Habingo Homepage

このページでは、Habingoプログラムを作るにあたって出会った様々な人々とのふれあいを通して、Habingoの歴史をふりかえろうと思います。

1. WorldsAwayのWert P. GumbyとMadra Rua

現在のJチャットやサンリオワールドは、Habitat2システムによって作られています。このHabitat2システムは、アメリカにおいてはWorldsAwayという名前で存在していました。記憶では1995年前後の事だったと思います。WorldsAwayの世界にビンゴゲームを初めてもたらしたのが、Wert P. Gumbyです。いつも犬のヘッドをつけ、茶色のシャツを着ていました。私がWorldsAwayに入国したときに、既に彼はビンゴゲームを行うためのホストプログラムとカードプログラムを作製しており、街角ではトークンを賭けたゲームが毎日行われていました。ちなみに当時はBINGOではなく、KYMERと呼ばれていました。数字のコールもB, I, N, G, Oの変わりにK, Y, M, E, Rが用いられていたのが面白いところです。Wertとは何度か話をしましたが、ごく普通のプログラマーでレゴをこよなく愛していました。自分でホストをしているところを見た事は無く、どちらかと言うと人付き合いはあまり得意ではないタイプでした。

KYMERホストは初期には、10000トークンという大金で取り引きされ、ビンゴホスト=特別な人というイメージで一部のホストはアコライトよりも人気があった程です。なにせWorldsAwayを経営しているCompuServeの課金は時間制でしたから、1時間世界にいる事で得られる60トークンだけでこのホストを買うには、とてつもない額の課金を支払わねばならなかった訳です。Wertはこのホストの販売によって巨万の富(仮想世界だけですが)を手にしたのです。

ほどなくして、Wertのホストとは違うプログラムを使ってビンゴのホストをする姿が見かけられる様になりました。Madra Ruaの登場です。Madra RuaのホストはWertのものとは互換性が無く、B, I, N, G, Oの5文字を使うタイプでした。しかし、ホストに数列を送る方式はほぼ同じで、Bingoという短いヘッダーが着いているだけの違いでした。もちろん、Wertのシステムをまねて作られた事は一目瞭然でした。しかし、彼は一気にシェアを拡大させます。なぜなら、MadraのホストはWertの半額。5000トークンで買う事ができたからです。Wertに比べ、Madraは筋肉質タイプのボディーを持ち、人付き合いの良い兄貴という感じでした。

WertとMadraの間の争いは、一部の人にとっては非常にエキサイティングでしたが、ビンゴが出来れば良いという一般市民が、それほど重大な事と考えていたかどうかは分かりません。また、あまりにも多くのトークンを所持していた彼等に、反感を持っていた人も少なくない様でした。また、彼等のプログラムを秘密裏に改造して安く売りさばくという者も現れてきます。そして、WorldsAwayのビンゴは、この様な人間臭いドラマの中で、着実に成長していきます。複雑なホストプログラムを自在に操り、テキパキとゲームを進めて行くビンゴホストは、見ているだけでも光り輝いており、いつしかWorldsAway世界のアイドルとも言える存在になりました。

当時、アメリカ留学をしていた私はDr. KenというIDで、この世界に入り浸っていました。ビンゴにはほとんど興味が無く、毎晩友人達との会話を楽しんだり、新しい友人と出会ったり、それだけで楽しい時間を過ごす事ができていました。しかし、ある日「私はビンゴができなくて残念。Macだから、、、」という寂しい言葉を聞きました。当時は既にWindowsが世界を支配し、Macを使っているというだけで差別されたりする時代でした。私は当時から根っからのMac使いで、HyperCardというプログラミング環境を持っていました。「作ってみようかな。」そんな気持ちが頭をもたげます。そしてWertに、Mac用のカードを作りたいから通信方式を教えて下さいというメールを送りました。Wertからは、すぐに返事が来ました。「いいよ。こういう数列をホストにESPするシステムだよ。」というものでした。その後、Madraにもメールを送りますが、彼も快く互換性のあるプログラムを作る事を承諾してくれました。Mac用のビンゴプログラムが様々な様式に対応可能に作られているのは、この様な背景があります。

