江戸時代の古文書から


● 年貢免定書 承応3年(1654) 河内国交野郡野村

        承 急高右            一   
        応 度下之  百 弐 拾九七  取高   
        三 可被通 取四取拾取石石升  米百 午 
        午 致免庄 米拾米三米五三 高 百八 年 
        霜 皆割屋 百壱八石弐斗斗 わ 弐拾 免 
        月 納極小 拾石石九石壱八 け 拾五 定 
        十 者月百 弐八三斗壱升升   弐石 之 
        五 也十姓 石斗斗壱斗 弐   石五 事 
        日  日立 三九七升弐 合   四斗   
           以合 合升升六合     斗七   
           前無  弐壱合      七升   
 惣庄 高前土木神      合合       升    
 小屋 木藤屋寺○               六    
 百  彦勲庄源喜      上三中弐下當寅 六合野   
 姓  左左左右大      毛ツ毛つ毛日井 ツ 村   
 中  エエエエ夫      付五付取付損路 六     
    門門門門        分   引引 分     


  河内国交野郡野村(現枚方市)は、旗本永井伊予守の地行所で村高は185石5斗7升でした。
  村の年貢は、毎年その年の出来具合によって決められます。この年貢の決定文書が「免定(免状)」です。
  この年の年貢は122石4斗7升6合と決まりました。これは村高の六ツ六分(66%)になります。(収穫高は村高より多いのが通常ですから、年貢率66%というわけではありません)。
  なお、「極月」は12月、「霜月」は11月です。


  780×320mm


● 年貢皆済目録 文政11年(1828) 甲斐国山梨郡下柚木村

  一年分の年貢がすべて納められると、村から領主へその年の納入状況をまとめた「年貢皆済目録」を差し出します。代官がこれを確認して村へ返却します。 これで、その年の納税作業が完了です。
  下は、天領だった甲斐山梨郡下柚木(しもゆのき)村のものです。 この村の石高は162石余ですから、人口200人くらいでしょうか。
  年貢高は、米ではなく金貨の単位で計算しています。 この村の年貢総高は、諸経費を含め永50貫936文9分8厘でした。永1貫文とは、金1両のことですから、50.93698両になります。(4進法の両分朱の計算方法に比べて、10進法の永銭での計算ははるかに容易です)

      如小其右 都        納      合 一  一   一  一 一 一       一  一  一           一 高
    文 何手外者 合        合        永  米 御 六御 永 永 永  米  米 米  米  米    米   米  米 百 亥
    政 様形郡去 永 小 永永永  永 此米  永 米弐 此壱 蔵 尺伝 拾 三 三 代弐 代壱 三 代壱 代三   代拾  代弐  六 六 御
    十 之引中亥 五 計 四四百外 五 籾壱右 五 壱百 籾斗 前 給馬 八 百 百 永石 永石 石 永石 永拾   永五  永拾 内拾 拾 年
    一 書替割御 拾 永 百拾弐  拾 弐斗渡 拾 斗三 弐弐 入 米宿 文 弐 文 弐六 九六 壱 壱弐 弐石   拾石  五弐 米七 弐 貢
    子 付一合年 貫 六 六壱拾  貫 斗弐方 貫 弐拾 斗升 用 川入 六 拾   貫升 百升 斗 貫斗 拾四   三弐  貫石 弐石 石 皆
    年 差紙書貢 九 百 拾文五  三 四升  三 升壱 四    浦用 分 文   七六 四四 三 百六 六升   貫升  四五 升五 六 済
    四 出目面本 百 三 八九文  百 升   百  文 升    村        文合 拾合 升 弐升 貫三   三弐  百斗 六斗 斗 目
    月 候録之途 三 拾 文分八  文     文  壱未     口           弐    拾九 六合   百合  四三 合九 三 録
      共相通小 拾 六 九 分  三     三  分ヨ     当           文    四合 百    五   拾升  升 升
    吉 為渡合物 六 文 分    分     分  八リ     番        但  四    文  九    文   弐弐  七 八
    栄 反条皆成 文 六      八     八  厘亥     取        御  分       文  但 弐 米但文合 見合 合
    左 故重済高 九 分      厘     厘   迄    ↓役       金張          五 金米亥分 四金五  取   甲
    衛 者而ニ掛 分  其陣包才    廿申    許早五廿申  前相  口 柿 御三紙三 但公 口 但小但分定三三○ 大石壱分小 米本 下州
    門 也 付物 八  外屋分順    分酉    借植ケ分酉  以勤      林拾直升 右納   右物右 金拾拾御 切壱両 切  途 柚山
   右       厘  入修銀入    一子    返種年一子  ヨ候  永 運 下四段口 同口 米 同成同 納壱五張 金斗ニ 金  見 木梨
百長名村          用復 用    御貯    納籾賦御貯  リニ    上 草両三米 直米   直 直  両石紙 納四付 納  取 村郡
姓百                    下穀     代 下穀  免付      永替両  段    段 段  替ニ直  升
代姓主                   穀        穀   許↓        増             付段  替


