年、会津戦争の功により、永世賞典禄1000石。
 明治3年、高知藩大参事(俸給不明)
 明治4〜8年、参議、月俸500円。
 明治8年、征韓論に敗れて下野。
 明治29年、伊藤内閣の内務大臣、明治31年、大隈内閣の内務大臣、月俸500円。

伊藤博文 (1841〜1909)
 慶応4年、神戸県知事、月報250両(?)
 明治元年、外国官・判事、月俸500両。
 明治2年、大蔵省・少輔、現米年450石(月300両相当)。
 明治4年、工部省・大輔、月俸400円。
 明治6〜18年、参議、月俸500円。
 明治18〜21年、総理大臣、月俸800円。
 明治23〜24年、貴族院議長、年俸5000円(月417円)。

高橋是清 (1854〜1936)
 明治4年、唐津藩の英語教師、月俸100円。(破格の待遇)
 明治6年、文部省十等出仕、月俸40円。
 明治8年、文部省督学局九等出仕、月俸50円
 明治25年、日本銀行建築事務主任、年俸1200円。
 明治26年、日本銀行西部支店長(馬関=現下関)、年俸2000円。
 明治44〜大正2年、日本銀行総裁、年俸6000円。
 大正2年、大蔵大臣、月俸500円。これより何度か大蔵大臣、農商務大臣などを歴任。
 大正10〜11年、総理大臣、月俸1000円。

夏目漱石 (1867〜1916)
 明治19年、江東義塾の教師、月に5円のアルバイト。
 明治26年、東京高等師範学校の嘱託教師、年俸450円(月に37.5円)
 明治28年、松山中学教員、月俸80円。
       (このとき、松山中学の校長は、月俸60円)
 明治29年、熊本第五高等学校教授、月俸100円。
 明治33年、官費でイギリス留学、年間手当1800円(その間家族には年300円支給)。
 明治36年、帝国大学講師(年俸800円)、兼第一高等学校教授(年俸700円)、
       合計すると、年俸1500円(月に125円)。
 明治37年、明治大学の講師(月俸30円)も兼任。
 明治40年、東京朝日新聞社入社、月俸200円+賞与。
       (このとき、東京朝日新聞社の社長は、月俸150円)
       帝大教授の椅子を捨てて新聞社に入社したのです、当時は大評判になりました。

樋口一葉 (1872〜1896)
  明治25年10月、短編「うもれ木」の原稿代として11円75銭(=25銭×47枚分)受け取りました(このとき20歳)。 母君は早速知人から借りていた6円を返済しました。 これで家族3人がなんとか1ケ月暮らせたそうですが、決して豊かな暮らしではありません。
  (明治26年)三月十五日、曇る。 昨日より、家のうちに金といふもの一銭もなし。 母君これを苦しみて、姉君のもとより二十銭かり来る。・・・『よもぎふ日記』
  明治28年1月、雑誌「文学界」に連載を開始した「たけくらべ」の原稿代1枚77銭。(「たけくらべ」全体ではおよそ160枚になるため、123円程度か?)

                (右の写真は、日本銀行のHPを利用しました)

野口英世 (1876〜1928)
  明治30年 順天堂病院助手、食事つき月俸2円、後3円。
  明治31年、伝染病研究所見習助手、月俸12円、後13円、さらに15円。
  明治32年、横浜海港検疫所検疫医、月俸35円。
  明治32年、清国の牛荘(ニュウチャン)でのペスト防疫班に加わる。
     任期6ケ月、月俸200両(テール)。
     任期後もしばらく、ロシア衛生隊の依頼で滞在、月俸300両。
     (1両=1.3円)
  明治33年、ペンシルバニア大学フレキスナー教授の私設助手、月俸8ドル。
     (1ドル=2円)
  明治34年、ペンシルバニア大学研究助手、月俸25ドル。
  明治35年、同大学病理学助手、月俸50ドル。
  明治37年、ロックフェラー研究所アシスタント(一等助手)、年俸1800ドル。
  大正3年、同研究所メンバー(正員)、年俸5000ドル。
                (右の写真は、日本銀行のHPを利用しました)