2. Habitat2

CompuServeとともにWorldsAwayが消滅し、わたしも日本に帰国しました。その頃、NiftyではWorldsAwayと同じソフトを使ってHabitat2というサービスが始まっていました。もちろん、わたしが作ったソフトも少しの改造で対応可能です。しかし、当時のHabitat2には独自の文化が形成されていて、WorldsAwayの様な「賭け」を中心としたカジノイベントは行われていませんでした。イベントは主にレアアイテムやイベント用アイテムを景品として、多くの人が気軽に楽しめるお祭り的な楽しい雰囲気で行われていました。

その中で、コツコツとHabingoのHabitat2への移植作業が始まります。ひとつのIDで2人のアバターを登録できるシステムでしたので、自分でホストとプレーヤの役割をやり、「変な人」扱いされながらもぼちぼちとやっていました。テストしていると、気軽に声をかけてくれる人が沢山来ていつの間にか話し込んでしまうのは、今も変わりません(笑)。そうこうしているうちにまっぴさんと出会います。

まっぴさんは、Habitat2でのイベントについていろいろと教えてくださいました。アコライトさんに頼んで景品を用意してくれたりとイベンターとしてはまったく才能の無い私の世話をやいてくれました。また、当時外部プログラムをインストールしてゲームに参加するのは普通のユーザーには敷居が高いだろうということで、アバターがやりとりできる「書類」を使ってカードを配布する方式にしました。カード一枚一枚にビンゴの番号を書き込む作業は、なかなか面倒でしたが、まっぴさん、りえさんを始め沢山の方が協力してくださり、ポケットにカードを詰め込んでのイベントが始まります。当時の雰囲気はこのページを読むとよくわかるかと思います。沢山の人が遊びに来てくれて、てんてこまいでしたね(笑)。

バルキリーさんは、わたしの作ったホストプログラムを使って本格的なイベントへと育ててくださいました。普段はWindowsユーザーで、ホストの時はわざわざMacを立ち上げてくださっていた様に思います。ユーザーの立場に立って、どうすればより良いイベントになるか、いろいろと考えてくれたのも彼女です。カードをプログラムとして配布することを考え始め、Windowsでも動くJAVAアプレットのカードも作りました。これの犠牲になって落ちていったプレーヤーの方も沢山いらっしゃいましたね〜(遠い目)。

3. J-chat & サンリオワールド

パソコンの普及と高性能化により、Habitat2以外にもさまざまなオンラインコミュニケーションが登場。Habitat2は、ビジュアルチャットシステムの開拓という仕事を終え、より独自性と付加価値の高いJ-chatへと移行します。私は、この頃からMythという別のオンラインゲームにはまり始め、J-chatからは少し遠ざかっていました。その頃、猫じゃらしさんからJ-chatへのHabingo対応の話が舞い込みます。対応と言っても、システム自体はほとんど変化していなかったので、J-chatのアプリケーションとのコミュニケーションができるようにした程度で済みました。猫じゃらしさんの尽力もあって、この頃にはすっかりハビンゴという名前も定着して、Habitat2初期の頃の苦労がウソの様です。Windows用ホストやカードプログラムも充実し、J-Bingoという別系統のソフトも立ち上がった様です(詳しくは猫じゃらしさんのホームページに書いてあります)。

J-chatでひとしきりハビンゴの立ち上げに協力した後、サンリオチットチャットというJ-chatの縮小版のようなチャットの存在を知ります。サンリオキャラクターが徘徊する小さな村のような世界観が気に入って、今はそこにアバターを持っています。家もお金も、レアアイテムも必要無く、ただぼーっとしているだけで、皆が話しかけてくれるので、なんとなく隠居生活を楽しんでいる感じです(笑)。たまに改良の依頼をもらったりするのですが、ハイパーカードというスタイルが古くなって、将来性に疑問が残るために本腰を入れてという感じになかなかなりません。かと言って、Habitat2システムがOSXやLinuxに対応するという話もまったく聞きませんし、とりあえずFlashのカードなどを作ってお茶をにごしています。高機能より互換性を重視する方向に気持ちが変化しているのかもしれません。