※←
←※

  本途見取   67石5斗9升5合
    小切金納 22石5斗3升2合 永 5貫442文5分
    大切金納 25石0斗2升2合 永13貫305文2分
    定金納  30石0斗4升3合 永26貫609文5分
  小物成     1石1斗6升9合 永 1貫124文
  口米      3石1斗3升
    公納口米  1石0斗6升4合 永  942文4分
    三升口米  2石0斗6升6合 永 2貫007文
  御林下草永          永  300文
  柿運上            永  320文
  口永             永   18文6分
  種籾代       1斗2升   永  231文1分8厘
  諸経費            永  636文6分

    合  計  永50貫936文9分8厘
  江戸時代の年貢については、よく「五公五民」などの言葉がありますが、年貢の種類や計算方法は、地域によって違いがありました。
  甲斐の3郡(巨摩・山梨・八代)では、武田氏以来の習慣で、
   ・小切(しょうぎり) 年貢全体の3分の1を、1両につき米4石1斗4升替えで金納
   ・大切(だいぎり)  残りの3分の1を、御張紙値段(この年は米35石につき金31両)で金納
するのが基本でしたが、その他にもさまざまな名目の年貢があり、その明細は右の通りでした。
  (大切・小切の計算方法は農民にとって有利な計算方法で、明治4年全国一律の計算方法が実施されたとき、これに反対した農民により「大小切騒動」が発生しました。)

 1300×280mm

● 蔵米札(米30俵) 文化10年(1813) 肥前佐賀藩


 酉    海
 十    弐
 一    百
 月    三
 四    拾
 日 右米 弐
 払 相   
  肥渡参  
   水  堺
  前火拾 屋
   難  喜
  蔵不俵 平
   存  買
   者   
   也   

  年貢として納められた米は、地元で消費する分を除いて、多くが大坂の米商人により管理されていました。
  その時に使われたのが、「蔵米札」または「米切手」と呼ばれるものです。 この札は、「肥前蔵」、佐賀藩の米です。
  細い字と太い字が調和した、見事な筆です。 また、この札には上部に「ヒセン」、下部に「クラ」のすかしがあります。
  額面の「30俵」は10石を意味します。 (他の藩でも、20俵や25俵の額面になっていますが、すべて「10石」のことです。)  中央に書かれている「水火難不存」とは、蔵屋敷が火事になってこの米に水や火をかぶっても責任を持たない、ということです。

  「蔵米札」は、当初は文字通り米の受け渡し用の札だったのですが、そのうち、入庫予定の米に対しても発行され、この札そのものが売買の対象となって、有価証券としての役割を担うことになりました。


  108×303mm(厚手の和紙)

● 田地売渡(金8両3分) 天明2年(1782) 近江国坂田郡醒井村

         間 い 壱 半 然 用 右  一  一  一  
         敷 か ケ ツ 上 聴 件 壱上 弐下 三下  
      寅天 候 様 年 ヽ 者 金 田 斗畑 斗田 斗田 永 
      三明 様 と ニ 三 御 八 地 六五 三弐 三弐 代 
      月弐 後 も 而 月 年 両 之 升畝 升畝 升畝 売 
  下   八年 日 御 も 八 貢 三 元 八拾 五四 八拾 渡 
  夫   日  ノ 支 相 日 村 分 者 合八 合分 合八 シ 
  馬      手 配 滞 八 諸 只 我  分     分 田 
  村      形 可 り 月 役 今 等          地 
 福       仍 被 申 八 一 慥 従 此小東有  東有 ノ 
 性     坂 而 成 候 日 切 ニ 先 外文文坪  道坪 事 
 寺     田 如 候 ハ 毎 相 請 祖 万七七醒  西ハ  
 殿  庄  郡 件 其 ヽ 年 勤 取 相 難限西井  ハ醒  
    屋  醒   節 右 両 其 永 伝 無り市領  源井  
   藤 又市井   一 之 度 上 代 リ 公 左ノ  蔵領  
   太 兵右売   言 御 相 徳 売 候 □ エ内  南内  
   夫 衛衛主   之 田 渡 米 渡 へ 也 門字  北字  
      門    御 地 シ 三 シ 共   南余  道六  
           願 御 可 表 申 依   才山  限反  
           申 家 申   所 有   市   り田  
           上 共 候   実 直   郎   
             御 若   正 要       
             引     也         
             上               

  近江醒ケ井は、中仙道の宿場町として有名です。 この村の市右衛門さんが、先祖伝来の約1反の田畑を、8両3分で近くの下夫馬村の福性寺に売却しました。
  田畑の耕作はこれまでどおり市右衛門さんがやるのですが、年貢諸役の負担の他、小作料として、毎年2回米3俵半を寺に納めるとのことです。
  3.5俵は1.4石、田畑1反で、こんなに重い小作料?。 解読の誤りか?