 ●その1 庶民の場合
  庶民の場合はどうだったでしょうか。 明治中期、明治25年ころの庶民の給与を調べてみました(中には庶民でない人も混ざっていますが)。
  日清戦争が始まる直前、日本はまだ世界の三等国です。
職 業俸 給備 考現 代倍率
住み込み下女M251月0.82円食事つき  
住み込み下男M251月1.55円食事つき  
機織職(女)M251日8.4銭(月1.7円)   
農作業の日雇い(男)M251日15.5銭(月3.1円)女は9.4銭  
日雇い人夫M251日18.4銭(月3.7円) 1日11,710円6.4万倍
大工さん(全国平均)M251日27銭(月5.4円)   
大工さん(東京)M251日50銭(月10円)東京は全国平均の2倍。1日19,690円3.9万倍
小学校教員の初任給M19月俸8円代用教員は5円月19.5万円2.5万倍
巡査の初任給M24月俸8円諸手当含まず月16万円2.0万倍
新聞記者M27月俸12〜25円 月25〜50万円2.0万倍
造幣局職工の平均給与M25月俸9.3円給仕・小使を含む181人の平均  
造幣局官吏の平均給与M25月俸33.6円局長(月250円)以下81人の平均  
銀行員の初任給M31月俸35円大銀行の場合月17.4万円0.5万倍
上級公務員の初任給M27月俸50円高等文官試験合格者月18.1万円0.4万倍
国会議員M22年俸800円(月67円)M32に一挙2000円に増額月112.5万円1.7万倍
東京府知事M24年俸4000円(月333円) 月161万円0.5万倍

  日給から月給への換算は、一律1ケ月=20日としました。 休みが多かったという意味ではなく、仕事があるかどうかに大きく左右されたと思われます。 農閑期には農作業はないでしょうし、雨の日には大工さんの仕事は少なかったでしょう。
  現代の数字は、平成6〜12年ころの値です。 現代はボーナスもありますが、ここでは無視しました。
  官民格差は、現代以上に顕著だったことが分かります。

竜50銭銀貨(明治6〜38年発行)

 ●その2 官吏の場合
  官吏の俸給表の一部です。 明治8年9月の『官員録』などから作成しました。 明治8年4月に改訂された官制です。
官の種類等級月俸太政官正院元老院一等寮二等寮三等寮警視庁陸海軍その他
勅任官1等800円
600円
500円
太政大臣
左右大臣・参議

議長・副議長
議官


   

大将


大審院一等判事
2等400円  大輔   中将特命全権公使
3等350円大内史 少輔  知事 大警視少将司法省大検事
奏任官4等250円権大内史・大外史大書記官大丞権頭 権知事権大警視大佐(総領事)
5等200円少内史・権大外史権大書記官少丞権頭参事権令中警視中佐(領事)
6等150円権少内史・少外史少書記官 権助権頭権参事参事権中警視少佐 
7等100円権少外史権少書記官  権助 権参事少警視大尉 
判任官8等70円大主記大書記生大録大属、大技師大属権少警視中尉 
9等50円権大主記権大書記生権大録権大属、中技師権大属大警部少尉 
10等40円中主記少書記生中録中属、少技師中属権大警部少尉補 
11等30円権中主記権少書記生権中録権中属、大技手、大手権中属中警部(曹長) 
12等25円少主記 少録少属、中技手、中手少属権中警部(軍曹) 
13等20円権少主記 権少録権少属、少技手、少手権少属少警部(伍長) 
14等15円大舎人 筆生史生、大技生、技術心得史生権少警部  
15等12円  省掌寮掌、中技生、技術見習府掌県掌警部補  
等外1等10円使部一等巡査  
2等8円直丁二等巡査  
3等7円門番三等巡査  
4等6円小舎人   

  当時の「省」は、外務、内務、大蔵、陸軍、海軍、文部、教部、工部、司法、宮内の10省がありました。 「卿(きょう)」が大臣、その下の「大輔(たゆう、たいふ)」、「少輔(しょう、しょうふ)」は次官クラスです。
  「寮」は現在の庁・局に相当するもので、規模により一等(造幣寮など)、二等(駅逓寮など)、三等(記録寮など)の区別がありました。長官は頭(かみ)です。
  「府」は、東京府、京都府、大阪府の3つありました。「県」は、現在のと似ているところもありますが、足柄・堺・名東・白川などの県もありました。

