| 世紀 | 皇朝銭の記事 | お米1升の値段 | 関連記事 |
| 5世紀
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486 「日本書記」によると、「顕宗天皇2年、天下平安、此登稔、百姓殷富、稲斛銀銭一文重ニ文目八分」・・・史実とは思えない
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| 6世紀
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| 7世紀
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670ころ 天智天皇のころ、無紋銀銭を使用した?
683 「日本書記」によると、天武天皇「白鳳十二年四月、詔書、自今後、用銅銭、莫用銀銭」・・・これが、富本銭ではないかとの推測もある。
694/699? 初めて鋳銭司を置く。
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607 小野妹子の遣隋使。
630 犬上御田鍬の遣唐使。
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| 8世紀
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708 1月武蔵国秩父で大量の自然銅が発見され、「和銅」と改元。
2月催鋳銭司を設置。5月11日「和同開珎」銀銭を発行、
8月10日「和同開珎」 銅銭を発行。
709 1月銀銭の私鋳を禁止。8月銀銭の発行を停止。
710 9月銀銭の通用を停止。
711 12月蓄銭叙位の令。
このころ、私鋳銭造りが多く、犯人は斬首とする。
712 12月庸調の銭納を認める。
714 9月銭を択ることを禁止、違反者は杖100とする。
721 銀銭1を銅銭25に当てる。(翌年50に改訂)
722 調銭の(税金の銭納)の制度始まる。
751 都の西南に橋を造るため、諸国より国の大きさに従って1〜10貫文を出させる。
758 恵美押勝に鋳銭権が与えられる。
760 「萬年通宝」 、「開基勝宝(金銭)」、「太平元宝(銀銭)」を発行。
金銭1=銀銭10、銀銭1=新銭10、新銭1=旧銭(和同銭)10とする。
765 「神功開宝」 を発行。 このころ贋金作り多発する。
768 このころ蓄銭叙位の令で任官する人が最盛。
772 新銭旧銭の値を同一にする。
773 穀物騰貴により、常平法を定める。
796 「隆平永宝」 を発行。
798,800 蓄銭の禁止と、蓄銭叙位の令の廃止
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711 「穀6升を以て銭1文に当て・・」(続日本紀)。 (穀6升は白米3升に相当する)
721 1文(都)BD
722 2文(都)B
736 10文(この年凶作)AB
738 「調銭567文稲70.85束」(和泉監正税帳)@D (米1升1.6文に相当)
751 5文(正倉院文書)@AB
758 粳米5.8〜7.0(正倉院?の購入記録)C
760 白米4〜6文(正倉院文書)C
762 白米6.5〜7.4文、黒米5.5〜6.0文 (正倉院文書)E
同年の暮、白米11.0〜11.1文、黒米9.2文、 粳米12.3文(東大寺の購入記録)D
763 黒米7文(正倉院文書)E
764 10文。「是の年兵(いくさ;恵美押勝の乱)と 旱(ひでり)相よりて、米石ごとに千銭」(続日本紀)
同じ年の正倉院文書によると、30文E
765 新銭で20文。諸国飢饉で米価高騰。 新銭は神功開宝、旧銭(和同開珎、萬年通宝)は この10倍。(続日本紀)
771 6〜7文。(正倉院?の購入記録)C
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701 大宝律令完成。
710 平城遷都。
729 長屋王の変。
757 橘諸兄が失脚し、藤原仲麻呂(恵美押勝)が政権を握る。
764 恵美押勝が失脚し、道鏡が政権を握る。
770 道鏡失脚。
784 長岡遷都。
794 平安遷都。
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| 9世紀
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802 上田1町の値段を4000文以下にせよとの詔を出す。
818 「富寿神宝」 を発行。量目と品質は低下。
年間の鋳造量は3500〜11000貫で、総額10万貫前後と推定。
835(承和2年) 「承和昌宝」 を発行。初めて年号を冠した銭銘。 品質はさらに劣化。鋳造量は10万貫前後と推定。
848 「長年大宝」 を発行。
859 「饒益神宝」 を発行。
だんだん品質が劣化、できの悪い銭を嫌うのを禁止。
865 撰銭の禁止。
867 都に常平所を置き、穀価を調整する。
870 「貞観永宝」 を発行。
890 「寛平大宝」 を発行。
鋳造量激減、一時期年間500貫になる。
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849 白米26文、黒米18文。推定値@
866 白米40文、黒米30文(三大実録)。 飢饉のため、政府が安価で販売したもの。
同じ年、東西津頭(難波津、大津)の実勢価格は、 白米72文、黒米41文(三大実録)。
876 飢饉のため官米を8文で売る。
市中相場は14文。
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801 坂上田村麻呂の蝦夷平定。
820ころ〜 班田収受の制が崩れ、皇族・貴族・寺社の荘園化が進む。
859 藤原氏の摂関政治の開始。
894 遣唐使の廃止。
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| 10世紀
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907 「延喜通宝」 を発行。
927 銭名が1字でも読めるものは通用しろ、との令(「延喜式」)。
939 藤原純友、周防の鋳銭司を焼き払う。
958 「乾元大宝」 を発行。
984 銭が嫌われ、銅銭と銅が同じ値段になる。
986 ”一切世俗銭を用いず”(「本朝世紀」)の状態となる。
987 諸寺に銭貨の流通を祈る。検非違使をして銭貨通用を強制させる。
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909 3文。「常平所の穀升別寛平銭3文に充つ」
(扶桑略記)
939〜942 17〜18文。「米の価格升別に新銭17, 18文。頻年飢饉によってなり」(本朝世紀)
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899〜930 醍醐天皇の延喜の治。
935〜941 承平天慶の乱。
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| その後
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1761 摂津天王寺村にて、畑の中から無文銀銭約100枚が掘り出される。
1794 大和西大寺西塔跡にて、1枚の開基勝宝が堀出される。
1923 琵琶湖沖ノ島にて、多数の和同開珎・萬年通宝、神功開宝が発見される。
1937 奈良西大寺畑山にて、林の中から31枚の開基勝宝が発見される。
1940 大津崇福寺にて、12枚の無文銀銭が発見される。
1999 奈良飛鳥池にて、富本銭の33点が発見される。
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