  385×280mm


● 年賦證文(金5両) 安政3年(1856) 近江?


         年 可 不 壱 丑 割 段 返 右 一   
    安    賦 被 埒 歩 年 済 々 済 之 金   
    政    證 下 ニ 無 迄 許 年 出 金 五   
    三    仍 候 相 相 拾 成 賦 來 子 両 年 
    辰    而 共 成 違 ケ 下 御 兼 先 也 賦 
  西 年    如 其 候 返 年 忝 頼 依 年   證 
 喜       件 時 ハ 済 間 奉 申 之 此   文 
 右         一 ヽ 可 七 存 候 此 借   之 
 ヱ         言 御 仕 月 候 処 度 用   事 
 門         之 上 候 ニ 依 格 以 仕   
 殿         不 納 若 壱 之 別 上 候   
     上  本  納 同 本 歩 當 之 浦 所   
     浦 中人  申 様 人 極 辰 御 勘   
    勘 市    間 ニ   月 年 了 三   
    三 右    敷 御   ニ よ 簡 郎  
    郎 エ    候 取   共 り を   
      門      立   切   以   
                 ニ       
  市右エ門という人が、5両の借金を返済できなくて、年賦にしてもらったときの証文です。
  5両とは、それほどの大金ではありません。 毎年7月と12月に金1分づつ、20回払いです。 市右エ門さんは、かなり貧しそうです。 印も手書きになっています。 この証文が残されているところをみると、完済できなかったことが想像されます。
  しかし、証文は達筆です。 間にたった勘三郎さんの筆なのでしょう。
  北近江のものらしいのですが、詳細な場所は不明です。

  381×276mm


● 道中日記『伊勢参宮道中記』 天保5年(1834) 伊勢

      
  天保5年4月3日〜7日、尾張の名張舎さんが4泊5日で伊勢参りをしました。 その時に遣った費用明細です。
  下は出発日の分です。 桑名までは舟だったのでしょう。
  途中で何度か休憩しています。 四日市で買った酒一合は飲むためではなく、疲れをとるため足に塗ったものと思われます。 白子で昼食をとり、安濃津(現在の津)で最初の宿をとっています。
  5日間の旅の総費用は、2両1分1朱と300文(銭換算で合計約16,300文)でした。
  123×172mm、17丁(ただし内7丁は空白)


  一          一                     一  
      残          残                    
・ 十   十   〆○ 四   五 廿 八 五 百 五 六 五   三  
・ 七   七 弐弐八金 百 内 十 文 文 文 三 文 十 文 内 百  
  文 四 文 四文文壱 三   一       拾   六     文 三
以   日   文  朱 十   文       弐   文       日
下   雨        弐           文           晴
略   午        文                        
  前 後   按宿 渡      菓小 根 上 白 高酒四 柿   内  
・ 日 晴   磨帳 ス  休   子川 上 野 子 岡壱日 村   よ  
・ 残     取筆  は今    代勝 り   支 茶合市 茶   り  
  り      墨  た丹    と殿 休   度 代 田 代      
         代  ご屋    も          楽        
                              


  (地図は、大正13年に大阪毎日新聞社が発行した「日本交通分県地図.5.三重県」を利用しました。)

● 関所通行手形 天保11年(1840) 上野横川関所


           一
   横   為 御 此
  御川   後 関 者
  関    日 所 壱 差
 御所  天 依 無 人 上
 役   保 而 相 右 申
 人  子十 如 違 は 一
 衆  十一 件 御 坂 札
 中  二年   通 本 之
 様  月    シ 宿 事
       当 被 江
      稲国 遊 罷
      荷碓 可 越
     名村水 被 申
     主 郡 下 候
    四    候 間
    郎
    治

  旅で関所を通るには、通行手形が必要でした。 
  右の通行手形は、上州(現群馬県)の中仙道にあった横川の関所を通るための通行手形です。
  この人は、関所の東側の村から、西側の坂本宿(当時は大きな宿場町でした)に行くようです。 年の暮に親戚でも訪ねたのでしょうか。