  このときの「一等官」は次の人たちでした。 (色は出身を表わしています。皇族・公卿・大名薩摩長州土佐肥前幕臣、その他、です。)
   【太政大臣】三条実美   【左大臣】島津久光   【右大臣】岩倉具視
   【参議】[宮内省御用掛]木戸孝允、[内務卿]大久保利通、[大蔵卿]大隈重信、[兼務なし]板垣退助、[司法卿]大木喬任
      [外務卿]寺島宗則、[陸軍卿・陸軍中将・近衛都督]山県有朋、[工部卿]伊藤博文、[開拓使長官・陸軍中将]黒田清隆
   【元老院副議長】後藤象二郎  【元老院議官】有栖川熾仁、長谷信篤、壬生基修、柳原前光勝安芳 (※1)
   【宮内卿】[宮内省侍従長]徳大寺実則  【陸軍大将】西郷隆盛   【琉球藩王】尚泰

  (※1)議官には、他に 由利公正(福井)、陸奥宗光(和歌山)、佐野常民ら17名が名を連ねていますが、位階からみると二等官または三等官相当だったと思われます(通常、一等官は正四位以上、ニ等官は従四位、三等官は正五位であることが多く、この時由利公正は従四位、陸奥宗光・佐野常民は正五位でした)。

  その他の著名人です。
  二等官 【特命全権公使・海軍中将】榎本武揚 【特命全権公使】青木周蔵 【海軍大輔・中将】河村純義
  三等官 【外務少輔】森有礼 【大蔵省三等出仕・租税頭】松方正義 【陸軍少輔・陸軍少将】大山巌 【陸軍少将】谷干城桐野利秋
      【警視庁大警視】川路利良 【東京府知事】大久保一翁
  四等官 【太政官正院四等出仕】福地源一郎 【内務大丞・駅逓頭】前島密(越後) 【宮内大丞】山岡鉄太郎 【工学権頭・製作頭・勧業寮四等出仕】大鳥圭介
      【陸軍省四等出仕】西周(津和野) 【鶴岡県令・教部大丞・五等判事】三島通庸
  五等官 【権典侍】柳原愛子 【外務省一等書記官】品川弥次郎 【大審院五等判事】児島惟謙(宇和島) 【陸軍歩兵中佐】山川浩(会津) 
  六等官 【太政官正院少外史】久米邦武 【陸軍歩兵少佐】乃木希典桂太郎 【海軍少佐】伊東佑亨 【海軍主計少監】猪山成之(金沢)
  七等官 【工部省鉄道寮七等出仕】小野友五郎(咸臨丸の航海長)
  九等官 【文部省督学局九等出仕】高橋是清(仙台) 【警視庁大警部】佐川官兵衛(会津) 【大審院二級判事】立見尚文(桑名)
  十等官 【海軍少尉補】山本権兵衛 【東京府中属】樋口則義(一葉の父) 【造幣寮出仕】加納夏雄
  等外一等 【警視庁一等巡査】藤田五郎(元新選組の斉藤一)

  ・この直後の明治8年10月、島津久光、板垣退助らが辞任しています。
  ・明治時代の官吏の職位と俸給については、『明治初年の職官表』 も参考にしてください。



 ●その3 地方公務員の場合
  明治40年の高知県の役人の月俸です。 総勢3755人です。
 職位人数平均月俸備考
知事1人300.0円 
事務官3人127.8円副知事クラス
場長1人100.0円農業試験場
主事1人70.0円水力電気事務所
視学2人45.0円 
名誉職6人31.1円 
技師・技手・工師・工手51人29.2円技術系役人
守監1人24.7円 
54人23.0円中級役人
吏員・雇・書紀など162人16.5円下級役人

(警察関係)
警視1人50.0円 
警部21人27.5円 
巡査361人13.6円内女性1名
市長1人83.0円高知市
助役1人50.0円 
視学1人40.0円 
技術員1人40.0円 
収入役1人25.0円 
書記など40人14.2円 
郡長7人61.9円 
視学7人30.0円 
書記など92人17.9円 
28人7.9円 
町村町村長189人14.1円名誉職に近い
技術員3人12.7円 
収入役186人11.3円 
助役235人11.2円 
技術員3人12.7円 
書記など223人10.1円 
区長611人47銭「区」は大字相当。区長は名誉職
委員918人37銭 
区長代理者546人9.2銭 

 【参考資料】  高知県のホームページ

 ●その4 小学校の先生の場合
  明治42年の岐阜県の尋常小学校、高等小学校の先生たちの給料です。本科正教員、准教員、専科正教員の合計です。当時は「訓導」と呼ばれていました。
  月給6〜7円は見習い先生でしょう。 55円まで大きな幅がありますが、ほとんどの先生は20円以下です。 冒頭の夏目漱石などと比べると大きな学歴格差がみてとれます。   



 【参考資料】 岐阜県のホームページ

 ●その5 中学校の先生の場合
 次の表は 明治28年の松山中学の職員の月給です。夏目金之助(漱石)が在職中のものです。
職位職員名 月俸 備考
校 長住田  昇60円高等師範卒、「狸」のモデル
教 頭横地石太郎80円帝大卒、「赤シャツ」のモデル
教 諭西川忠太郎40円英語
教 諭安芸 本吾35円博物
教 諭渡部 政和35円数学、「山嵐」のモデル
教 諭中村宗太郎30円歴史
教 諭中堀貞五郎30円地理
助教諭村井 俊明25円 
助教諭弘中 又一20円数学
助教諭太田  厚20円漢文
助教諭高瀬 半哉18円 
助教諭伊藤朔太郎12円体操
助教諭浜本利三郎12円 
助教諭心得安倍 元雄20円助教諭心得は他に3人
嘱託教員夏目金之助80円英語、帝大卒、「坊ちゃん」のモデル
嘱託教員左氏  撞20円 
嘱託教員近藤 元弘10円 
書 記寒川 朝陽15円書記は他に1人
 校長先生より漱石の方が高給です! 小説の中の坊ちゃんの月給は40円ですが。
 【参考資料】半藤一利、「漱石先生、お久しぶりです」、文春文庫、2007

 ●その6 士族の場合
  明治新政府の頭を最も悩ませていたことの一つは、士族(旧武士階級)の扱いでした。 当時3000万の人口に対して、5%の士族とその家族がいました。 この「座食」の階級のために国家予算の3分の1を消費しており、近代化をすすめるための大きな障害となっていました。 思い切ったリストラが必要でした。
  明治9年、士族のこれまでの土地・俸禄を取り上げ、代わって「金禄公債証書」を支給しました。 公債には年7%の利息がつきました。 この利息で生計をたてろ、とのことです。
  下の表は、旧福知山藩(3.2万石)の士族に対する支給状況です。
  
身 分員数金禄公債額面年間利息
旧藩主1人36,578円2,560円
上士の上級クラス35人992円69円
上士の下級クラス71人790円55円
中 士42人659円46円
下 士75人588円41円

  禄高百石の武士といえば、ちょっとしたお武家様でした。 上の表では、「上士の下級クラス」に属します。 年収は米40石(=このころ320円)で、下男下女を養う身分でした。 ところが、急に年収55円、何と6分の1になったのです。
  日雇い労働者でも、月に3〜4円稼げた時代です。 とてもこの金額だけで生活ができるものではありません。
  明治16年に政府が決めた収入の基準があります :
    『1家3人で年収70円、4〜5人で年収120円 ・・・ が中等、それ以上が上等、それ以下が下等と区分する。』
  官吏や巡査、教師などに転職できた士族は幸せでした。 士族の多くは、それまでのプライドを捨て、農業、商業(武士の商法)、工業(といっても傘張り・提灯作りなど)に転じざるをえませんでした。 赤貧に苦しんだ士族も多かったそうです。
 【参考資料】 落合弘樹、「秩禄処分」、中公新書、1999
改造兌換銀行券1円(明治22年〜発行)
(番号が漢数字で書かれています)