  161×252mm

● 飛脚の預かり状  年代不明


 木    申万右          
 村    間一之          
 俊 四  鋪於通      御   
 清 月  以道慥    一 吟   
 右 廿  写中ニ 本 請拾 味   
 衛 一  後紛請 八 状参 三   
 門 日  日失取 日 壱両 ケ   
 様    仍仕候 限 通壱 年   
      而○處    包 限   
      如○実        覚 
      件急正          
    京  度也     江    
    東  相割     戸    
    洞  弁無    飯下    
    院  少相    塚谷    
   近三  も違    武広    
   江条  御御    太徳    
   屋上  損届    夫寺    
   孝北  難書    様前    
   三町  相上    よ     
   郎   掛候    り     

  「町飛脚」は、江戸と上方の間で、一般の武士や庶民が使った飛脚便です。
  最も速いのは「仕立便」と呼ばれ、申し込みのその日に出発します。その中でも超特急の「正三日半限」は、江戸から発送して3.5日後に大坂に届きました。ただし費用も高く、荷物1個(重さ375gまで)につき金7.5両もかかりました。(このころ江戸の長屋に住む庶民の1ケ月の生活費はおよそ2両くらいでした)。
  通常使われるのは「幸便」と呼ばれ、月に9回の定期便がありました。幸便には到着までの日数により「正六日限」から「十日限」までの各種がありました。 
  右の便は、京の飛脚屋近江屋の預かり状です。江戸下谷の飯塚さんが、上方の木村さんに送った金30両の預かり証文です。文章の定型部分は木版印刷されています。
  なお、もっとも安価な飛脚便は「並便」と呼ばれるもので、大坂まで通常25〜26日くらいかかり、その料金は書状一通で銀3分(金1両の約200分の1)でした。

  227×296mm


● 為替手形(金一両) 年代不詳 尾張常滑


   千 御 右 一   
   四 節 為     
   百 ハ 替 金 為 
   九 此 御 壱 替 
 大 拾 手 都 両 手 
 江 九 形 合 也 形 
 伊 番 引 次   之 
 平   取 第   事 
 次   可 金     
     相 入     
     渡 用     
     候       
     以       
     上       
          大  
 橋 椙 平 萩 平野  
 東 山 野 原 野   
         彦   
 源 利 助 家 右   
 ○ 兵 三 年 エ   
   衛 郎   門   
  現金を遠方に届ける代わりに使ったのが「為替手形」です。 日本では、鎌倉の昔からありました。
  右の古文書は「為替手形」の名を借りた私的な通貨の一種。 藩札、旗本札、寺社札などと同類の「私札」です。
  尾張常滑の町人たちが共同で発行したものでしょう。
  裏面には常滑の商人たちの印やサインが20個以上あります。

  248×129mm  (最下部は少し切り取られているらしい)

● 彦根藩の御用金 明治元年(1868) 近江国伊香郡木之本村


 辰 仰 御 右 一     
 十 付 用 者 金     
 月 候 被 会 弐   江 
   事   計 百  木州 
       御 両 平之伊 
       基   左本香 
       金   衛村郡 
           門   
  慶応4年1月、鳥羽伏見の戦いがあり、2月に新政府軍の進撃が開始されました。 9月には「明治」と年号も改められました。 各藩は、新政府軍への参加と拠出金を求められ、金策には苦労しました。
  彦根藩でも、安政の大獄・桜田門外の変以来、時流に乗り遅れまいと必死でした。
  領内の有力者たちに御用金の拠出を命じました。 木之本村の平左衛門さんにも200両の命令書がきました。

  243×179mm



       右    
    明  者 一  
    治  会 金  
  木 元  計 百  
  之 辰  御 両  
 平本 十  暮 也 覚
 左  月  金   
 衛  廿  納   
 門  日  之
 殿   長 内
     濱 分
     会 慥
    御計 ニ
    用方 受
    所  取
       申
       候
       以
       上
  平左衛門さん、お上の命令に従わざるを得ません。 しかし、200両のところ、100両だけで許してもらったようです。 こんな薄い紙っ切れ1枚と100両を交換させられた領民こそいい迷惑だったでしょう。

  86×242mm

謝辞 :
  読めない文字がだいぶあったのですが、京都の大学の貝先生に助けていただきました。 ありがとうございました。
参考文献:
  林秀夫監修、「近世古文書解読字典」、柏書房、1972
  林秀夫、「おさらい古文書の基礎」、柏書房、2002
2004.6.26
2004.10.9 関所通行手形を追加
2005.3.24 彦根藩の御用金を追加
2006.8.29 為替手形を追加
2007.2.17 年貢皆済目録を追加
2009.10.10 飛脚預かり状、年貢免定書を追加