 ●その7 著名文化人の場合
文化人年齢職 業月給
山川健次郎M922歳東京開成学校教授補70円
M1023歳東京大学教授補70円
M1225歳東京大学教授120円
M1932歳帝国大学理科大学教授年俸2100円?
M2639歳帝国大学理科大学長年俸2600円
M3447歳東京帝国大学総長年俸4000円?
高村光雲M2237歳2月、東京美術学校雇い35円
M2237歳5月、東京美術学校教授
(奏任官五等)
年俸500円
小泉八雲M2340歳松江中学の講師100円
M2441歳熊本第五高等学校の講師 
M2946歳帝国大学講師(週12時間)400円(後450円)
M3754歳早稲田大学講師(週4時間)年2000円
岡本綺堂M2419歳「日日新聞」記者15円
永井荷風M3422歳「やまと新聞」雑報記者12円
藤島武二M2626歳三重県尋常中学校・助教諭23円
正岡子規M2525歳新聞「日本」の記者15円
M2626歳同上20円
M2727歳「小日本」に移る30円
M3131歳「日本」に戻る40円
島崎藤村M2924歳東北学院の教師25円
M3227歳小諸義塾の教師30円
石川啄木M3920歳(岩手県)渋民尋常高等小学校代用教員8円
M4021歳函館商業会議所書記日給60銭
(函館)弥生尋常小学校代用教員12円(15円?)
「函館日日新聞」遊軍記者15円
「北門新報社」校正係15円
「小樽日報」記者12円
M4122歳「釧路新聞」編集長待遇25円
M4223歳「東京朝日新聞」校正係25円+夜勤5回で5円
森鷗外M1419歳軍医副(中尉相当官)32円
M2126歳軍医(大尉相当官)52円
M2227歳二等軍医正(少佐相当官)93円
M2631歳一等軍医正(中佐相当官)143円
M3237歳軍医監(大佐相当官)193円
M4045歳軍医総監(少将相当官)300円
T655歳帝室博物館総長(勅任官一等)年俸3500円
(4000円?)

月に三十円もあれば、田舎にては
楽に暮らせると−−−
  ひよつと思へる。

      ・・・・ 石川啄木 『悲しき玩具』

「御社では、私の如きものを、使ってはくださいますか。
 但し小生は、生活のため、月三十円を必要とするものにこれあり候也」

      ・・・・ 石川啄木 東京朝日新聞社への求職の手紙

日本新聞社員タリ。明治三□年□月□日没ス。享年三□。月給四十円。
      ・・・・ 正岡子規の自作の墓誌


 ●その8 高額所得者の場合
  ”俸給”ではありませんが、高額所得者の年収を紹介します。 明治20年の数字です。 元大々名と、新興財閥が多いです。
順位高額所得者年収備 考
岩崎久弥696,596円三菱財閥(弥太郎の子)
岩崎弥之助250,664円三菱財閥(弥太郎の弟)
毛利元徳173,164円元長州藩主
前田利嗣145,543円元加賀藩主
原 六郎117,062円但馬出身の実業家(帝国ホテルの設立者)
島津忠義111,116円元薩摩藩主
細川護久98,354円元肥後藩主
渋沢栄一97,316円実業家(第一国立銀行の設立者)
住友吉左衛門77,351円住友財閥 
10徳川茂承74,842円元紀伊藩主
11徳川義礼72,586円元尾張藩主
12池田章政71,190円元岡山藩主
13平沼専蔵61,670円横浜の実業家
14鴻池善右衛門60,354円大坂の巨商
15浅野長勲57,240円元広島藩主
16松平頼聡57,153円元高松藩主
17山内豊景53,920円元高知藩主
18茂木惣兵衛53,022円高崎出身の実業家(松坂屋の創始者)
19藤堂高潔52,285円元津藩主
20久次米庄三郎52,131円阿波の藍商・材木商
21黒田長成51,233円元福岡藩主
22原善三郎51,211円横浜の実業家(現横浜銀行の設立者)
23鍋島直大50,591円元佐賀藩主
24本間光輝50,096円出羽の大地主

  土佐の浪人の子の岩崎弥太郎は、明治維新・廃藩置県・台湾出兵・西南戦争などで巨万の富をなし、明治18年に没しました。 巨万の富は、子と弟が分割しました。
  明治20年の国家予算は8816万円ですが、岩崎両家の年収はその1%を超えています。
 【参考資料】 童門冬ニ監修、「幕末・維新のしくみ」、日本実業出版社、1998

 ●その9 「御雇外国人」の場合
  明治の時代、近代技術と近代文化を輸入するため、多くの外国人が招聘されました。 その総数は6193人だったそうです。
お雇い外国人出身国在日期間月俸業績など
ベルツ明治9〜38年350円⇒500円日本近代医学の父。日本をこよなく愛した人。奥さんは日本人。
ナウマン明治8〜12年300円⇒350円地質学者。フォッサマグナの命名者。帰国後「日本」について、森鴎外と論争した。
フェノロサ明治11〜21年300円⇒370円東京美術学校教授。岡倉天心らと新しい日本画を提唱した。
クラーク明治9〜10年600円札幌農学校教頭。わずか1年の在日であったが、明治文化人に与えた影響は大きい。
モールス明治10〜12年350円⇒370円動物学者。モースと呼ばれることが多い。大森貝塚の発見者。
キンドル明治3〜8年1045円造幣寮の長官。よく怒るので、サンダー(雷)キンダーと呼ばれた。

  平均的な月俸は100〜300円が多かったそうです。 日本人最高の太政大臣でも月俸800円です。 庶民は10円前後です。 日本人の給与にくらべてものすごく高いのにびっくりです。 

1876年(明治9)1月3日 ベルリン
 今日、日本帝国公使青木周蔵氏のさし示す契約書に署名した。
 一、官立東京医学校に生理学兼内科医学教師として雇入れのこと。
 二、任期二箇年のこと。
 三、俸給16200マルク、但し月割に金貨で支払うこと。
 四、往復の旅費、住居支給のこと。
 五、診療自由のこと。
   ・・・『ベルツの日記』より。このとき、ベルツ26歳。また1マルク=23.85銭

旧1円金貨 (明治4〜13年発行)

●付1. 諸外国との比較
  諸外国との比較です。 大臣と大工の賃金を比較してみました。 日本では、大臣の月俸500円、大工の1日の賃金60銭でした。
  日本人の賃金は、まだまだ世界の三等国です。

  なお、このとき
     日本の総理大臣の年俸  8000円
     アメリカ大統領の年俸  10万ドル(=20万円)
 【参考資料】 「世界各国人民一日所得一覧表」、法令館、明治40年
上のグラフに現代の賃金比較を重ねてみました。

が、現代の日本人の賃金を100としたときの諸外国の賃金です。
日本より高給なのは、スイスと
  (このグラフにはありませんが)デンマークだけです。

日本とロシアが逆転、中国と朝鮮(韓国)が逆転しています。

現代の日本は、”一等国”のようです。

【出典】(財)矢野恒太記念会、「世界国勢図会」



●付2. 明治時代の賃金・物価の移り変わり
  明治25年ころまでは、物価は落ち着いていました。 日清戦争(明治27〜28年)、日露戦争(明治37〜38年)で、国力が強くなることと並行して、少しインフレになりました。






 閑話休題 : 太陽暦の採用
 明治5年12月、政府は太陰暦に代って太陽暦を施行し、明治5年12月3日を明治6年1月1日にしました。
 欧米諸国の習慣に合わせるためというより、財政の窮迫に苦しむ明治政府が、
   ・12月分2日間の給与を節減できる
   ・太陰暦に約3年ごとにある閏月の給与が不要になる
ため、採用したと伝えられています。

参考文献
 総務庁統計局監修、「日本長期統計総覧」、日本統計協会、1988
 高柳光寿・竹内理三編、「日本史辞典」、角川書店、1984
 週刊朝日編、「値段史年表」、朝日新聞社、1988
 週刊朝日編、「戦後値段史年表」、朝日文庫、1995
 (財)矢野恒太記念会編、「数字でみる日本の100年」、国勢社、1991
 大蔵省造幣局、「造幣局百年史 資料編」、1974
 「日本史資料総覧」、東京書籍、1986
 秦郁彦編、「日本官僚制総合事典」、東大出版会、2001
 トク・ベルツ編、「ベルツの日記」、岩波文庫、1951
 岩崎爾郎、「物価の世相100年」、読売新聞社、1982
2002.5.26
2002.11.29 「その他の文化人」を追加
2003.4.29 「高額所得者の場合」と「官吏の俸給」を追加
2004.6.27 「官吏の俸給」改訂
2009.5.17 「地方公務員」、「小学校の先生」を追加
2014.11.23 いろいろ改訂